ストレス耐性が弱くて些細なことでも傷つきやすい人のことを、ネット上では「豆腐メンタル」と呼んでいます。
豆腐のように外界からの衝撃に弱く、簡単に崩れてしますい様から、豆腐のように脆くて崩れやすいメンタルのために、ストレスフルな社会を生きていくのが苦手な人が目立ちます。
しかし、一方では「私は豆腐メンタルで…」と自分から言ってくる人を見ていると、メンタルが弱いことアピールする割には努力や改善が見られずに違和感を覚えたり、「メンタルが弱いので皆さん私に気遣ってください」と何かしらのサービスを受けて当たり前、というお客様気分な人をよく見かけます。
まるで「メンタルが弱い」ことを何かの特権階級か権利のように扱って周囲に要求する姿は、繊細とは真逆の図太くて無神経、都合がいい時だけ豆腐メンタルの盾を使うずる賢い人という印象を受けます。
また、この感覚は「コミュ障」「社会不適合者」を自称する人を見ていても感じるものであり、いわゆる何かしらの弱者・敗者であることを盾にして自分の要求を一方的に押し通そうとする身勝手さを感じずにはいられません。
今回はそんな豆腐メンタルを自称する人に関してお話しいたします。
目次
メンタルが弱いことを盾にして言い訳やわがままを押し通そうとする
冒頭でも触れていますが、「豆腐メンタルである」ということを有効活用して、やるべき仕事、勉強、トレーニングをしないための言い訳として使ったり、自分のわがままを押し通すための切り札として使おうとすることが豆腐メンタルを名乗る人には見られます。
「自分は豆腐メンタルなので…」と説明すれば、人によっては「繊細な心を持っている方だから、負担の大きい仕事をさせると潰れてしまうかもしれない」と感じて、豆腐メンタルの人はなるべく楽な仕事を割り当てたほうが影響が少ないと考えることもあるでしょう。
また、豆腐メンタルを名乗る人も「自分はメンタルが弱いから他者から配慮されたり特別扱いされるのが当然である」と考えて、自分の要求がなんでも優先されて特別扱いされるのは当然であり、そのことにいちいち感謝する必要はないと思い上がってしまうこともあります。
また仮に豆腐メンタルである(と自称する)人に対して負担の大きい仕事を与えようものなら、「あの人は弱者である私にひどい仕打ちをした!」と被害者ぶることで、自分の傲慢さを隠しつつも周囲の人間を味方につけることも可能です。
直接自分の要求を突きつけなくても、周囲を巻き込み無言の圧力で豆腐メンタルの人好みの居心地のよい空間をつくることができてしまうので、豆腐メンタルを名乗ることは弱者の皮をかぶった強者だと言っても過言ではありません。
ただし、当然ながら医療機関で「豆腐メンタル」という診断名をくだされることはありませんし、そもそも豆腐メンタルという言葉自体が正式な医療用語でもなくネットスラングの一種です。
そのため、当人の口から述べられる「豆腐メンタル」という言葉は、客観的な根拠のない自己申告がほとんです。
真正面から豆腐メンタルであることを真剣に受け入れてくれない人と出会ってしまった場合は、言い訳やわがままが通用する可能性は低いといえます。
逆に、それなりにメンタルが弱い人たちについて知識がある人や、同じく豆腐メンタルの人同士であれば、言い訳やわがままが比較的通用しやすいといえます。(ただし、違和感に気づいてフレネミーと認知されたら、その限りではないですが…)
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「メンタルが弱いのは教育や親のせい」と開き直る
豆腐メンタルを名乗る人に見られるのが自分のメンタルが弱い原因は、学校教育や親、社会事情性などの自分以外の他人のせいにして開き直るというケースです。
他人のせいにして開き直っているために、根本的にどうすれば豆腐メンタルを改善していけるのかについて考えることがなく、ただ「自分は豆腐メンタルです」とアピールするばかりで進歩が見られません。
そして上にも述べたように豆腐メンタルであることを利用して、わがままを繰り返して疎まれるようになったり、疎まれるようなことをしている自分を棚にあげて「周囲が自分に冷たくするから自分はメンタルが弱くなってしまった」と被害者ぶるために、面倒な存在だと思われてしまうのです。
もちろん、このように開き直って付けがある裏には、こういった付け上がりを許す環境や支える人の存在がいることにも目を配らせることが大事です。
豆腐メンタルという困っている人を助けることに充実感を見出して精神的に依存する人(メサイアコンプレックスなど)の存在であったり、DVやモラハラの加害者のいいなりになる被害者などの支え手の存在が、付けがあらせることを許してしまうのです。
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「メンタルの弱い自分が全て悪い」と決めつけて一人で問題を抱え込みたがる
逆に「豆腐メンタルになったのは全て自分のせい」と決め付けることも見られます。
全部自己責任だと主張する分、他責にする人と比較すれば実害が少なくさほど迷惑な存在にはなりにくいと思われがちですが、なんでもかんでも自分の責任と言い張る頑固さや、抱え込まなくてもいい問題を一人で抱え込む癖があります。
負担のある仕事を自分一人で抱え込む癖のせいで、集団生活を送るとトラブルを招きやすくチームワークを乱す原因になることもあります。
また、打たれ弱いけれどもそれに耐えている悲劇のヒーローorヒロインになりたがる願望が強いせいか、あえて不利な状況に自分を追い込まなければ仕事に着手できなくなることもあります。
追い込まれなければ仕事ができない癖は、言い換えれば万全のコンディションで仕事に挑んで最善の尽くすことを放棄する。
代わりに、バッドコンディションで仕事に挑み中途半端な仕事で満足することが癖になっているとも言え、そんな働きぶりでは自分の評価が下がり続けてますます自信を喪失するであろうこと明白です。
また、あえて自分を不利な状況に追い込めば、仮に仕事でミスをした(というよりは誘発してミスを招いた)としても、「状況が悪かったからミスしても仕方ないよね」と自己弁護することができます。
このような心理は、セルフハンデキャッピングと呼ばれており、予防線を貼りたがる人にも共通しています。
「自分は豆腐メンタルでして…」という言葉自体も、予防線としての意味合いで使われることもあり、豆腐メンタルとセルフハンデキャッピングの相性は良いと言えるでしょう。(ただし相性が良くても、プラス方向に働くばかりではありませんが…)
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豆腐メンタルで困っているように見えて直そうとしない矛盾
もちろん、最初から豆腐メンタルだから自分は特別扱いされたり、悲劇の英雄だと言い張ることは稀です。
最初のうちは「豆腐メンタルですが頑張ります」と一応自分の性格で困ってはいるものの、それなりに努力したり改善しようと心がける意気込みは見せるものです。
(流石に最初から「豆腐メンタルですので配慮してください」という度胸があれば、豆腐メンタルの説得力が薄れるでしょうし…)
しかし、豆腐メンタルで頑張るという主張の割にには、実際に自分の豆腐メンタルを生んでいる原因を調べて改善していくことには消極的であったり、豆腐メンタルである自分にアイデンティティを感じているためなのか改善すること先送りにすることが目立ちます。
表面的には「豆腐メンタルで困っているのでどうにかしたい」という素振りを見せつつも、内実は「豆腐メンタルな自分を変えるのは嫌だ」という裏表のある態度をとり、現在の状況に居座り続けようとします。
このことが豆腐メンタルの人を含む自称コミュ障、自称社会不適合者などの自分にレッテル張りをする人に感じる嫌悪感の正体だと分析します。
もちろん、豆腐メンタルの人の言葉をそのまま鵜呑みにすること自体に慎重になったほうがいいのではという意見もあろうかと思いますが、一応でも受け止めておかないと「あの人は豆腐メンタルな私を受け入れなかったひどい人」と噂される恐れがあり付き合うのに苦労する相手だといえます。
また、上で触れているように豆腐メンタルにもそれなりに本人にとっては自分の要求を押し通せるというメリットがあるので、豆腐メンタルを改善してしまえばそのメリットを失ってしまう恐れがあることは考えられます
「豆腐メンタルを改善して打たれ強くなりたい」という思いと「豆腐メンタルを改善したら弱者という特権が失われる」という思いによる板挟み(ジレンマ)があることは、豆腐メンタルの人を理解しておく上でも重要なことだと思います。
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