「パリピ」とは「パーティーピープル(party people)」が語源。口に出して英語っぽく言うと「パーリーピーポー」になり、それを更に短縮して現在の「パリピ」という若者言葉になったとされています。
その名のとおり、パーティーなどのイベントや人が集まる賑やかな場所が好きな人のこと。主に中高生~20代後半の社会人で構成されており、同じくパリピな友人と一緒に楽しいことやワクワクキラキラすることに対してアグレッシブに参加する生き方が特徴的です。
近年ブームを巻き起こしたハロウィンやナイトプールの火付け役&牽引する存在とされており、パリピ向けの新たなビジネスを打ち出そうとする動きがある事を、書籍『パリピ経済』において触れられています。
しかし、今を目一杯楽しみ、人生を謳歌するために生きるパリピは、ネット上では「うざい」「騒々しい」「嫌い」と、槍玉に挙げられる存在でもあります。
一例としては、東京渋谷のハロウィンにおいて、
- 密集しすぎて交通の妨げになっている。
- 騒ぎ過ぎて暴動や乱暴な行動に出る。
- 集団になって夜遅くまで騒ぐ騒音問題。
- 参加者によるゴミのポイ捨て問題。
など、楽しむこと優先したあまりにマナーが軽視され、上のような問題が起きていることが、パリピに対する嫌悪感の一種だと考えられます。
今回は、そんなパリピに対する嫌悪感について、お話いたします。
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パリピがウザがられる理由
狭い場所で集団になって場所を取る
パリピはその性質上、集団になってスペースを取ることが必須です。
1人では楽しめないですし、盛り上がることもできない。盛り上げて楽しい雰囲気を作るためには、少なくとも集団を作って盛り上がり、楽しく賑やかな雰囲気を作り上げなければいけません。
しかし、集団になることは言い換えればスペースをとって陣取ることと同じです。十分に騒いでも問題ないぐらいに広い場所でスペースを取るのならまだしも、駅前、学校の廊下、信号の前のように狭くて且つ人の往来が激しい場所でも、お構いなしにスペースをとって騒いでしまう姿が、パリピへの嫌悪感を招いていると分析できます。
マナーやTPOの意識が薄いこと
ウザがられるパリピに共通しているのが、マナーやTPOに対する意識の低さです。
自分たちが楽しむと言っても、そのためには守るべきマナー(騒音、ゴミの後始末など)がありますし、当然ながら騒げるような時・場所・場合(=ここでは状況と言ったほうがいい)でなければ、騒ぐのを控えることが求められます。
しかし、ただ騒ぎたいという個人的な欲望のみを優先してしまい、マナーも守れず散々騒いで喚きちらす、騒いぐのがふさわしくない状況なのに騒いでしまう自分勝手さが、パリピに対する嫌悪感へとつながってしまうのです。
楽しむためなら「人に迷惑をかけてもいい」という自分勝手さ
マナーやTPOに限らず「自分が楽しむためなら、他人に迷惑をかけてもいい」という自己中心的で自分勝手な態度が、パリピに対する嫌悪感の一種だと思います。
渋谷ハロウィンのゴミ問題を見てもわかるように、ハロウィンの翌日は多くのゴミが街にあふれており、その清掃のために多くのボランティアの方が後片付けをしています。
なお、渋谷ハロウィンのゴミは、酒(缶・瓶)、タバコのゴミが非常に多い。とくに瓶ゴミは割れていたり、破片が飛び散っているなど後始末の際に怪我をする状態のまま放置されていることが多々あります。
こうした自分の個人的な快楽のために街を汚す身勝手さが、嫌いという感情を通り越して怒りへと繋がっているのだと考えられます。
また、ハロウィンだけでなく普段のコミュニケーションにおいても
- 自分たちが楽しむために、過度ないじりで特定人物を笑い者にする。
- 恋人がいない、不細工、ぼっちなどの他人が抱いているコンプレックスを刺激し、自分たちが楽しむための笑いのネタとして消費する。
のように、自分たちのエンターテインメントのために他人を不快にさせたり、平気で恥をかかせる言動を取ることが、パリピに対する嫌悪感の一因となっています。
(なお、パリピからすれば、いじりやコンプレックスで笑いを取り場を盛り上げることが、自分のコミュ力の高さを誇示することになるという見方もある。)
ノリや雰囲気によるコミュニケーションの多さ
パリピのコミュニケーションはノリ、雰囲気が優先され、話の内容は二の次になることが多くあります。
しかし、ノリや雰囲気のみで内容が軽視されているコミュニケーションは、聞く人によっては非常に退屈であると同時に、そのノリについていけなければ「ノリが悪い」とツッコミを入れられてしまいます。
ノリについていくのも地獄、かと言ってノリから離脱しても地獄というどっちに転んでも報われない、不毛なコミュニケーションのように感じてしまうのです。
また、ノリがエスカレートーしてただの悪ノリと化し、
- 無茶振りをする
- 度胸試しをさせる
のような、誰かに過度なストレスをかけそのリアクション楽しむことも、パリピに対する嫌悪感の一種だと考えられます。
内容が限りなく無い会話。低俗さへの呆れ
ノリが重視されるとは言いましたが、当然ながら会話が全くないわけではありません。
しかし、ノリが重視されるあまりに会話の中身は、楽しい時間が過ぎたら何を話していたかも忘れてしまうかのようなほどに内容のないものであり、虚無を感じさせるものです。
また、かろうじて内容のある会話の中身も、(言い方は悪いですが)非常に低俗なものであり、
- 金
- ギャンブル
- 恋愛に関する下衆な話題
- 下ネタ
- 身内ネタ
- 誰と誰とが仲がいいのか悪いのか…など
聞いてて頭がクラクラする話題を材料にして、その場を盛り上げることに、半ば呆れのような感情を抱いてしまうのです。
いきなり距離間の近づけてくる事への恐怖
パリピの人は、楽しい雰囲気を作るために人と交流する経験を重ねているので、初対面の人であっても社交的で積極的に会話をしようと近づく姿勢は見習うものがあると感じます。
しかし、ここでいう社交性はあくまでも自分と同じパリピな人と同士との間でのみ発揮できるものです。
パリピでない一般人にとっては、やたらと距離を詰めてくるような近づき方になり、どこかふてぶてしさや図々しさのような不快感を招いてしまいます
なお、ここでいう距離感は、物理的な距離(パーソナルスペース)だけでなく、親密さや打ち解け具合などの精神的な距離間も指します。
会って間もないのに、いきなりプライベートな話を切り出す。逆にプライベートな話を聞こうとする、一気に距離感を近づけてくるコミュニケーションが、恐怖感になってしまうのです。
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パリピに対する嫌悪感と集団心理
パリピの人たちを擁護するわけではありませんが、人間が集団になる状況では集団心理が働くことで、道徳観や罪悪感が欠如してしまうことがあります。
集団心理は「赤信号みんなで渡れば怖くない」というブラックジョークにあるような状態であり、集団であるがゆえにルールを守る意識が薄れて、一人ではできないような大胆な行動に出てしまうのです。
また、こうした冷静さを欠いた状態は集団全体に伝染し、集団全体がパニック状態に陥ったり、集団の暴徒化により怪我人や犯罪者を出してしまうことも起こりえます。
パリピに対する嫌悪感の正体の何割かは、こうした集団の中で起きる人間の心理状態の変化、わかりやすく言えば、集団が持つ熱狂的な雰囲気を通り越した「狂気」にあるではないかと感じます。
…なお、補足しておきますが、集団心理は何もパリピにのみ限定して、起きるものではありません。(もちろん、集団行動が多いパリピには縁が深いものである点は否定しませんが。)
当然ながら、パリピとは対照的ないわゆる陰キャラのような人であっても、集団になれば増長して大胆な行動をとりますし、オタクであっても集団になってイキり出して周囲に迷惑をかける「イキリオタク」に存在は、ネットを度々賑わせる存在でもあります。
集団心理はパリピに限らず、誰にでも起きるものだということを理解しておくことが、パリピに対するウザさや嫌悪感の正体を理解するだけでなく、「パリピ」という偏見に左右されずに、その人を一人の人間として見るためにも欠かせない知識のように感じます。
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