「絶対に失敗やミスをしてはいけない」と親や先生、上司や先輩から言われた経験をした事はとくあることだと思います。
しかし、「絶対に失敗やミスをしてはいけない」と言うのは、心理学で抑うつ状態や不安を引き起こしやすい思考を示す「認知の歪み」の「~すべき思考」であり、多用するとメンタルを病む原因になります。
しかし、仕事や教育の場では失敗をしないことが良いこと、価値のあることとされており、絶対に失敗をしてはいけないという考え方に強く染まった新社会人や若者が精神的に病んだり、過度にストレスをかけて苦しむ事は少なくありません。
もちろん、失敗をしなければ、いい仕事をして上から評価される、テストでいい点を取って褒められるなどのメリットもありますが、同時に失敗をしてはいけないというプレッシャーに押しつぶされ苦しむデメリットもあり、失敗について自分の中でうまく対処する方法や考え方を身につけておくことが大事です。
今回は、失敗を恐れる若者を通し、失敗についての考え方についてお話させていただきます。
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失敗を恐れる若者が生まれた背景について
社会全体に余裕がなく、仕事でもミスのない人材を求めるようになっている
現代は格差が広がり真面目に働いても報われるとは限らない、いつリストラにあってもおかしくないと状況です。
失われた20年、30年という言葉にもあるように社会全体が不安に覆われている中で、誰もが猜疑心を持ち精神的な余裕、すなわち誰かが失敗やミスをしても簡単に許せないほど切り詰められ殺伐としていると考えることができます。
精神的に余裕があれば、誰かがミスをしても「気にしないで次を頑張ろう」と前向きな意見が出やすいものですが、切羽詰っていると「なんで失敗したんだ?」と追い詰めるように問いかけたり、「こんなこともできないのか」と自尊心を傷つけるようなことを言ってしまいがちです。
このようにミスをしても許したり、前向きな言葉を学校や家庭でかけらてこられず、ただ「怖い思いをした」という経験がだけが強く残っているため、失敗を恐れるようになるのです。
「失敗=死」のように深刻に考えている。
大げさかもしれませんが、若者の間では失敗を死や死を連想させる深刻なものと考えていることがあります。
とくに「失敗=死」の意識が強くなるのは受験や就職活動などの、その後の人生に大きく影響する進路を選ぶ場面。
もちろん、受験で失敗して浪人したり別の進路を選べば死ぬ事はありませんが、何としてでも受験で志望校に受かることばかりを考えている人にとっては、受験で失敗することを
- 自分の進路や夢への道が閉ざされる。
- 周囲から遅れを取ってしまい不利になる。
- 受験で失敗したことが、その後の就職や出世などの仕事で悪材料となる。
と考えていることがあります。
また、就職活動の場面においては、就活で失敗することは
- 自分が多くの会社から必要とされいない、要らない人間だと感じる。
- 就職できないことで、お金を稼ぐ手段がなくなり貧困に苦しむ。
- 劣悪なブラック企業ぐらいしか内定を貰えず、過労死やうつ病などの健康を害するリスクと付き合わなければいけなくなる。
と考えていることがあります。
とくに、受験と違い就職活動での失敗は職にあぶれて貧困や飢えに苦しむ、奨学金の返済に終われ借金で苦しむ、過酷な残業などで精神を病む、などの命の危機を想起させるものが多く、なんとかしてそれらの危機から逃れたい、失敗したくないという気持ちが強くなってしまうものです。
また、そういう失敗を避けたいという不安から逃れる心理を利用して、極端な意見で不安を解消させる自己啓発セミナーや疑問が多い情報商材を売るセミナーに引っかかってしまう若者も少なくありません。
やらかした過去がSNS・ネットで晒され笑いものにされてしまう
失敗を過度に恐れる若者たちは、LINEやtwitterなどのSNSで自分の行動が晒さてしまうことに敏感です。
例えば、恋愛にしても「○が△に告ったけど振られたww」といクラスのLINEに投稿されてしまい、既読がついた人全員から書き込みの内容を取り消すのは非常に難しいです。LINEに投稿された内容からいじめのターゲットになったり、クラスで浮くというリスクを考えると、
また、告白した瞬間をスマホで撮影して仲間うち回したり、ネットにアップすることも簡単にできてしまうのが当たり前という環境で育ってきたことも失敗を過度に恐れる要因と考えることができます。
意中の人に告白して自分の思いを伝えるよりも、告白した行為やその瞬間が記録され誰かの目に渡り、笑い者にされてしまうことのリスクの方を考えてしまう…
というように、何かに挑戦してもそれが誰かのスマホに記録として残る、ネット上に動画が拡散されてしまうという今までにはなかったリスクと向き合うことを余儀なくされてきたことが、失敗を過度に恐れる若者を生み出す原因になったと考えられます。
「怒らないから言ってみなさい」に見られる、ダブルバインドで怒られた経験が根強く残っている
お説教のときに「怒らないから言ってみなさい」と言われて正直に言ったのに、怒られてしまったという経験はないでしょうか。
怒らないと約束したのに、一方的に約束を破って怒られるというような矛盾を含んだ会話を「ダブルバインド」といいます。部活動でもよくある「やる気がないなら帰れ」と言うのもダブルバインドの一種です。
「怒らない」と言いつつも、
- 正直に白状した → 怒られる
- 黙ったままにしておく → 怒られる
と、言う言わない関わらず、どっちみち怒られてしまうという辛い経験が記憶に残っているので、そのような場面にならないように失敗して怒られそうなことには手を出さなくなるというわけです。
ダブルバインドによるお説教は、相手に対してマウントを取り怒ることができるコミュニケーションなのでパワハラやいじめ、嫌がらせに発展してしまうことがあります。
失敗を恐れる若者の取る行動
失敗するぐらいなら何も行動をしないという選択肢を取る
受験にしろ就職活動にしろ、挑戦して失敗する可能性のあることを目の前にすると何も行動が起こさないまま時間だけ過ぎていくという行動を取ることがあります。
これは完璧主義に人にもよく見られる行動のひとつで、失敗して自尊心を傷つける、周囲に迷惑をかけるぐらいなら、現状維持で何もしない方が得であると考えるからです。
もちろん、仕事において与えられた仕事をせずただ突っ立っているだけでは怒られて仕方のないことですが、突っ立っている本人もただ何も考えず突っ立っているのではなく、「下手に行動して失敗すれば評価が下がってしまう。ただ突っ立っている方が失敗が起きないので評価が下がることはない」という理屈で突っ立っていることがあります。
もちろん、この考え方のせいで就職や受験にたどり着かずニートになってしまう人もいます。
他人の動きに同調して流される
自分だけが失敗して笑いものになるぐらいなら、自分以外の誰かに合わせて一緒に行動して失敗したほうが、まだ恥ずかしい思いをしなくても済むと考えてしまうことがあります。
周囲の意見に同調すれば、自分だけが責任を負う事はないので精神的な余裕も生まれるので、失敗を過度に恐れる人から見れば、不自由なように見えて安全な選択肢を選んでいると考えることができます。
寄らば大樹の影ということわざにもあるように、強いものの味方につく、トレンドに逆らわず周囲の意見に乗ることには、しっかりメリットがあるので、一概に否定できるものではありません。
しかし、同調する集団そのものが同じような考えの人同士の集まりだと、馴れ合いが起きたりフットワークが重すぎていつまで経っても行動できない、リーダーシップを持った人が不在の集団になってしまうことがあります。
自分の実力を過小評価してしまう
失敗が怖いために、絶対に安全だと確信したことにだけ挑戦してしまうパターンです。
本当の自分ならもっと上の志望校を目指せたり、仕事でいい成果を出せる可能性もあるのに、ちょっとでも失敗する可能性があると挑戦しなくなります。
本人は失敗が怖いと言うよりも、「自分にはそんな上を目指せる実力はない」と判断しており、自分で自分の実力を過小評価しておりブレーキをかけています。
客観的に見てもっと上を目指せる実力があるのがわかっていても、決して自分の実力を試そうとせず安全圏から出て来ようとしないので、失敗もなければ大きな成功を残すこともできなくなります。