人間関係における共依存と聞くと…
- DVで暴力を振るう彼氏に懸命に尽くす彼女
- アルコール依存性の夫の世話を必死にする妻
- ギャンブル依存性の親にダメだと分かりつつも生活費を渡してしまう子供
- 暴言で部下を脅してコントロールしつつも、部下の成果に依存し社内で自分の立場を確保する上司
という、なかなかにヘビーで暗い気持ちになってしまう…そんな憂鬱な人間関係を想像するかと思います。
当然ですが共依存関係はフィクションの世界に限らず、現実の人間関係でも登場するものです。
そして、共依存関係はこのブログでも度々取り上げている、モラルハラスメント(モラハラ)とでもよく見られる人間関係です。
モラハラ加害者は言葉の暴力や態度による嫌がらせを被害者にしますが、被害者はその嫌がらせを次第に拒否せず、むしろそんな態度をとってしまう加害者に同情してしまったり、「自分に至らない点があるから怒らせてしまっている…」と自分を追い詰めてしまうことがあります。
今回は、モラハラで共依存が起きやすい理由や、加害者・被害者の心理についてお話いたします。
共依存とは
共依存とは、人間関係に置いてお互いがお互いに精神的に依存してしまう関係のことを指します。
依存するのは親と子、彼氏と彼女、夫と妻、上司と部下、先輩と後輩、友達同士とどの人間関係でも起こり、また3人以上の人間関係でも起きることがあります。
とくに恋人や夫婦関係における共依存は、お互いに「この人は自分がいないとダメになる」と感じて、精神的に依存しあうことが特徴です。
一般的には依存している人の方、上のDV彼氏とその彼女の場合なら彼女だけが相手に依存していると思われがちですが、実は彼氏の方も自分に尽くしてくれる相手に精神的に依存している事があり、彼女の依存を解決すればいいというわけではないのです。
共依存は、たとえどちらかが心身ともに傷ついてしまう状態であっても、その状態を解消できず続けてしまうことがあります。
また、周囲から「そんな自分が犠牲になるような関係はやめるべきだ」ともっともな指摘を言われても、関係が途切れてしまうことに不安や恐怖を感じて反発してしまう。
そして「このまま負担のかかる関係を続けるのは良くない」と感じつつも、内心「この関係がいつまでも続いて欲しい」とお互いにうっすらと感じて、関係の解消を先送りにしてしまうことが厄介な点でもあります。
加えてモラハラの場合は、モラハラそのものの実態が当事者以外からはよく見えないことも災いし、共依存関係になっても周囲が気づきにくく、関係がエスカレートしやすくなります。
モラハラ加害者が依存してしまう理由
加害者にとって被害者は自分の葛藤のはけ口になる
モラハラの加害者は、自分の身に起きた嫌なことやストレスを、被害者に暴言や態度をぶつけることで解消しようとします。
加害者にとっては、被害者いることで自分の嫌な気分をリフレッシュすることができる。逆に被害者がいないとずっと嫌な気分を吐き出せず、苦しみ続けてしまうので被害者となる存在がどうしても必要と感じるのです。
もちろん、嫌なことを誰かに当り散らすのではなく、他人を傷つけない別の方法で対処するのが好ましいのですが、加害者にとっては当り散らすこと以外でストレスを解消することそのものに精神的な苦痛を感じるので、なかなか我慢できずモラハラに手を染めてしまうのです。
アルコール依存症の人が嫌な事があったらお酒を飲んでサッパリする、ギャンブル依存症の人が嫌な事があったら賭け事で解消するように、モラハラ加害者は嫌な事があったら被害者を痛めつけることで解消する。
被害者は加害者にとって依存の対象なのです。
被害者がいないと自尊心が保てなくなると感じている
モラハラの加害者がなぜモラハラをしてしまうのかというと、加害者は自尊心が過剰な状態であり、肥大化した自己イメージを周囲に認めてもらおうと去勢を張ったり、周囲の人に対してプレッシャーをかける事があります。
自尊心は誰にもである感情ですが、過剰になると
- 自分の過ちを認められなくなる
- 肥大化した自己イメージを守るために頑なに現実逃避する
- 自己イメージが崩れるのを避けるために自己正当化や嘘をつくのがクセになる
- 誰かに責任転嫁をしてしまう
といった行動を取ることがあります。
肥大化した自己イメージ(理想の自分)と現実の自分と大きなギャップがある場合、ありのままの自分を受け入れてしまうことは、肥大化した自己イメージが崩れ、「自分は思っていたほどすごい人間ではない」ということを受け入れることになります。
モラハラ加害者は、理想とは程遠いありのままの自分を受け入れることを拒み、理想の自分像(そして、そう言い張っている自分)を受け入れ認めてくれる被害者の存在に精神的に依存しているのです。
努力したら自分は大したこと人間ではないと自覚するので自分を磨くための努力をせず、高圧的な態度をしても否定せず受け入れてくれる被害者にどこか安心感を覚えて、抜け出せなくなってしまうのです。
被害者がいないと生活ができなくなると感じている
モラハラ加害者の中には、家事や金銭管理、ご近所付き合いなどの社会生活のスキルが乏しく、モラハラ被害者のサポートがあることでなんとか普通の生活ができているというケースがあります。
そんなモラハラ加害者にとって、陰ながらも自分を支えてくれる被害者がいなくなることに不安を感じるのは無理もありません。
被害者がいなくなれば精神的な拠り所だけでなく、社会的・経済的な拠り所を失ってしまうので、関係解消を避けようとします。
もちろん、普通の社会生活だけでなく、アルコール依存性やギャンブル依存性のように、まともな社会生活を営む事が難しい人も、世話をしてくれる被害者の支えによってなんとか生活ができているという背景もあります。
あるいみ加害者は被害者のおかげで生かされていると見ることもできるので、被害者がいなくなれば自分の人生が脅かさると感じるのです。
モラハラ被害者が依存してしまう理由
たとえ嫌がらせでも被害者にとっては無視されるよりマシだと感じる
加害者に依存してしまう被害者には、
- 自尊心が低く一人では不安を感じやすい
- 無視された経験があり、たとえ嫌がらせであっても無理されるよりはマシ
という考え方をしている事がよく見られるので、たとえモラハラをしてくる相手でさえも安心感を覚え、相手に寄り添ってしまう事があります。
寄り添うことで、安心感を感じるわけなのですから関係を解消して加害者の魔の手から離れることは拒みます。
たとえ、自分が傷つき、苦しい思いをするような相手であっても、一人ぼっちになって誰からも無視されてしまうぐらいなら、自分を痛めつけてくる相手に依存して安心感を得たほうが、気持ちが落ち着くのです。
被害者にとって加害者が自分の心の支えになってしまう
モラハラを受けている相手を擁護したり、必死にモラハラに耐えて相手の気持ちに寄り添うことが自分の心の支えとなってしまう事があります。
「モラハラをされるのは自分に責任がある」と考え、相手からの無理難題に必死にこたえることで自分は精神的に成長できる、「相手は自分の為を思ってあえて厳しく言ってるのだから、それにこたえることが自分の役目」と加害者の存在が自分にとって大切なものになると、関係の解消は困難になります。
被害者にとって「モラハラ加害者と別れる=自分の役目、生きがいの喪失」なので、加害者がいなくなるのを避けるために加害者を擁護したり、被害に受けていることを周囲から隠そうとします。
被害者はどんなひどい人であっても、尽くしたり期待にこたえる相手(依存先)がいなくなることに不安を感じて、依存関係を続けようとするのです。
自己評価が低く、いい人よりもモラハラ加害者といたほうが気持ちが落ち着く
モラハラの被害者は「どうせ自分なんて…」「自分はそんな立派ではない」と自己評価が低く、どこかひねくれているていることがあります。
自己評価が低くなると付き合う人にも影響が出て、一般的に真面目で周囲からの評価が高い人よりも、不真面目であったり、表裏の激しいなど付き合うにあたって問題が多い人といる方が安心感を得やすくなります。
自己評価が引くからこそ、嫌がらせをしてくる相手といると「自分のようなダメな人間には、この程度の人がちょうどいい」と感じるのです。
自己評価が低い人にとって、立派な人と付き合うのは気が引けてしまう、緊張してしまう、相手に対して申し訳のなさを感じてしまうために、モラハラ加害者のように問題のある人の方が居心地の良さを感じ、依存してしまうのです。
共依存はモラハラ解決を遅らせる原因になる
暴言や嫌がらせをしている加害者は被害者無しでは精神的に不安定になってしまう。
加害者からモラハラを受けて辛いはずの被害者も、どこか加害者がいることに安心感を覚えたり、逆に擁護して加害者といることに生きがいを見出し依存してしまう。
両者ともに悩みや不満はありつつも、どこか相手に依存してし、関係が解消されることを拒むために共依存関係になってしまうのです。
また、モラハラは夫から妻のように「男性→女性」だけでなく「女性→男性」「男性同士」「女性同士」でも起こって共依存に発展することもあります。
性別が男女逆、同性同士の場合、多少の依存や嫌がらせですら、「恐妻家だけど夫婦仲が良くて理想のカップル」「からかいあって仲の良い証拠だ」と思われることも多いので、モラハラの存在が見過ごされてしまう一因になります。
加えて、モラハラそのものは、パワハラ、セクハラ、DVと比較すると認知度が低い。
主に言葉や態度などの目に見えない暴力であるために、被害者にとっても自分はモラハラの被害を受けているという自覚がないケースもあり、共依存が進行しやすい条件が整っているハラスメントなのです。
モラルハラスメントに関する本・書籍