内閣府が公表した平成29年度版の子供・若者白書において「インターネット空間が自分の居場所だと思う」と答えた人が6割を超えたというデータが出ています。
子供・若者白書は全国の15歳から29歳までの男女6,000人を対象にした統計で、ざっくり言えば5人のうち3人はネット空間が自分の居場所であると答えていることになります。
なお、単純にインターネット空間といっても、
- 2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などの匿名掲示板
- 各種個人ブログ
- ニコニコ動画、YouTubeなどの動画投稿サイト
- TwitterやFacebook、mixiなどのSNS
- pixivなどの創作系のネットサービス
- 各種オンラインゲーム、ソーシャルゲーム…
など様々です。
一般的にネット上の居場所と言うと、いわゆる大手SNSのような言葉や写真によるコミュニケーション行う場所をイメージされる方が多いものですが、PCやスマホで遊べるゲーム内にもチャットやダイレクトメール機能があり、ゲーム内でお互いにコミュニケーションを取ることができます。
また、近年話題のユーチューバーのように、自分で動画を作成・配信することで、視聴者と交流を行うことに、自分の居場所を感じている人もおられます。
インターネットを使って自分の趣味のつながりを持ったり、興味や関心のある人とつながりを持てる時代になった事は、インターネット全盛の現代ならではの魅力だと思います。
しかし、その一方でインターネットだけが自分の居場所であると感じて現実逃避に走ったり、ネット上で何とかして居場所を確保するために過激な行動に走って炎上騒動に発展してしまうという例を見ています。
今回はそんな「ネットだけが自分の居場所」と感じる人について思うことをお話ししたいと思います。
目次
きっかけは「ぼっち系ユーチューバー」の一言
インターネットだけが自分の居場所であると言う言葉を聞いたのは、あるユーチューバーの動画を見ていた時でした。
そのユーチューバーの方の名前を挙げるのは控えますが、ジャンルとしては「ぼっち系ユーチューバー」にカテゴライズされている方です。
ぼっち系とあるように、基本的には孤独であることが売りのキャラであり、さながらピン芸人のように一人で活躍されている大学生のユーチューバーです。
そのため、投稿されている動画は複数のグループでワイワイ楽しむといった有名どころのような動画や「他のユーチューバーとのコラボしました!」のような複数人で楽しくワイワイと楽しむような動画ではなく、ただ1人でゲーム実況や近況報告といった日記のような動画を淡々とを作成して投稿するというストイックなスタイルでした。
なお、件のぼっち系ユーチューバーの方は、(ブレイクを狙うためなのかもしれませんが)時には過激で挑発的な内容とも取れる動画を投稿したり、所属している大学のイメージを悪化させてしまうような動画を投稿していたこともあり、コメント欄で賛否両論を呼ぶこともありました。
ぼっち系ユーチューバーとして人気が出てきて視聴者数が増えてきた最中。過激な動画が所属している大学に対してばれてしまったのか、それとも誰かが大学側に質問したことが原因なのかわかりませんが、大学側から呼び出しされお説教受けたと言う内容を収録した動画が、本人の公式チャンネルに投稿されると言う出来事が起きました。
その動画はまさに政治家の謝罪記者会見かのような構成で、経緯の説明、反省と謝罪、個人的なコメント、今後の活動に関する報告が1本の動画としてまとめられていました。
その動画の途中に出てきたのが「自分にはインターネットしか居場所がないから、YouTubeとしてこれからも全力を尽くしていくしかない」と言う趣旨の発言でした。
「ネットだけが自分の居場所」と考えることのリスク
反省の内容を収録していた動画の中には、現実世界の人間関係で孤立してしまい居場所を得られなかったことや、ネット上で動画を公開したことで初めて自分の居場所と呼べるものができたことについて語られていました。
そもそもがぼっち系と言う孤独であることを売りにしているキャラだけあってか、
- 現実世界での交友関係が乏しかったこと。
- 大学生になる前はスクールカースト(=学校内ヒエラルキー)でも最下層に所属していたこと。
- 語り合える友達がおらず人間関係や承認欲求に飢えていたこと
などの、ぼっちの人なら胸に刺さることであろう言葉の数々が収録されていました。
しかし引っかかるのが、インターネットの世界だけで自分の居場所を手に入れようと言う点です。
ネットで居場所を作ることそのものは問題ないと思いますが、現実の世界を完全に捨ててまで、インターネットの世界でのみ生きていくと言うのには以下のリスクがあります。
- 個人情報が一度ネット上にアップされてしまうと、個人の力ではその情報完全に削除することが難しいと言うリスク。
- また、悪評がまとめサイトなどにまとめられてしまうと、その投稿が原因となって就職活動で不利になったり、仕事が決まらなくなるリスク。
- YouTubeのように今はうなぎ登りで人気になっている動画投稿サイトであっても、他の動画サイトが登場したことで衰退。今までのような人気を得ることができず自分の居場所を失ってしまうリスク。
- 過激な発言や投稿がきっかけとなり、(今回のような大学からの忠告といった)現実世界の組織や集団に悪影響を与えてしまい、ますます現実世界に戻りにくくなりネットに依存してしまうリスク。
- 自分の居場所を守るためには、次から次にと出てくる新人ユーチューバーと競争しなければならず、居場所を維持するために無理をして動画投稿することに精神的な負担を感じたり、視聴者離れを防ぐためにとにかく過激でインパクトのある映像を作り続けなければいけないと言う強迫観念に襲われるリスク。
- 動画の内容次第では、YouTube公式からアカウントの削除や停止を言い渡され、復帰できなくなるリスク。
- 視聴者には視聴者の生活があり、自分の居場所を維持するために視聴者に精神的な負担をかけることでいがみ合いが起きアンチの発生や視聴者離れが起きてしまうリスク。
YouTubeを使って居場所を構築する以上は、運営元となるYouTubeの指導や指示に従うことは避けられません。(もちろんこれは他のSNS、ウェブサービスでも同じですが…)
YouTubeを含むウェブ上のあらゆるサービスも現実世界にある一つの事業であるため、利用者の要求を何でも受け入れてばかり…と言うわけにはいかないのが実情です。
「好きなことで生きていく」という言葉の裏側
ユーチューバー生き方・生き様を表す言葉として「好きなことで生きていく」と言うものがありますが、現実は好きなことばかりではなく関係者各位との折り合いや話し合いをしなければならず、いつも好き放題自分のわがままをいつでも通せると言うものとはではありません。
現実にはYouTubeと言うサービスに仕事として、あるいは利用者として関わっている人や組織・集団が大勢いるため、折り合う事を避けて自分1人で好き勝手に生きていこうとすれば、当然衝突やトラブルが起きて生きづらさを感じてしまうものです。
実際に好きなことばかりで生きていけるのなら、見たくない事は見なくていいし、抑圧したくないことも抑圧せずに済むので非常に楽に思えますが、いつも気楽というわけではありません。
上にも書いたようにあらゆる場面で居場所を失うリスクに晒されており、好きなことで生きていくと豪語していた割には、日々先行きが見えない生活に対して精神的に消耗したり、今の生活を維持すべくネットにしがみついた結果、ネットに依存してしまうという結末が待っていないとも言い切れません。
ネット上の自由な人間関係は、いつ切られてもおかしくない人間関係という自覚を
リアルでもネット上でも居場所を作るにあたって欠かせないのが人間関係の構築です。
ネット上は人間関係リセット癖でも触れたように、クリック一つで気軽且つ簡単に多くの友達を持ったり、コミュニティに所属することができる一方で、同じくクリック一つで気軽に友達をリセットして整理したりコミュニティから脱退(あるいは追放)することもできてしまうという非情さを兼ね備えた人間関係でもあることはあまり知られていないように感じます。
そのためリアルの人間関係以上に関係を維持するために、いつもコミュニティに入り浸ったり、忘れられないように積極的につぶやきや動画を投稿するなどして、さながら営業活動のような人間関係を維持するための活動を行っていかなければなりません。
「ネット上の人間関係=自由である」とばかりを考えている人は、この矛盾に気がつかないままネット上での居場所を作れるという期待ばかりを膨らませた結果、期待通りの人間関係ができず勝手に期待して勝手に失望してしまうという経験を重ねてしまう事があります。
現実の世界は確かに面倒なこと、嫌なこと、見たくないことがあり、それから逃げて自分の自由にできるネット上にのめり込みたいという気持ちも理解できます。
しかし、そのような辛さは誰もが現実生活で経験しつつも、上手に折り合いをつけることで社会に溶け込み生活を送っていきます。その過程で現実世界で居場所を見つけたり、自分の技術を磨き評価されることで新たな居場所を見つけたりすることもあるものです。
何度も言いますが、ネット上の人間関係を持つことそのものは否定しません。
しかし、現実が辛いからと言って全てをネット上に捧げてしまうことは、かえって自分の人間関係や生き方を狭めるオチになるということを、ネット上で居場所を獲得したい人は知っておいて損はないと思います。