主に中高生などの若い人の間で人気の「Tik Tok」という動画編集&投稿アプリですが、ネット上では「嫌い」「うざい」「苦手」という声がそれなりに散見されます。
かくいう筆者もテレビのコマーシャルやtwitterのタイムラインなどで、Tik Tokの映像で目にすることはありますが、よく言えば学生時代に青春を謳歌している人向けのアプリであり、
- 灰色の青春時代を今まさに送っている人
- 学生時代にあまりいい思い出がない
- 思い出したくない恥ずかしい黒歴史を抱えている人
からすれば、直視に堪えないものである…という印象を受けます。
率直に言えば、「Tik Tokは筆者には合わないなぁ…」と感じる次第でございます。
ではなんで、Tik Tokが合わないと感じているのか…今回は、(楽しむことをできない負け惜しみのような気もしますが)Tik Tokに感じる苦手意識に付いてお話しいたします。
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Tik Tokへの苦手意識の正体
調子に乗っている様子
Tik Tokに投稿されている動画に共通しているのが、とにかく楽しくそして少し調子に乗ったノリやテンションという点です。
普段から調子に乗らずに、ルールや礼儀をわきまえる事が大事であるという環境で育ってきた人からすれば、Tik Tokで調子に乗っている人を見ると、まさに「この人生理的に無理だ」という感想を抱くのも無理はないかと思います。
「礼儀をわきまえる」ためには「調子に乗る」ことは控えたり、調子に乗りたい気持ちがあってもそれを抑圧しなければいけません。しかし、目の前で調子に乗っている人が現れたことで、抑圧した感情が刺激されてしまい不快感を覚えてしまうのです。
なお、このことはユング心理学のペルソナとシャドウの概念で説明することができます。
- ペルソナ(仮面):人前で見せている自分の姿。ルールや礼儀をわきまえている自分のこと。
- シャドウ(陰):抑圧して無意識下に追いやっている自分の欲望や負の部分。ルールや礼儀を守らずに調子に乗りたい自分の本音だと考えることができます。
ユング心理学では、他人の言動に対して自分のシャドウを感じると、過剰に反応して嫌悪感や嫉妬、憎悪などの不快感を抱くとされています。
なお、Tik Tokで調子に乗っていて自分とは住む場所が違う人であっても、シャドウの部分でなんらかの共通点を感じているとも考えることができます。
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自分の中二病・黒歴史が思い出されることへの苦痛
Tik Tokに投稿されている動画を見ていると、過去に自分も動画を投稿した人と通ずるような、恥ずかしい思い出や中二病のような奇行をしていたことが思い出されて、言葉にしにくい不快感を覚えることもあります。
自分には何か特別な才能や能力があると勘違いしたり、魅力があると勘違いして突拍子もない行動を取ってみたり…と、若さゆえにしてしまった過去の過ちがTik Tokに投稿されている動画を見ることで蘇えり、苦痛を感じるのです。
いわば、自分の中では無かったことにしておきたい黒歴史の数々を、Tik Tokにアップされている動画は思い出させてしまうのです。
若さとノリだけで黒歴史を現在進行形で作る姿に対する恐怖
もちろん、自分の黒歴史を思い起こされることばかりでなく、現在進行形で未来の黒歴史になるであろう動画を作っている姿に対する恐怖のような感情もあります。
Tik Tokのように若さゆえのノリや勢いを表現する場は、若さを失ったときに見返すと黒歴史の生成場所となり自分を苦しめるかもしれません。
また、自分ひとりの黒歴史として済まず、動画が誰かに保存されてyoutubeなどの他の動画投稿サイトにアップされたり、スクリーンショットが匿名掲示板で晒されて一生にネットも笑いものにされてしまうこともあります。
(Tik Tok以外の話になりますが)号泣会見で注目を浴びた某兵庫県議会議員、STAP細胞発見で世間を賑わした某割烹着リケジョが、現在に至るまでネット上でネタにされ、消費され続けている光景を見てネットの怖さを知っている人からすれば、Tik Tokで自分の黒歴史を現在進行形で作り続ける事に対して恐怖の念を抑えきれないのです。
ナルシストっぽい顔や行動に対する嫌悪感
(もちろん、特定の人を傷つける意味ではありませんが)やたらとキメ顔をしたり、変顔で親しみやすさを演出したり、かっこよく(or可愛く)映るようにカメラ目線を意識してポーズを変えたりすることがTik Tokの動画では目立ちます。
思春期に差し掛かり自我が芽生え始めたり、他人の目が気になり始めた頃の子供に多い
- 大人っぽくなりたい
- 少し背伸びをしてみたい
- 他の同年代とは違うんだとアピールしたい
- 他のクラスメイトと違って、かっこいいorぶりっ子な自分を演じてみたい
という欲求が、キメ顔、変顔、カメラ目線を意識するという行動に現れているのだと感じます。
しかし、意識するあまりに、ナルシストっぽい自惚れを感じる行動に感じてしまうこともあります。
ナルシストな行動をする人に巻き込まれてうんざりした経験がある人からすれば、もちろん無関係であるとは分かっていても、ナルシストな行動を目にするのは不快感を覚えてしまうのも無理はありません。
それがテレビのCMやSNSのタイムラインなどの不可抗力で目にするとなれば、不快感を感じるものの、モヤモヤとした気持ちのぶつけ先が無いことが、Tik Tokに対する不満を募らせていると考えることもできます。
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画面越しに目があって気まずさを感じる
Tik Tokはもちろん録画された動画であり、リアルタイムでカメラ越しに話しているわけではないのですが、大抵はカメラ目線で撮られた画像のために、いやでもスマホ画面越しに目が合ってしまい気まずくなることがあります。
それも、落ち着いた表情で目が合うのではなく、調子に乗った様子やキメ顔、変顔で目が合うために、挑発を受けている、あるいは笑いものにされていると感じて辛くなってしまうのです。
もちろん、動画に写っている人が明確な悪意や小馬鹿にする目的ではないことは理解しているものの、実際にカメラ目線で変顔でスマホの画面に現れると、咄嗟に目を逸らしたくなるものです。
この一連の心理は、視線恐怖症に通ずるものがあるかもしれません。
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無理して明るいキャラで投稿している人に対して「もうやめろ…」と言いたくなる気持ち
Tik Tokはクラスでも明るく人気ものな陽キャラに属する人向けのアプリですが、中には大人しくて地味な印象の陰キャラの人が無理に明るくて親しみやすい人に見えるような動画を投稿していることもあるものです。
もちろん、人を見た目で判断してあれこれ詮索することは非常に失礼であることは承知ですが、どうにも無理をして明るいキャラになるように振舞っているように見えてしまいます。
無理して不慣れなことをして、黒歴史を作り続ける光景をみると、なんだか胸が締め付けられるような…いたたまれない気持ちになり、直視できなくなってしまうのですます。
Tik Tokの動画と心理的リアクタンス
Tik Tokの動画は何かと視聴者に対して
- 「自分はかっこいい(orかわいい)でしょ」
- 「おしゃれでセンスがあるでしょ?」
- 「面白いでしょ?笑えよw」
と言わせてやろうと感じる動画が目立ちます。
言い換えれば、視聴者に対して決まり決まったコメントや同意、賛同の声を求める押し付けがましいテイストの動画であるともいえます。
そのため「自由なコメントをすることは御法度である」という空気感を漂わせる動画であり、見ていて窮屈さを感じます。
このようなしんどさを抱くのは心理学の「心理的リアクタンス」で説明することが可能です。
心理的リアクタンスは、自分の自由が失われる場面に対して、その自由を取り戻すべく抵抗する心理。
「勉強しなさい」と言われると逆に「勉強しない」事を選び、相手のいいなりにならず反発することで自由(この場合は言いなりならないこと)を取り戻そうとするのが、心理的リアクタンスなのです。
Tik Tokのように動画投稿者の自己主張が激しい動画は、その分視聴者が「投稿者の思惑通りにの反応なんてするもんか」と反発心をもってしまう。
あるいは「賛同コメントをすれば投稿者の言いなりになる」と感じ取った結果、不快感や嫌悪感を示すことで自由を取り戻そうとしているのだと考えることもできます。
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