インターネット上では、芸能人やアーティストに対してリアルではなかなか言いにくい辛口コメントをする人をよく見かけるものです。(このブログも例外ではない気はしますが…)
例えば、お笑い芸人に対して
- 「純粋につまらない。」
- 「私のほうが笑わせる自信がある。」
と、情け容赦ないコメントを浴びせかける一方で、お笑い芸人の方もムキになってネット上で「アンチは嫉妬してるだけ」「俺はアンチができるぐらい人気が出てきた」と言い返して、お互いに厳しい言葉のぶつけ合い(要するにレスバトル)になることがあるものです。
そんな辛辣なコメントを見て「そういう貴方は厳しいことを言えるぐらいの立場にいる人なんですか?」と、ついツッコミを入れてしまいそうになった人も少なくないと感じます。
…が、もしもツッコミを入れようものなら汚い言葉の応酬から、最終的には相互ブロックか炎上騒動になる可能性もあるので、外から眺めておくのが無難と言えましょう。
今回は、そんなネット上で他人に厳しくなる人の心理や背景についてお話し到します
ネット上で他人に厳しくなってしまう要因
匿名で参加出来る
インターネット上のコミュニケーションは、自分の名前や顔写真、学校や勤め先などの個人情報を伏せて行うことができます。
tiwtterや匿名掲示板、youtubeのコメント欄などは匿名で多くの人がコミュニケーション可能なために、ときに意見が暴走して炎上の火元となります。
もちろん、Facebookなどの実名と顔写真が必要なSNSもありますが、偽名を使ったり他人の写真を借りてアカウントを入手すれば、自分の個人情報を隠したまま投稿が可能です。
加えてこの場合は「なりすまし」のアカウントでなので、普通に匿名アカウントで投稿するよりも厄介です。
このようなリアルのコミュニケーションでは見られない「匿名で参加できる」ことが、ネット上で自分のことを棚に上げて驚くような大胆な発言をしたり、普段は抑圧している攻撃的な意見や本音をためらいもなく書き込むことを招くのです。
相手の顔が見えないので暴走しやすい
リアルのコミュニケーションと違って、ネット上では相手の顔が見えない状態で発言を行うために意見が暴走しがちです。
リアルでは顔が見えるからこそ、表情や仕草、声量の変化を見て「さすがに言い過ぎてしまったかな…」「もうちょっと優しい言い方にすべきかな」と感じて、発言内容を修正することができます。
しかし、ネット上のコミュニケーションでは顔写真を公開している人に向けてコメントするにしても、基本的には文章のみで行われます。
仮に相手がひどく落ち込みながら書いていても、文面からはその相手の表情が読み取ることができず「言いすぎてしまった」という自責の念は抱きにくいものです。
また、顔が見えないのは厳しいコメントを言われる人も同じです。
顔が見えないからこそ自分に向けられたコメントに対して「この人は私を攻撃するためだけにコメントをしている」「このコメントは指摘ではなくアンチの僻み」と過剰に反応してしまうことも考えられます。
コメントを書く人も受け取る人も、互いに顔が見えないために相手に対して厳しくなりすぎるのは同じ。そのため、ネット上のコミュニケーションは衝突が多くなるのです。
同じような厳しい意見を持つ人と簡単に繋がれる
現在のようにネットでコミュニケーションができなかった時代は、例えばお笑い芸人に対して辛口コメントを言っても、その影響力はせいぜい家族や職場、学校の友人どまりであり、それ以上その話題が共有されることはありませんでした。
しかし、ネットが発展してブログやホームページ、匿名掲示板、SNSを簡単に利用できるようになってからは、辛口コメントはより多くの人に対して共有されるようになりました。
もちろん、多くの人と繋がれると言っても自分と同じ辛口コメントを持っている人同士でなければコメントは共有されません。
しかし、ネット上では「検索」により、自分と同じようなコメントを持っている人を簡単に見つけてコメントを残すことが可能です。
例えば
- 「○○(お笑い芸人名) アンチ」
- 「○○(お笑い芸人名) 面白くない」
- 「○○(お笑い芸人名) つまらない」
などで検索すれば、簡単に自分のコメントにあったブログや掲示板、SNSの書き込みを見つけることが可能です。
また、検索で欲しい意見がヒットすれば「辛口コメントを抱いているのは自分だけではない」という確証が得られ、他人に対して厳しい行動をすることへの抵抗が薄れてしまうのです。(=集団心理(群集心理))
関連記事
悪口や低評価コメを簡単に残せる仕組みがある
また、媒体によってはyoutubeの「低評価」ボタンのように、実際に辛口コメントを言葉にしなくても、ボタン一つで自分の気持ち表現できてしまう手軽さが、良くも悪くもネット上のコミュニケーションの魅力です。
その他にも、ネットならではの
- ネットで拾った(クソ)コラ画像を貼り付ける。
- ネット上に転がっている文章をコピペをしてツッコミをする。
- 顔文字や絵文字を使って自分の不快な気持ちを端的に表現する。
- 自分の主張に合う他人の辛辣な投稿に「いいね」「リツイート」して同調する。
などの方法で、自分の意見を簡単に述べることができます。
ネット上では、実際に文章を書くことや誰かの前で話すのが苦手な人でも、簡単に自分の気持ちを表現できてしまう手軽さがあります。
しかし、その手軽さが仇となり、相手に対して厳しいコメントをする抵抗感を薄れさせてしまうのです。
道徳、正義感につき動かされやすい
ネット上で他人に対して厳しい意見を持つ人の中には、リアルの生活で自分が認められない不公平感にうんざりしており「せめてネット上だけは公平で正しい世界であるべきだ」という価値観で自分の考えを投稿している人がいるものです。
これは、心理学の「公正世界仮説」にも通ずるものですが、リアルの世界が頑張ってもかならず報われるわけではないから、リアルと対局であるネットの世界は公正で公平であるべきという価値観を持った人同士が検索によって簡単につながることができてしまいます。
他人に対する過剰な厳しさは、不公平な現実世界への反発からくる道徳感や正義感の現れともい変えることができるでしょう。
何度も例にしている、お笑い芸人への辛口なコメントも「こんなに面白くない(と感じている)芸人がリアルで高い評価を得ている」という不公平さをなんとか正したい…
つまり「面白くないのだから『過剰評価→妥当評価』にさせたい」という心理が働いているのだと考えられます。
関連記事
ネット上で極端に厳しくなる人と集団極化
ネット上で極端に厳しくなる人と「集団極化」という心理学用語には関連があります。
集団極化は話し合いで意見が極端なものになってしまう現象を指し、意見が革新的なものに偏るリスキーシフトと保守的なものに偏るコーシャスシフトの二種類に分かれます。
他人に厳しくなるのは集団極化におけるリスキーシフトの一種であり、上で触れた匿名でできることや、低評価ボタンで意見が簡単に表明できるために、より短時間のうちに極端で攻撃的な意見に偏ってしまうのです。
関連記事
他人に厳しい人に見られる極端なものの見方の危うさ
ネット上で他人に厳しい意見を振りまく人やそれを取り巻く人を見ていると「白か黒か」「0か100か」などのわかりやすい対立構造を振りかざしている光景を見かけます。
例えば「これからの時代どんな働き方を選べばいいのか」という議題に対して
- 会社員 vs 公務員
- 会社員 vs フリーランス
- 会社員 vs 経営者
- ブラック企業 vs ホワイト企業
- 都会で働く vs 田舎で働く
というように、わかりやすい二者択一の対立構造を作り出して、他人に対して上から目線で意見を述べてるという具合です。
わかりやすい構造のため、どちらの立場に付いても議論は極端且つ過激になりやすく(=集団極化)、お互いがお互いに深く対立し合うことで埋められない溝ができたり、同じ意見を持つ人との結束力が強まりすぎて意見を変えにくくなるリスクがあります。
また、わかりやすい対立構造での議論は
- 「一方が正解であり、もう一方は不正解である」と、正しさに囚われてしまう。
- 「AでもBでもないCという中立意見があるのでは」と、他の可能性が見過される。
と、対立構造だからこそ起きる、他の可能性に対する議論が全く行われないまま、過激さばかりが増してしまうリスクがあります。
たしかに対立構造にして考える事は、簡単に理解しやすく賛同or反対の意見で議論に加わりやすいという特徴を持っています。
しかし、簡単に理解しやすいからといって、自分の意見が絶対に正しいと思い込んだり、自分以外の意見はどれも間違っていると決め付ければ、他人に対して過剰に厳しさを振りまく行動を招くことになります。
そして、「対立構造はネット上で盛り上がる」ということを知識をして知っている人が、その知識を悪用して意図的に炎上商法を行ったり、ネットユーザーを焚きつけ誰かをバッシングするように仕向けることができてしまうという恐ろしさは、ネットを使う上では知っておくべき知識だと感じます。
関連記事