怒鳴り声が正直怖い、怒鳴る人が苦手な理由

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職場や学校(主に部活)で指導を受けるときに「怒鳴る」という方法で指導する人に対して、正直「怖い」と感じたり、苦手意識が抜けません。

こう書く筆者は男性であり、

  • 「怒鳴り声なんぞでいちいりビビっていては男らしくない!」
  • 「怒鳴ってもらえるのはそれだけ期待されている証拠だ」

というニュアンスの言葉は学生の頃だけでなく成人後を受けてはきましたが、現在でも男性・女性問わず、怒鳴り声で指導する人を見かけると、どうしても萎縮してしまいます。

もちろん、その怒鳴り声が自分に向けられていないと明確なもの…例えば、他人の喧嘩や悪質クレーマー、スポーツでの野次合戦、はたまたテレビで見かける「キレ芸」の類に至るまで、所詮他人事だと理解していても大きな声で怒鳴り散らす人を見かけると、どうも緊張を覚えてしまいます。

今回は、そんな怒鳴る人に対する苦手意識について、お話しいたします。

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怒鳴る人に対する苦手意識の理由・背景

純粋に声が大きすぎて聞き取れない

怒鳴り声は静かに諭すのと比較すれば、声の大きさが大きすぎるので聞き取りにくいという特徴があります。

聞き取りにくいという事、は言い換えれば自ら相手に伝わりにくいコミュニケーションの方法を選んでいるわけでもあり、落ち着いて話せば伝わる話を自ら伝わらりにくくしているわけでもあります。

(そもそも感情的に怒鳴る人に向ける言葉とは違う気もしますが)なんとも非合理的であり、怒鳴られたショックこそ相手に残るものの、肝心の反省点や改善点が伝わりきっていないのであれば、怒鳴った時間と労力は無駄になっているのでは、という疑念が残ります。

怒鳴る基準が曖昧であり不用意な混乱を招いている

怒鳴る人に多いのが「何をすれば怒鳴る(or怒鳴られない)」という基準が曖昧であり、指導する人を不必要に混乱させているというケースです。

例えば、部活動の場合

  • 何の連絡もなく遅刻してきた場合は怒鳴って一喝を入れる。
  • 練習道具を片付けず放置していたら怒鳴って一喝を入れる。

というように「○○したら怒鳴る」、つまり「○○したら罰を食らう」という厳格なルールが決まっていれば、指導を受ける側も「罰を受けないためにはどう行動すればいいのか」という基本的な行動を学習できます。

罰に加えて、「○○をすれば飴(報酬)がもらえる」というルールも設定されていれば、より罰っせられる事を避けて報酬を得るための行動をするように学習していきます。(=「アメとムチ」)

しかし、怒鳴って指導を行う人に多いのが「○○すれば怒鳴る」こともあれば「○○しても怒鳴らない」こともあるという具合に、何をすれば明確な罰を受けるのかが決まっておらず、ただ闇雲に怒鳴るだけ怒鳴って指導を受ける側を混乱させているというケースです。

こうなると指導を受ける側が「あの人は何を基準に怒鳴るのかわからないので、どういう行動を取ればいいのかわからない」と混乱してしまいます。また、基準が明確でないので、指導を行う側が求めている正しい行動の学習も困難です。

もちろん、人間同士なので機械のように明確なルールだけでコミュニケーションをすることそのものは、無機質でありお互いに信用を深められないものだとして却下されるかもしれませんが、アバウトな基準で気まぐれに怒鳴り散らす指導では信用を深めるのは難しいでしょう。

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人前で怒鳴ってマウントを取ろうとしてくる

1対1で怒鳴るのではなく、大勢の人が見ている状況で晒し者にするかのごとく怒鳴る人には、とくに強い苦手意識を感じます。

人前で怒鳴ることは相手に恥をかかせて立場を一方的に奪いつつ、怒鳴る側は「自分には他人に恥をかかせて立場を奪うだけの権力や権威があるのだ」と周囲にマウントをとる事とも見れます。

露骨にマウントを取ろうとする人が指導する立場にいると、その場の雰囲気が悪化して仕事や練習の能率を下げたり「怒鳴ってコンプレックスを解消しようとしているのでは」と不信感を抱かれるリスクがあるために、賢明な指導法とは言い難いものです。

もちろん、ミスや不注意を指導することは大事な事ですが、その際に過度なプレッシャーをかけてしまって意欲や自信を削いでしまう結果になっては逆効果です。

また、怒鳴られるのを恐れてミスを隠蔽するような自体になるのも、指導する側からすれば避けたいことであるはずでしょう。

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「怒鳴れそうな人」を選んで怒鳴っているからタチが悪い

何度も怒鳴っている人を見ている人ならお分かりだと思いますが、怒鳴る人は怒鳴れそうな相手や状況を選んで怒鳴っているために、非常にタチが悪いものです。

例えば

  • 無抵抗の店員に対してキレる客
  • 大人しくて立場の弱いクラスメイトに対して怒鳴る教師
  • 一人で孤立している人に対して怒鳴って威圧するいじめっ子

のように、怒鳴っても反撃を受けにくい相手や状況を選んで怒鳴っているという、最低限の人を見る目は持っています。

怒鳴るという行為は決してリターンばかりではなく、例えば相手を威圧しすぎたせいで反撃を受ける可能性もありますし。

なにより「怒鳴る」という行為そのものが自分の社会的な地位を失わせる原因にもなりかねないので、失いたくないポジションを持っている人なら無闇に怒鳴り散らすのは大きなリスクが伴います。

ネットが発展した現代なら怒鳴っている場面をスマホで撮影されてSNSに投稿、個人情報が拡散され炎上に発展してもおかしくありません。

怒鳴るという手段を取る以上は、なるべくリスクを抑えてリターン(この場合は「相手に言うことを聞かせる」など)を得たいという心理が働きます。

リスクが大きくなる場面や状況では怒鳴らない、逆にリスクが小さくなる場面では怒鳴るという手段を用いるのです。

そういう心理を知識として知っていればこそ、怒鳴る相手を選んで怒鳴る人が抱いている狡猾さや、自分自身が「怒鳴ってもリスクの小さい人」と見下されて認知されている現実に苦手意識を抱くのだと感じます。

びっくりしたことと材料にし、更に怒りを畳み掛けて来るから苦手

大声で怒鳴ってくる場面に対して「驚くのを我慢しろ」と要求するのは酷だと思います。

何の前触れもなく大声で怒鳴ってきたり、ついさっきまでほんわかと穏やかに話し合っていたのに、空気が変わってゲリラ豪雨のように怒鳴ってくる人を目の当たりにすると、驚きや恐怖を隠し通すのは難しいものです。

社会人ともなれば、「感情的になって驚いたり泣いたりすることは社会人らしくない」という価値観も相待ってか、怒鳴られてびっくりした事を材料にして、更に怒鳴りに拍車をかけることは理不尽極まりないと言えます。

また「感情的になるのはNG」と言いながらも、怒鳴ることはOKで泣いたり驚いたりするのはNGというのも、なかなか理不尽な話ではないでしょうか。

そもそも感情的に怒鳴らなければ、驚くこともなければ泣くこともなかったであろうに、怒鳴った張本人は何のお咎めもなく、驚かされ泣かされた人ばかりが責められるのはあまりにも理不尽極まりないものです。

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「怒鳴られる方にも落ち度があるのではないか?」と言われるから面倒

怒鳴られることについて話しても「怒鳴られる貴方にも責任があるのでないか?」という、至極ご最もな言葉が返ってくることがよくあるものです。

もちろん、怒鳴られる側に落ち度が全くないと言うことはほぼなく「怒鳴られるだけのことをしでかしたのだから、怒鳴られても仕方ないよね」という結論にたどり着くのは、自然なことです。

このような怒鳴られる側の責任を追及する行動は心理学用語の「公正世界仮説」で説明することができます。

公正世界仮説は、

「努力は報われる」などの良い行いをすれば良いことが起きるという、悪い行いをすれば悪いことが起きるという、この世は公正であるという考え方に基づいた人間が持つ心理を指します。

のことであり、ときに怒鳴るという行為を肯定したり、怒鳴られた人へのバッシングへと繋がることもあります。

大抵の人にとっては、何の前触れもなく怒鳴られたり、理不尽な理由で怒鳴られる世界というのは受け入れ難いものです。

ですが、上でも触れたように怒鳴るという行為には明確な基準がなかったり、理不尽な理由で怒鳴られることもあり、この世は公正ではないという漠然とした不安を感じていることでしょう。

その不安を払拭するためにも「怒鳴られる人は相応の過失があるはずだ」と考えてしまった結果、怒鳴られた人を過度に追い込んでしまうのです。

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余談:「怒鳴る」こと「自責の念による反応増幅仮説」

怒鳴る事と関連のある心理学用語として「自責の念による反応増幅仮説」についても触れておきます。

自責の念による反応増幅仮説は、怒鳴るなどで自分が傷つけてしまった相手が明らかに傷ついた様子を見ると、その相手に対する嫌悪感を強めてしまうことを指します。

怒鳴ったことで相手を萎縮させたり、泣かせてしまう状況になれば、いくら怒鳴った側の立場が上であっても、怒鳴って人を傷つけた事実を元に周囲から白い目で見られてしまい「流石にやりすぎた」という自責の念を抱きます。

しかし、この自責の念をしっかり受け止めようとせず

  • 「これぐらいでビクビクする方がおかしい」と、相手に非があると言い張る。
  • 「社会人は怒鳴られるのが仕事」と、一般論に置き換えて自責感情を希薄化させる。
  • 「怒鳴っているのは期待している証拠だ」と、善人ぶって自己正当化する。

などの方法で自責感情から逃れようとするのが、自責の念による反応増幅仮説なのです。

自責の念による反応増幅仮説により出た言葉の多くは、自責の念から逃れるための言い逃れとして捉えられることが多く、怒鳴られた側やそれを見ている人が嫌悪感を抱くのには十分な言葉だと思います。

怒鳴ることすらなければ自責の念に苦しむことすらないのに、わざわざ怒鳴ってしまい自分で自分を苦しめる。

そして怒鳴った相手も苦しむという不毛さが、怒鳴る人に感じる苦手意識の正体なのかもしれません。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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