自己啓発に興味があったり、自分の意識を高く変えたい人の間では「根拠のない自信を持つ」ことがしばしば話題になりまが、その背景で根拠のない自信を迷惑に感じている人がいます。
根拠のない自信とは、文字通り根拠がない自信のことであり、私はありのままでも大丈夫、理由はないけど前向きで自信があるという、状態を指します。
根拠のない自信は精神的に辛いや追い詰められている時に、少しでも気を楽にして前向きな気分になるために、まずは自分を無条件に肯定する時には有効な手段です。根拠もなく自分は自分でいい、今の自分を卑下することはないと思い込むことは、憂鬱な気分を断ち切るためには効果があります。
また、根拠のない自信は、自己啓発に限らず、仕事やスポーツのイメージトレーニングでも使われることがあります。
「失敗したらどうしよう…」と尻込みするのではなく、「自分はできる」という根拠のない自信を持つことで、自分の限界を自分で突破、更に成績を伸ばしていく原動力となるので、競争社会で生き抜く人には根拠のない自信を持つことは重要だと見ることもできます。
しかし、ときに「根拠のない自信さえあればなんでもできる!」という過信した状態になってしま空回りしてことがあります。
「筋肉があれば全て解決できる」というマッチョイズムのように、根拠のない自信があれば全てうまく行くという考え方も決していい面ばかりというわけではありません。
今回は、意識を高くしたい人がよく使う「根拠のない自信」についてお話いたします。
根拠のない自信が持つデメリット
嘘をついて自分を大きく見せる原因になる
根拠のない自信がついてしまうと、嘘をついて自分の経歴やプロフィールを盛ったり大きく見せようとします。
しかし、ビジネスの場面で嘘をついてしまうと、今の自分の実力では到底こなせそうもない仕事を引き受けてしまい、途中で挫折してしまう原因となってしまいます。
もちろん、仕事を取るために多少自分を脚色することが無意味なわけではありませんが、あまりに自分の能力を過大評価してしまう現実離れした自分を演じながら身の丈に合わない仕事をすると、トラブルの元になります。
また、嘘をついていることが相手に知られたら、それが原因で自分の信用を落としてしまう原因にもなります。
常に人から賞賛されることを望むようになる
根拠のない自信をつけようとする人は、もともと自分に自信がなかったり、コンプレックスがあるために素の自分をさらけ出せないという人が多くいます。
しかし、一方では自分のことを認めて欲しい、すごいと言って欲しい、尊敬して欲しい、という承認欲求が強く、社会から受け入れられることで自信を手に入れたいという一面もあります。
そういう人が根拠のない自信を身に付けて、(多少自分を盛って)周囲にアピールしてると最初のうちは好意的な反応が返ってきて、自信を身に付けることができます。
しかし、自分を脚色してアピールして楽に自信を身に付けることばかりに熱中し、周囲から認められるように勉強をしたり努力を積み重ねるなどの地道な訓練をせず、自信過剰な振る舞いばかりが目立ってしまうケースもあります。
地道な練習をせず、手軽に自信がついた…と感じても実際の自分は以前とさほどかわらず、ハッタリだけが上手くなっていることに内心焦りや苛立ちを感じているのです。
理想の自分と現実の自分とのギャップが大きくなる
根拠のない自信を持つ人は理想の自分像がやたら肥大化する一方で、現実の自分は理想には程遠いという人をよく見かけます。
理想と現実が違いすぎて、「いい加減目覚めなさい」と冷静なツッコミが入るほどギャップが激しい人もいます。
この行動は、ビジネスやスポーツでの成功者に自分を見立てて、その人たちのように振舞うことで、根拠のない自信を身につけるようとしていることが原因として考えられます。(=同一視)
しかし、ビジネスやスポーツでの成功者は相応の結果を出しているからこそ自信ある振る舞いができる、つまりある程度は根拠のある自信を持っているのだという視点が抜けているため、表面的に自信がある人の振りを真似しているだけのものとは異なります。
もちろんやっていることが真似だけで終わらず、成功者と呼べるにふさわしい器の人間になるための勉強やトレーニングなどに着手していく必要がありますが、大抵は真似だけで終わる意識高い系の人だと言われてしまうことになります。
見せかけの自分をアピールするスキルが身につくばかりで、地道な努力ができなくなる
地道な努力をすることは、自分は思っているほど実力も経歴もなく立派な人間ではないという、あまり認めたくない不都合な現実を嫌でも見つめなければいけません。
そのため、自分のちっぽけさを自覚するような地道な努力は避け、
- 自分は素晴らしい人間でありたい
- 手軽に大きな結果が出せる才能のある人間だと硝酸されたい
というような自分にとって都合のいい周囲からの評価を得るために、自分を表面的によく見せるためだけのテクニックを磨いてしまいがちです。
また、地道な努力を否定するだけでなく、努力して何か仕事に必要なスキルを身に付けることよりも、何も努力せず生まれながらに備わった才能こそが評価されるべきと考えた結果、ありのままの自分を認めて欲しいと周囲にアピールしてしまう人もいます。
ありのままの自分とはいえ、大した努力もせず成果は半人前、そのくせ自分は人よりも2倍働いているとやたら自己採点が高く、全能感丸出しをアピールしてくることも多々あります。
それに関して周囲の人が成果に見合った妥当な評価を下しても「あの人たちは自分のことを見る目がない」と反発し、周囲から孤立してしまう原因にもなります。
根拠のない自信は迷惑をかけることもある
根拠のない自信をにのめり込んでしまう人は、現実の自分を正しく見ることができなくなるだけでなく、現実を自分にとって都合のいいように解釈してしまうことがあります。
なお、最初のうちは冷静な指摘を受け入れるだけの謙虚さはあったのに、次第に理想の自分が肥大化してしまい、相手の指摘を受け入れると肥大化した理想像が崩れてしまうことに不安を感じ、指摘を聞き入れず「あの人は嫉妬しているだけだ」と、肥大化した理想像に都合のいい考え方をすることがあります。
「相手は嫉妬している」考えれば、自分は嫉妬されるだけの特別な能力や魅力がある人とも見ることができるので、それをいいことに理想の自分を下方修正することなく、
- 人の助言は聞かない
- 助言をした人のことを見下す
- 言い訳をしてごまかす(=自己正当化)
- 反省をしない
- 自分を認めてくれない人に排他的になる
- 逆に自分を認めて食える人に対しては付け上がったり、承認欲求のために利用しようとする。
といった独りよがりで迷惑な行動が目立つようになります。
根拠のない自信は詐欺や情弱ビジネスに使われることもある
根拠のない自信は、胡散臭い自己啓発セミナーや自己啓発本、情弱ビジネス目的で使われることがあります。
例えば「自分を変えたい、自信をつけたい」という人向けの自己啓発セミナーで儲けたい場合、セミナー主催者としては自信のあるキャラを振舞うことが重要です。
自信がなくオドオドした態度の人が主催者となると、参加する人も「本当にこの人のセミナーで自信がつくのだろうか」と疑問を感じてしまい、成約率が下がる原因となります。
そうならないためにも、「今まで自信がなかったことで悩んでいたけれど、根拠のない自信を付けることで私は人生を変えることができました!」という露骨でわかりやすいクセスストーリー設定を主催者自らが演じて、雰囲気を作ってセミナーへの参加を呼びかけるのです。
自信満々に振舞うのはあくまでもセミナーに参加してもらうための演技である、商売のためのポジショントークであるという点を頭の片隅にでも入れておく必要があります。
また、自信満々に振舞うことはセミナーの他にも、投資話などでもよく見られます。
株や不動産のように買って値上がりすることもあれば、値下がりすることもある商品の場合、どうしても買うことをためらう人は出てくるものです。
しかし、そんなリスクのある商品を何としてでも売りたい人は、根拠の無い自信を使って自信満々「この銘柄は値上がりするから買うべき!」と煽りたて、迷っている、ためらっている人に購入させ売り抜けようとするのです。
買わされた人は「あれだけ○○さんが自信を持って言ったのだから値あがりするに違いない」と楽観視したり、儲かったあとのことを考えて有頂天になっていますが、冷静に見れば儲け話にホイホイついて行き、迂闊に手を出したカモにほかならないのです。
根拠のない自信でもバランス感覚は大事に
根拠のない自信は、やはり根拠となるもの(仕事の成果、スキル、学力など)がなく、非常に不安定な自信でもあります。
どうしても自信がなかったり、大事な仕事や試合の前であと一歩前に踏み出せる自信が欲しい時に使うという使い方ならともかく、常に使い続けて依存してしまうのは考えものです。
根拠のない自信を重視する人は、学力や仕事の成果と言った明確な根拠のある自信を軽んじるあまり、それらで自信を付けることは今の自分の考え方を否定することになると考えていることもあります。
- なにか自分を変えるために根拠のない自信を身についた
- …で、変わった自分が勉強やトレーニングで技術を身につけたら、それは根拠のある自信を身につけたことになる
- …あれ、根拠のある自信を身につけちゃったら、今までの根拠のない自分って一体…?
という、過去の自分を否定してしまうことに苦痛を感じているのではないかと、根拠のない自信で振り回されている人を見ると感じることがあります。
根拠のない自信も根拠のある自信も、どちらか一方が優れており、もう一方は絶対にダメと考えるのではなく、どちらもメリット・デメリットがあるけれど、柔軟な目線で見てうまく活用していくことを取り入れてみれば、振り回されずに済むように感じます。