この記事は「自己肯定感が高すぎる女性の特徴について」の続編です。
自己肯定感が高い男性は、たいへん男らしいというか、精神的にたくましくて頼れる兄貴肌気質な男性ではありますが、一方で自己肯定感が高すぎるとナルシストのように全能感あふれる自分に陶酔したことで、周囲と衝突を起こしてしまう原因になります。
また、自信満々で仕事や勉強等であらゆることに挑戦しようとするものの、そのどれもが身の丈にあっていない身の程知らずの挑戦であり、慎重さがまるで見られない。勇気があるように見えて、実はそれはただ向こう見ずな勇気…つまり、無謀や蛮勇でしかないと感じさせるものがあります。
今回は、そんな自己肯定感が高すぎる男性の特徴について、お話いたします。
※タイトルでは「男性」となっていますが、女性でも見られる特徴がありますので、参考にしてください。
自己肯定感が高すぎる男性に多いこと
冒頭でも触れているように、自己肯定感が高いことは男性らしい、精神的なタフさや我慢強さ、やる気に自信に満ち溢れている…など、仕事や勉強など成果を出すことが求められる場面では高く評価されることでしょう。
しかし、自己肯定感が高すぎる場合だと、流石に評価するにしても、ちょっと躊躇するような危なっかしさがある。「自分には不可能なことはない!」という気持ちが空回りして、よからぬことが起きてしまうような危なっかしさを感じます。
では具体的にはどのようなことが、危なっかしいと感じるのかについて、以下で詳しく触れていきます。
否定的な意見だけでなく疑問の声すらも強く拒絶してしまう
自己肯定感が高すぎて、自分に対して過剰な自信や万能感を持っていますが、それらはあくまでも現実を正しく認識できていないがために生まれた不安定で脆い考え方です。
自尊心(プライド)だけが肥大化しすぎて、プライドを傷つけられることに過剰反応してしまう人のように、自己肯定感が高すぎる人もまた「自分にはできないことなどない」という考えが揺るぎそうな言葉に対して、強く反応すると同時に拒絶することが目立ちます。
たとえば、自分が仕事や勉強等で難易度が高いことに挑戦しようとしているときに「少しレベルを下げたらどうか?」という言葉に対して「俺の足を引っ張るつもりか!」「もっと他人を応援する姿勢を持つべきだ」と話を聞く耳を持たない。直接的な批判意見だけでなく、助言や疑問までも強く拒むことが目立ちます。(まぁ「やる気に満ち溢れている人の熱意を削ぐような発言は野暮」という意見もわかるが…)
あくまでも、自分が今から始める挑戦が成功することは確約されているものであり、それにそぐわない意見は、たとえ親切心であっても拒む。それどころか、人によっては「あいつはドリームキラーだ!」と心配した人に対して乱暴な態度を取る余裕のなさがあります。(余談ですが、ドリームキラーという言葉を使う人って、自己啓発が好きだけどあまりパッとしない人に多い気がするのは気のせいでしょうかね…)
受験、就職、転職、結婚、資産運用…など、その後の人生の大きく左右する場面において、あくまでも自分の判断を肯定してくれるような意見ばかりを好むと同時に、それ以外の意見を受け入れようとしない、頑固な一面があります。
自分は有能であるという思い込みの強さが災いし、人間なので凡ミスもするし、判断を誤ることもあるという最もな現実ですらも、自分の有能さが揺らがせる驚異であるとみなしているのだと見れます。
自分よりも自己肯定感が低い人を格下に見ている
自己肯定感が高すぎるあまりに、低すぎる自己肯定感を持っている人に限らず、妥当な自己肯定感を持っている人に対してもマウントを取って優越感に浸ろうとすることが目立ちます。
高すぎる自分を基準にすれば、大抵の人は「自分より自己肯定感が低い」と感じてしまう。(まぁ、そりゃそうなるわな)
その一方で、自分が高すぎる自己肯定感を持っているという自覚がなく、自分自身を客観的に見れないことも伺えます。
また、仮に客観的に見れたとしたら、その場合は高すぎる自己肯定感を持っている自分を否定することに直面する。
つまり、今の自己肯定感の過度な高さを否定して、適度なものに修正していく必要性が出てきますが、それは高すぎて非常に脆い自己肯定感と、それを持っている自分にとっては強い精神的な苦痛を伴う作業になる。
そのため、苦痛を回避することを優先して、あえて高すぎる自己肯定感を持ち続けることを選んでいるとも見れます。
自己陶酔が激しい
冒頭でも触れたように、(ナポレオンのように)「自分に不可能などない」という万能感に酔いしれている。それはまさに、ナルシストそのものであり、見ている側が恥ずかしさを感じてしまうものです。
もちろん、自分で自分に酔って自己完結するのならまだ笑って済ませられますが、大抵は自分の自己陶酔に他人を巻き込んでしまうために、煙たがられてしまう人とも言えます。
まるで意識高い系社会人のように、自分は凡人とは違う才能や人望があり、輝かしい未来が待っている選ばれし人間と思い込んでいる一般人でしかない、というギャップ&シュールさが特徴的です。
自分を大きく見せるための嘘や誇張が多い
自己陶酔に関連して、
- 自分は如何に有能であるか、あるいは万能であるか
- 自分は如何に他人に期待を抱かせるだけの才能があるか
- 自分は如何に優れた肩書きや社会的地位を持っているか
など、自分を大きく見せるための発言の多さが目立ちます。しかし、その発言の多くは嘘や誇張など、自分の思い込みが反映されたものであり、冷静に聞いていれば首をかしげたくなるような矛盾点が目立ちます。
もちろん、この発言はリアルの人間関係だけでなく、ネット上(とりわけSNS上)ではよく見られると同時に、嘘を嘘と見抜けず信じ込んでしまう人が後を絶えません。
なお、自分の認知に会った状況を求めること(=認知的斉合性理論)を踏まえて考えると、これは周囲の人に対して「自分は自己肯定感が高くて能力がある人間扱いすべきである」と求めている事と見れます。
自分だけでなく他人からも「あの人は自己肯定感が非常に高い人である」という認知を持たせるように働きかけていると言える…つまり、高すぎる自己肯定感で他人を振り回しているといえます。
慎重さが足りず、どう考えても無謀なことに取り組もうとする
自分ならなんでもできると思い込むことの弊害として、何か新しいことに取り組む際に慎重さが見られないことがあります。
その姿勢は、よく言えば行動力があり勇気に溢れていると表現できますが、悪く言えば後先考えず目に入ったものになんでも飛びついてしまい、向う見ずな性格をしていると言えます。
たとえば、何かに投資するとなった場合、自己肯定感が高すぎる人はリスク(損失)を見ようとせず、リターン(利益)ばかりに注目する。そして、自分の金銭事情ではかなり厳しい金融商品にまで手を出して借金を抱えて首が回らくなる人のように、防げたはずの事態を防げずに破滅してしまいそうな蛮勇っぷりを持っており、傍から見ているとハラハラするものがあります。
もちろん、自己肯定感が高くてガッツがあるのは良いことではありますが、自己肯定感が高すぎて、怖がらなくてもいいものと怖いから避ける必要性があるものとを判別できなくなることは考えものです。
無批判に自己肯定感を高くすることを良いものであると持て囃す風潮は、欧州のことわざ「地獄への道は善意で舗装されている」にあるように、自他ともに自己肯定感を上げることに邁進することが、果たして自分or他人のためになるのだろうか…という疑問が湧いてなりません。
自己肯定感が高すぎる男性同士の人間関係に対する考察
余談ですが、自己肯定感が高すぎる人同士の場合は、お互いに似たような主義主張を持っている事と、お互いにお互いを褒めて認め合って意気投合することも多いので、多少距離感が近くて鬱陶しい関係であっても上手くいくことがあります。
しかし、お互いにお互いを褒めて煽てて付け上がらせてしまうことで、余計に傲慢な行動を取るようになったり、勘違いを起こして突拍子もない鼓動に出てしまう。
そのほかにも、他人から褒めてもらわなければ維持できないほどに、高すぎて不安定な自己肯定感が身についてしまうことから、お互いがお互いに精神的に依存する関係…つまり、共依存の関係に陥ることもあります。
男性同士の共依存というのはあまり想像しにくいものではありますが、お互いがお互いに現実離れしていて不安定な自己肯定感を持っており、それを支えてくれる存在を欲しているとなれば、そこには男性も女性も関係ないと感じます。
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