今やtwitter、facebook、インスタグラムなどの各種SNSは生活の一部になっていますが、人SNSがあたり前の生活を振り返ると、SNSがなければ下手に自己肯定感を下げずに済んでいたのではないか…と感じることが多々あります。(なお、最近ではSNSの他にも、youtubeなどの動画メディアも、これに含めてもいい気がします。)
SNSは、リアルの人間関係では会えない自分と同じような考えを持っている人とであったり、悩みを持っている人と顔を合わせずとも交流できるのが魅力的です。
しかし一方では、自己肯定感を下げてしまうほどに格上の人と関係を持ったことが原因で、つい嫉妬の炎を燃やしてしまったり、自分の不甲斐なさを実感して自分で自分が嫌になってしまう…そんな、気持ちにさせてしまう状況を招いてしまう側面もあります。
今回は、そんなSNSが自己肯定感を下げてしまう理由や背景について、お話しいたします。
SNSが自己肯定感を下げる理由
自分よりも優れている人の存在の多さ
たとえば、SNSを主な活動拠点としている、イラストレーターや漫画家など、いわゆる「絵師」と呼ばれる人たちにとっては、自分よりも上手な絵を描く人や、自分には表現できないようなセンスを持つ人など、何かしらの点で自分よりも秀でている他の絵師の方が簡単に見つかってしまうのが、SNSの世界の残酷さでもあります。
SNSがなければ、リアルの知人・友人・仕事仲間など、ごく限られた人間関係の中で「絵が上手い人」という認識を得られて満足できていた人が、SNSが当たり前の現代ではリアルの関係では「絵が上手い」と言われても、ネット上では自分よりも上手な人が多いために「平凡」という評価を受けてしまう。
SNSの世界では自分よりも優れた技術や経験を持つ人が、現実の人間関係以上に大量にいるために、いつまでたっても「自分は優れている、技術がある」という実感が持ちにくい。結果として、絵が上手いということで自己肯定感が得られにくくなるのです。
もちろん、このことは絵の世界に限らず、勉強、スポーツ、仕事、社会的地位や肩書き、コミュニケーション能力、美貌、人脈…など、あらゆる場面で自分より秀でている人のアカウントが存在しているので、常に「自分は誰かと比較すると劣っている」という劣等感を抱かせるような状況に直面してしまう。
これこそが、SNSという不特定多数の人と関わりを持つことを可能にしたツールだからこそ起きる問題だと感じます。
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容赦の無い批判コメ、ネガコメが来やすいこと
誰かと比較して云々よりも、SNS上でより直接的に自己肯定感を下げる要因になるのが、容赦のない批判的なコメント、あるいはいわれのない誹謗中傷や罵詈雑言などの、いわゆるネガティブなコメント、アンチコメントが来やすいことです。(なお、ここでいうコメントは文字だけでなく、コラ画像やスクショなどの画像も含む)
- 匿名制である。
- 相手の顔・表情・声色などがわからない。
- 一大事になればアカウントを削除して逃亡することもできる。
- 多くの人が否定的なコメントを投げかけている状況であることが外部の人間からもわかりやすい。(例:ネガコメ、低評価の多さなど)
…など、特定の相手を攻撃しても罪悪感や責任感を感じにくい心理になってしまう条件がSNSには存在しているため、リアルの人間関係ならおよそ口が裂けても言えないような厳しい言葉を気軽に言えてしまう。
そして、その厳しい言葉をモロに受けてしまったことで、自己肯定感を下げてしまいやすいのがSNSの世界なのです。
SNSで時間を潰している事に気づいて自分で自分が嫌になる
身も蓋もない話ですが、ただSNSに入り浸り過ぎて、時間を無駄遣いしていることに気がついて、自分で自分が嫌になる。
ちょっとした隙間時間ですらも、SNSに費やしてしまった結果、一日で見れば細切れの時間であっても、合計すればかなりまとまった時間をSNSに費やしているという受け入れがたい事実を目の前にして、自分のどうしようもなさを感じてしまうことです。
なお、普段の生活を見渡せば、隙間時間をSNSに費やしている人は、決して自分一人ではないのは明白です。信号の待ち時間、電車の待ち時間、外食先で料理が出てくるまでの待ち時間…など、あらゆる待ち時間の暇つぶしとしてSNS(というかスマホ)は非常に優秀です。
その優秀さゆえに、多くの人が暇つぶし(あるいは時間の有効活用)として利用しているのも納得できます。
しかし、この納得感こそが、自分がSNSにより多くの時間を浪費していることを薄れさせてしまう厄介な側面もある。
つまり、「みんなSNSで時間を消費しているんだから、自分もSNSで消費しても問題ないよね」という自分への甘えを生んでしまう。そしてその甘えに負けた自分を、後々冷静になった時に自覚し、自分の不甲斐なさを身にしみて感じてしまうことが(筆者だけかもしれませんが)あります。
他人から認めてもらえる自分になることに夢中になって自分を見失う
SNSで散々劣等感を感じるものの、現実世界では自己肯定感が育つほど恵まれた環境ではない…となった場合、SNSの世界を拠り所にして自己肯定感を育てていくこともあるでしょう。
SNS上で自己肯定感を育てるためには、とにかく多くの人から賞賛されたり注目を集めるような人物(アカウント)を作っていくことが基本になりますが、そこで起こるのが他人から認められる自分になった結果、自分自身を見失うことです。
たとえば、絵師の場合SNS上にて自分の作品が認められるためには、自分の描きたい作品よりも、まずは流行りのジャンルの作品をよく調べてその作品を描くことが、閲覧数やいいねの数を稼ぎやすくなります。
そのほかにも、フォロワーの数が多い人や、あるコミュニティ内で影響力を持つ人と積極的に交流を持ちに言ったり、普段の投稿の中にお絵かきで役立つ情報を頻繁に投稿して、他人に有益な情報を与え続ければ、SNS上にて自分の存在を知る人を増やせます。
ただし、知名度獲得のためにやったこれらの行動は、あくまでも自分を過剰によく見せるために行ったことであり、本当の自分が認められているとは言えない。
閲覧数やいいねの数など、数字の推移では、確かに自分という人間が認められ評価されていることは明らかだけど、その数字はあくまでも自分をよく見せるためにやっているブランディングがうまく言っているだけで、本当に自分という人間が認められて評価されている…とは言えないことで自己肯定感を持ちづらくなるのです。
SNS上で評価されるためには、ある程度SNS上で評価されるような自分を演じることが重要。
しかし、演じれば演じるほどに評価は受けるものの、そもそもが演じているので自分を見失ってしまうのが、SNSという評価が客観的な数字でわかってしまうツールが持つ負の側面だと感じます。
SNSで他人から認められるのではなく、自分で自分を認められるようになるのが大事という考え
SNSで自分が評価されているといっても、それは所詮は自分ではなく他人が評価した数字である以上、高いor低い評価を得るの自分の実力ではなく、他人のさじ加減次第で簡単に左右されてしまうことになります。
また、評価そのものが一時の流行や、有名な人に拡散されてもらったこと…など、自分一人の力ではどうにもならない要素が絡んでいるとなれば、SNSで確かな評価を得て自己肯定感を育てていく…という、画は描きにくいものです。
SNSの世界に入れば、上を見ればキリがないし、今はそれなりに上のランクに属しているといっても、新たに頭角を現してきたルーキー的な存在が出てくれば、簡単に劣等感を味わうハメになる…
そういったことを踏まえると「いっそのこと、SNSをやめたほうが自己肯定感を育てるのにはいいのでは?」という考えも出てきますが、SNSが当たり前の時代にそれは難しいとも感じます。
月並みな結論になりますが、SNSで自己肯定感を身に付ける場合は、他人から認められることに熱意を注ぐのではなく、自分で自分を認められるようになることが大事なのではないかと感じます。
誰かと比べて劣っているor優れているという他人を基準にするのではなく、過去の自分と今の自分とに絞って、自分の進歩を見ていくことがリアルの世界に限らず、SNSの世界でも基本だと言えます。
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