自己肯定感の低い人の中には、自己肯定感が低くなっても仕方がないような偏った物の見方や思考の癖をしていることがあります。
その思考の癖は、心理学では外的統制型と内的統制型と呼ばれる2種類の概念で説明できます。
では、具体的に自己肯定感の低い人の思考の癖はどういったものなのか。また、その思考の癖が人間関係や社会においてどのように見られているのか…今回はこのテーマについて、お話しいたします。
自己肯定感が低い人の思考の癖
仕事や勉強などにおいて、何かしらの出来事(主に失敗や恥をかくことなど不快な経験)が起きた時にその原因がその原因が自分以外の誰かや何かにあると考えるのを外的統制型と呼び、逆に原因が自分にあると考えること内的統制型と呼びます。(ついでだが、ある出来事の原因が何に求めるかは心理学では「原因帰属」と呼ぶ)
ざっくりと言えば、
- 外的統制型=他責で物事を判断する傾向が強い。
- 内的統制型=自責で物事を判断する傾向が強い。
となります。
一見すると、不快な出来事の原因が自分にあると考える内的統制型の人の方が、外的統制型の人と比べて自己肯定感が下がりやすい思考をしていると考えてしまいがちですが、外的統制型にも自己肯定感が下がってしまう思考の癖があります。
外的統制型から見る自己肯定感の低さ
外的統制型の人は、自分の身に起きた嫌な出来事を他責によって片付けようとするので、自分んを不必要に責めることもなく、罪悪感に苦しまずに済むように動くという、図太い性格の持ち主に見えるかもしれません。
しかし、他責によって片付けるのは不快な出来事だけでなく、自分にとって喜ばしい出来事でも同じ…つまり、自分が賞賛されたり感謝される場面でも「こうした扱いを受けるのは、皆様のおかげです」と、自分が置かれている喜ばしい状況が自分の実力ではなく他人の功績によるものだと考えてしまいます。
また、他人のおかげの他にも「今回は運がよかっただけですよ」「たまたま状況がよかっただけです」と、自分以外の何かのおかげであると考えてしまい、自分が賞賛を受ける場面で妙に消極的な態度を見せてしまう。
素直に賞賛や感謝の言葉を受け取ろうとせず、その言葉を自分以外の何かに手柄を譲るかのような行動に出てしまった結果、自分に自信が持てなくなったり、自己評価が高まらないままの状態になるのです。
もちろん、外的統制型が持つ他責思考の強さにより、自分のしでかした過ちを反省せず、そして改善もできない状態になる。失敗から進歩できないことが影響し、勉強や仕事において自分が成長している実感が持ちづらいことから、自己肯定感を下げてしまうこともあります。
なお、外的統制型は、もしも失敗が起きた時に必要以上に自分のせいだと思わなくて済むので、ストレスを抱えづらいというメリットもあります。適度に外的統制型の思考を身につけておくことは、決して悪いことではないと言えます。
内的統制型から見る自己肯定感の低さ
内的統制型の人は、自分の身に起きた嫌な出来事を自責によって片付けようとするために、つい自分には落ち度がないことまで「自分のせいだ」と考えてしまい、無駄に落ち込んでしまう傾向があります。
また、普段から自責で考えてしまう癖が災いして、
- つい自分の欠点ばかりを見てしまう。
- 「再発防止のために自分にもっとできることはないか」と考え込んでしまう。
- 仕事や勉強で努力を重ねても「まだ努力が足りない」と追い詰めるような考え方をしてしまう。
など、責任感が強いというレベルを通り越して、自分で自分を追い込むような強迫的な物の見方がついてしまい、自信が持ちにくくなったり、自己評価が上がりにくくなるのです。
なお、外的統制型と比較した場合、失敗した出来事に対してしっかり向き合える分、同じ失敗を起こさないように対策を立てたり、自分にとって喜ばしい出来事が起きたときに「これは自分の実力のおかげ」と、素直に自分を評価できるというメリットもあります。
他責と自責の双方のバランスがちょうどよい物の見方を身に付けることが、自己肯定感を下げないためには大事なのです。
自己肯定感が低い人が起こす負のスパイラル
自己肯定感が低い人…特に外的統制型の傾向が強い人には、自己肯定感を下げ続けてしまう、一連の思考の流れを持つことがあります。
- 物事がうまくいっても、それは自分以外の誰かや何かのおかげであると考えてしまう。
- 自分に向けられた評価を自分以外の何かに結びつけるので、自己評価は高まらないまま。
- 「自分は評価されない無価値な人間である」という自己イメージを持つ。
- 自暴自棄になり、他人からダメな人間と見られるような行動をとってしまう。(例:セルフハンディキャッピングのように過度に予防線を張る等)
- その状態でまた物事が上手くいっても「これは自分の手柄ではない」と考えてしまう。(以下2~5を繰り返す)
という、自己肯定感がいつまでたっても育たたない負のスパイラルが見られます。
無価値な人間であると考えているからこそ、自分の能力や実績に対して自信を持つことは難しい。
仮に、仕事や勉強でそれなりに成果を上げたとしても、その成果は自分の手柄ではないと考えてしまうので、他人からの評価は高いものの自己評価は妙に低くて、見ているこっちが心配になってしまう…そんな気持ちを抱かせてしまうような言動を見せることがあります。
なお、この一連の行動により、関わる人からも「あの人は褒めても素直に受け入れてくれない、ひねくれた性格をしている」と見られて、距離を置かれてしまうこともあります。(そもそも、自暴自棄な言動のせいで、関わりづらい人とみなされている可能性も十分あるが…)
後述することに関わりますが、やたら謙遜する癖があったり、褒め言葉を叩き落すような受け答えをしてしまう人に感じる付き合いづらさは、その人が持つ他責傾向の強さ故に、自分の素直な褒め言葉を受け取ろうとしない相手の行動に覚える違和感が原因と考えられます。
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自己肯定感が低さから来る行動が「謙遜」として評価されてしまう問題
- 外的統制型の人が見せる「手柄を他人に譲る」こと
- 内的統制型の人が見せる「責任感が強いというレベルを通り越した行動」
自己肯定感の低い人が見せるこの二つの行動は、「謙遜」という言葉がどういうものかをよく表している行動であり、日本では美徳とみなされ高評価を受けてしまう…という厄介な問題があります。(謙遜以外には、謙虚、慎み深い、控えめである…という評価も可能)
しかし、これは言い換えれば、謙遜に値する行動を取れば取るほどに、自ら自己肯定感を下げてしまう物の見方が身についてしまう危険性があるとも言えます。
メディア等で耳にする日本人には自信がないとか、日本の若者は海外の若者と比べて自己肯定感が低いという内容のニュースやデータ(子ども若者白書)の裏には、謙遜を尊ぶ文化が影響して、自己肯定感を育てられないものの見方が美徳として身についてしまっている結果ではないか…という仮説が、この記事を読んでいる読者の皆さんであれば、立てることができようかと思います。
最後になりますが、(現実的かどうかはさておき)自己肯定感を持つためには、あえて美徳を捨てることにはなりますが、謙遜をするのではなく「自分の手柄は自分の手柄!」という、堂々とした態度を取ることが大事と言えます。(もちろん、こうした堂々とした態度をとることが、時に「図に乗って威張っている」として、批判の対象になってしまうので、この問題は非常にややこしい問題ですが…)
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