自己肯定感が低い人の言動をよく見ると、その人が普段から持っているある種の思い込みの強さが、言動に強く反映されているものです。
- 自分に対する否定的な発言が多い。
- 完璧であることをやたら求めたがる。
- 社会が求める正しい生き方をしなければいけない。
- 物事を悪く見てしまうものの味方の偏り(バイアス)がある。
など、知らず知らずのうちに身につけてきた思い込みの強さによって、自己肯定感が低い状態がキープされているのです。
では、どういった思い込みが自己肯定感を下げてしまう原因になるのか…今回は、このテーマについてお話いたします。
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自己肯定感を下げてしまう思い込み
「いつでも他人から認められるような存在であらねばならない」という思い込み
友達、家族、職場の人、SNSのフォロワーなど、あらゆる他人を喜ばしたり、期待に沿わなければいけない…という思い込みは、自己肯定感を下げてしまう原因になります。
こうした行動は、傍から見れば友達or仲間思い、貢献心が強い、サービス精神旺盛として、それこそ他人から評価され認められる素晴らしい考えではありますが、一方で「他人から認められないような存在でなければ自分には価値がない」と無意識のうちに考えてしまう危うさもあります。
また、他人から認めてもらうことを優先するあまりに、他人の顔色を伺い過ぎて自己主張ができなくなる。ほかにも、SNS等でいつも誰かとつながっていなければ自分に価値を感じられず、他人の存在に依存しなければいけないほどに、情緒的に不安定になることもある考え方です。
もちろん、他人の期待に添えるように努力することそのものは否定しません。しかし、気をつけておきたいのが、「自分の価値や評価は他人から認められることだけでしか証明できない」という、偏った考え方に陥らないことが大事なのです。
他人から認められる自分もそうでない自分も、どちらも価値ある自分として受け入れることが、自己肯定感を下げないためには大事なのです。
「完璧であらねばならない」という思い込み
いわゆる、完璧主義のことです。受験、スポーツ、仕事など、一定の成果を出すことが求められる場面に限らず、普段の人間関係の中でも完璧主義ゆえに、人と関わることに恐怖感を覚えてしまう場面にも通ずるものがあります。
完璧主義の裏には
- 「自分が完璧なのは当たり前、百点満点の成果で喜ぶ必要性はない」という、自分への過小評価の強さ。
- 「何事も完璧にやらなければ、自分には価値がない」という、0か100かしかない両極端なものの見方の強さ。
- 「完璧でなければ他人から見放されてしまう、失望させてしまう」という、他人から見捨てられる事への不安の強さ。(これに関しては、「他人から認められなければならない」という思い込みにも通ずるものがある。)
といった、自己肯定感を下げてしまう考え方の偏りがあります。
傍目には、完璧を目指すだけのストイックさがあり、精神的なタフさや諦めない心の強さなどを感じるものですが、その印象からは伺えないような内面の不安定さがあります。
「間違うようなことがあってはいけない」という思い込み
完璧主義からの続きですが、進学や就職といった自分の人生を大きく左右するものから、外食で何を食べるか、どんな服を着ていけばいいのか…など、日常生活でありふれた光景の中にまで「正解」を求めてしまう人もまた、自己肯定感を下げてしまう思い込みの持ち主です。
失敗して損をすること、恥をかくこと、他人に不快な思いをさせることに対して強い抵抗感があるからこそ、やたら「正解」にこだわってしまうのですが、こだわりの強さ故に優柔不断な態度をとってしまうと同時にそんな自分に嫌気が差してしまう。
また、正解と思える判断を自分で選んだとしても「もっといい方法はなかったのではないのか」と、どうしようもできないことで思い悩んでしまう為に、自分に対する満足感や自信が持ちにくいのが特徴的です。
なお、「間違うようなことがあってはいけない」という考えの強さ故に、あえて決断を保留にしたり、「決断そのものをしない」という決断を下してしまうこともあります
これは「間違いが起きない状態にしてしまえば、自分の中では間違いなんて存在しておらず、間違ったことに怯えなくてもいい」という理屈があるからこそ、無意識のうちにやってしまう行動だと考えられます。
しかし、そんな思惑があることを他人が理解することはたいへん難しく「あの人は先延ばしする癖があって迷惑だ」と否定的な目で見られてしまいやすいのも特徴的です。
自己卑下、自分を過小評価してしまう思考の偏り
身も蓋もないですが、自己肯定感の低い人は、自分で自分を不当に低く見積もってしまう思考の偏りがあるからこそ、自己肯定感が下がってしまうことがあります。
なお、この思考の偏りの厄介な点は、いわゆる「謙遜」「謙虚」といった日常生活における美徳とされる考えと共通点があることです。
本人は謙遜のつもりで、自分を低く見積もっていても、気が付けば低く見積もる考えが普通になり、自己肯定感が下がってしまうという厄介さがあるのです。
よくない出来事を大げさに考えてしまう
ケアレスミスをした、相手を不快にさせてしまった、悪い成績や評価を取ってしまった、病気や怪我をしてしまった…など、自分の身に何かよくないことが起きた時に、そのことを大げさに捉えてしまう人もまた、自己肯定感が低い人に見られる思考の特徴です。
この思考をよく見ていくと…
- よくない出来事が起きたら、それを針小棒大に扱ってしまう。(=よくない出来事の過大視)
- 調子が悪いと「今日は仕事で絶対ミスをするに違いない」と、悪い方に物事を決めつけてしまう。(=感情的決めつけ)
- 一回よくない出来事が起きると、「次も、その次もずっとよくない出来事が起きるに違いない」と極端に結論づけてしまう。(=過度な一般化)
と、どれも現実を正しく認知できていない。つまり、認知の歪みが存在しており、それにより自己肯定感が下がってしまうのだと考えられます。
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他人は信用できない、人間不信
虐待、親の離婚、いじめ、犯罪に巻き込まれた…など、いわゆる不幸な出来事のせいで、他人を信用できなくなってしまった人にも、自己肯定感の低さが見られることがあります。
他人を信用しない人は、そもそも他人から認められる、信頼される、愛される…といった経験を自ら拒んでしまう。
その結果、自分は他人から認められるだけの価値がある、愛されるに値するだけの価値がある人間という実感が持てないために、自己肯定感が下がってしまうのです。
他人を信用していないので「いつでも他人から認められるような存在であらねばならない」という思い込みに囚われて自己肯定感を下げてしまうことこそありません。
しかし、自分の価値の一部として他人から認められることが全く入っていない極端さ故に、他人と交流して自己肯定感を得られる経験を自ら手放しているのです。
なお、人間不信といえばすこしオーバーな表現かもしれませんが、たとえば
- 他人から向けられた褒め言葉や尊敬の言葉を軽視してしまう。(心の中で「どうせ、お世辞でしょ?」と考えてしまう…とか)
- 自分に近寄ってくる人には何か裏があるのではないかと感じて、一定の距離をとってしまう。
- 「裏切られた!」とか、「期待に応えてくれない!」とかで不毛な思いをしたくないから他人に期待しない。
など、人間関係の煩わしさを感じている人に見られる言動の中には、人を信用していないと見れるものが多々あります。
自己肯定感を下げてしまう思い込みを知る意義とは
自己肯定感の低くなる原因には、その人の家庭環境や育って来た人間関係によるものが大きいと考えられていますが、それらを個別に見ていくとある種の思い込みの強さ故に、自己肯定感が下がってしまっている…ということがあります。
その思い込みは、子育てや人間関係において受けてきた言葉や扱いにより形成されたものであり、後天的に学習したものと言えます。
つまり、自己肯定感の低いと感じている人は、自分が普段から抱いている思い込みがどのように学習されたものかを調べる。そして、その思い込みを改善するために、他のものの見方や考え方を学習していけば、自己肯定感の低さの改善が見込めます。
家庭環境や過去の嫌な出来事などは、過去に戻って変えることはできません。しかし、身につけてしまった思い込みなら、しっかり分析して新たに別の考えを学習すれば、変えていくことは可能です。
そうした事実を理解するためにも、自己肯定感を下げてしまう思い込みと向き合っていくことは大事なのです。
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