自分に自信がない、自分のことを低く見積もり過ぎている、謙遜を通り越して自己卑下が激しい…など、自己肯定感の低すぎる人は、自分に対する偏った認知のために、日常生活において自分に不利益になるような関係を持ってしまう。
それだけでなく、不利益な関係に陥っても、その関係を断ち切れなくなり、自分に不当な扱いを強いる人にいいように使われてしまうことがあります。
では、具体的に自己肯定感が低いとどのような不利益を被ってしまうのか…今回は、このテーマについてお話いたします。
自己肯定感が低い人に多い人間関係のトラブル
自己主張ができず、他人の言いなりばかりになってしまう
自己肯定感の低さゆえに「自分はこうしたい」「自分はこう思っている」という自己主張ができない。
また、自己主張をして自分の意見を表明する状況に耐えうるだけの自信や自尊感情が乏しいために、自分から積極的に意見を口にすることを避けようとします。言い換えれば、自分の発言に対する責任を負いたくないからこそ自己主張を控えるのです。
なお、自分ではなく他人が責任を負ってくれると判断できる場合においては、自己肯定感の低い人は責任を背負わずに済むので、積極的に他人の意見に賛同したり、半ば精神的に依存するように同調することがあります。
ただし、こうした他人への依存心は進学・就職・結婚など、自分の人生を大きく左右する出来事においても出てしまう。自分の人生に関わることなのに他人の顔色を伺って決めてしまい、自分の生き方を他人に丸投げしてしまうという、自分の人生に対する無責任さを招いてしまいます。
更には、自分の行動の基準になっている人がいなくなってしまった時に、燃え尽き症候群になるかのように物事への気力を失ってしまうこともあります。
なお、自己主張が完全にできないというわけではなく、場合によっては予防線を張りつつ自己主張をする傾向も、自己肯定感の低い人には見られます。
ただし、この行動はセルフハンディキャッピングと呼ばれるもので、自分に不要なハンデを課してしまうという、お世辞にも良いとは言えない行動です。
自分に不要なハンデを課した結果、余計に生きづらい環境に自分を追い込んでしまう側面もあり、無闇に推奨できるものではありません。
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迷惑な人から嫌がらせを受けても、その人を拒絶できなくなる
自己主張ができないことからの続きできすが、自己肯定感の低い人は、いじめっ子やハラスメントを振るう人など、自分に危害を加える人物から嫌がらせを受けてしまったときに「やめてほしい」と相手を拒めなくなる傾向があります。
なお、拒絶できなくなるのは明確に敵意や悪意から自分に近づいている、いわゆる極悪人であることがはっきりわかる人に限りません。
たとえば、友達のフリをして実は嫌がらせをしにきているフレネミーや、外面はいいものの本性は乱暴で恋人を見下したり、理不尽を強いる事に抵抗がないモラハラ彼氏or彼女など、一見するといい人に見えて、実はいい人でもなんでもなく、ただ迷惑な人でも同様に拒絶できなくなる傾向が強まります。
たとえ、外面であってもいい面を知っているため、「嫌だ」「やめてほしい」と言えば、自分はその人を裏切っているように感じてしまう。
また、何より少しでもいい人だと感じる人を拒むような態度を取るだけの勇気や自信が持てないので、迷惑な人との関係を立ちきれず、ズルズルと関係を持ってしまうのです。
トラブルが多い人間関係の方に居心地の良さを覚えてしまう
自己肯定感が低い人にとって、トラブルもなく、育ちのいい人ばかりで構成されている、いわゆる民度の高い人間関係に加わると
- 「こんなに根がいい人ばかりの関係では、なんだか気持ちが落ち着かない」
- 「こんな素晴らしい人間関係にいさせてもらっている自分が情けない、恥ずかしい、申し訳ない」
と、引け目を感じて居づらさを覚えてしまいます。
一方で、上でも触れたように乱暴な言動が目立つ人間関係や、モラルの低い人が集まる人間関係…つまり、民度の低い人間関係になると。
- 「自分のような価値の低い人間には、多少問題のある人間関係の方が落ち着く」
- 「みんな何かしら問題を抱えているから、引け目も感じにくく安心感を覚える」
と、居心地の良さを感じてしまうことがあります。
これは、心理学では認知的斉合性理論と呼ばれるもので、自分のことを低く評価している人は、その評価に見合うような環境や状況の方を好むようになります。
つまり、「自分=ダメ人間」と評価する人は、民度が高いまっとうな関係よりも、民度が低く自分と同じような難のある人間関係のほうが居心地よく感じてしまうのです。
もちろん、これは恋愛でも同じで、自己肯定感が低い人ほど、DV、モラハラ、ギャンブルやアルコール依存、精神的に病んでいる(=メンヘラ)など、恋人にするにはあまりにもリスクを感じる人の方に居心地の良さを感じて、自らしんどくなるような関係を持とうとするのです。
他人が嫌がる役目ばかりを引き受けてしまう
自己肯定感の低い人は仕事や学校などの集団生活を送る場面において、他人から人気を集めるいわゆる「おいしい」役割よりも、他人がしたがらないような損な役割ばかりを引き受けてしまうことがあります。
これも「価値の低い自分には、他の人がやりたがらない役割の方がお似合い」と考えた結果、自分の認知に合うような損な役割ばかりを引き受けてしまう、認知的斉合性理論のいい例です。
割に合わない面倒な仕事を引き受けたり、性格に何がある上司・先輩のもとで働くことを選んでしまう、など自分でしんどさ増すような状況を選んでしまう。
そして、その事実に目をつけた他人が、自己肯定感の低い人にあらゆる面倒事を押し付けてしまう…という事態を招いてしまいます。
「人が嫌がることをする」といえば聞こえはいいですが、その一方で「あの人は、多く人が嫌がる役目を押し付けて大丈夫」とみなされて、ぞんざいな扱いを受けるおそれがあるという観点は、持っておいて損はないでしょう。
「いてもいなくても同じ」人と見られて孤立する
自己肯定感の低い人が持つ
- 自己主張をしない。
という特徴は、人間関係においてあまりにもその人らしい特徴を知る機会がないため「いてもいなくても同じ」人だと見られ、自ら孤立を招いてしまう危険性もある特徴です。
自己肯定感が低いとはいっても、そのことを口に出して「面倒な人」という嫌な印象を残すことすら、自己主張をしたがらないために起きない。
学校でも会社でも、存在はしているけど別に存在感を放っているわけではないし、組織内での影響力もない。つまり「いてもいなくても同じ」人だと見られてしまい、組織内にて孤立してしまうのです。
自分に関係ないことまで「自分のせい」と考えてしまい認知が歪む
自己肯定感の低い人の物の見方の中で特徴的なのが、自分には関係ないこと出来事まで自分の責任である…と、感じてしまうこと。
つまり、抱えなくてもいい責任感や罪悪感を感じる物の見方が災いして、自己肯定感が下がりやすい偏った認知が育まれてしまったという点です。
例えば人間関係において、誰かとしゃべっている時にその人が焦った様子を見せたとしたときに「自分の発言の中に、相手を困らすようなものがあったのでは?」と、相手が焦った原因をまず自分にあると考えてしまう癖が、自己肯定感の低い人には目立ちます。
こうした態度は、責任感が強い、他人を思いやる能力があるとして評価されることがありますが、一方で他人の些細な言動に緊張感を感じたり、落ち込まなくてもいいことまで落ち込んでしまい、自己肯定感を下げてしまう原因にもなるのです。
参考書籍