起業やビジネス、スキルアップ、自己啓発に関心をもついわゆる「意識高い系」と呼ばれる人は、自分の尊敬している経営者や起業家の言葉や行動、ファッションや考え方などのあらゆるものの真似をすることがあります。
例えば、意識高い系なら影響を受けている人も多いであろう、アップル社のスティーブ・ジョブズの服装やポーズ、考え方や生活習慣などを自分でも真似する人は多くいますよね。
そして、さも自分がジョブズのように歴史に名を残す偉大な人間になったと言わんばかりの意識の高い行動を、意識高い系の人はよくしています。
ジョブズの他にも、Facebookのマーク・ザッカーバーグであったり、ホリエモンこと堀江貴文さん、ソフトバンクの孫社長などの経営者は意識高い系なら知ってる人が大半いる経営者ですね。
意識高い系の人は上にあげた経営者のように偉大な人の名言・格言を口にしたり、彼らの書いたビジネス書や自己啓発書を読んで、自分も素晴らしい経営者になったかのように振舞うことがあります。
しかし、なぜ自分がさも有名ななったかのように振舞うかというと、心理学で登場する防衛機制の一つ「同一化」が影響していると見ることができます。
防衛機制「同一化」から意識高い系の行動を分析
防衛機制とは自分が受け入れられない状況や精神的な苦痛に対して、精神状態を安定に保つに行われる行動のことです。
その防衛機制の一つに「同一化(どういつか)」と呼ばれるものがあり、これは自分に取って重要なものと自分とを重ね合わせて、不安や苦痛から逃れようとする行動です。
例えば、「憧れの人=自分」と思い込んで行動する、意識高い系なら自分は尊敬している起業家だと思い込んで、憧れの人の言葉や行動を真似してなりきることを指します。
同一化は意識高い系のみならず、一般の人にも見られる行動で、例えば
- 子供が特撮モノのヒーローや、魔法少女の主人公になりきる。
- 好きな芸能人が着ている服装やファッションを真似する。
- アイドル人がやっている髪型やメイクを真似してみる。
- 憧れのスポーツ選手がやっている練習を取り入れる。
- 筋肉ムキムキでタフな人の言動を、体が弱い人が真似する。
- 芸術の分野で尊敬する師匠の芸や技を真似して自分の作風に反映させる。
という行動が同一化にあたります。
自分の憧れの人の真似をすることで、自分も憧れの人と同じ能力や功績があると思い込み、自信を高める行動と言えます。
意識高い系の人が尊敬する起業家・経営者の影響を強く受けるのは、それだけ憧れの人と同等の人間に並びたいとのだと見ることができます。
同一化するのは不安や自信のなさが影響している
同一化の行動の例を見ると、なりたい人の真似をして自分に自信を付けるという、一見するとポジティブな行動のように見えます。
しかし、繰り返しますが同一化は防衛機制の一種であり、受け入れがたい状況や苦痛に対して行われる行動です。
そんな、同一化が起きる受け入れがたい状況とは、
- 自分に自信がなく些細なことでへこんでしまう
- 人には言いにくいコンプレックスがある
- 悩みや不安を抱えている
という状況が想定できます。
受け入れがたい状況が起きているからこそ、無意識のうちに自分が憧れている、自信家な人、コンプレックスをものともしない人、悩みや不安がなくメンタルが強そうな人、行動を取り入れて、不安から自分のメンタルを守ろうとするのです。
意識高い系の場合、起業家や経営者の真似をするのは、自分には憧れの人が持つセンスや技術、ビジネススキル、トークスキル、経営者としての目線などを持っていない、あるいは持っていても未熟なケースがよくあります。
しかしそれらの技術を身につけるのは地道でめんどくさく、また失敗して笑われるかもしれないから、真似をすることで手っ取り早く、自分も憧れの人のような偉大なビジネスマンだと思い込もう…という心理が働いていると見ることができます。
冷静に見れば、意識高い系の人が偉大な経営者のように大きな事業、多額の資産、人類の発展に寄与する発明などをしていることは滅多になく、大抵は憧れの人がしている仕事を短期的に真似したり、影響を受けて動いているだけということがよくあります。
意識を高く、さも自分は立派であると周囲にアピールする裏では、
- 自分は思っているほど立派ではなく平凡な人間にすぎない
- 何か人より優れた能力や才能があるわけでもない
- 本当は自信がなくて、毎日漠然とした不安で胸がいっぱいである
- 人から尊敬されたいけど、そのためにしんどい思いをするのは嫌だ
という、意識高い系のイメージを損なう悩みや不安を抱えており、それから逃げるように憧れの人の真似をしていると考えることができます。
「形から入る」と防衛機制の同一化の共通点
何か新しいスキルを学ぶときに「形から入る」というテクニックがあります。
例えば、ある画家の作品に感銘を受けて画家の道を志したときに、師匠と尊敬している画家が使っている絵の具や筆を買い集めたり、師匠が実際にやっている絵の練習方法を真似したり、見た目や生活習慣も師匠と同じにすることで、師匠の絵の技術を学び自分のものとすることがあります。
絵の練習のように、初心者にとってまずは何から始めればいいのかよく分かりにくい分野を学ぶ場合、まずは自分のこだわりや思い込みを捨てて、形から入って技術を学ぶ方法は効果的とも言えます。
形から入るのは非常にシンプルであり、初心者向けのテクニックともいえます。絵に限らずビジネスやスポーツの世界でもよく見られます。
そして、上で述べた防衛機制の同一化とも共通点の多いテクニックと言えます。
もちろん、憧れの人と同一化することで自信を付け、地道な努力をしたり勉強して資格を取て技術を身につけていくケースはあるので、形から入るという方法を否定しているわけではあります。
しかし、意識高い系と呼ばれる人の場合、多くは形から入って憧れの人となりきるうちに、自分のビジネススキル未熟さを痛感して挫折したり、肥大化した自分の理想像が崩れるのを恐れて、形だけで終わってしまうことが多々あります。
意識高い系が同一化により招いてしまうトラブル
努力から逃げてしまう
意識高い系の人は、向上心はあるものの実際に努力をする場面に苦痛を感じることがよくあります。
偉大な起業家・経営者に自分を重ね、自分は努力なんてしなくても素晴らしい才能やスキルがあると思い込むために、その思い込みは所詮思い込みだということを痛感する地味で華やかさの欠片もない努力が苦手なのです。
当然ですが、努力から逃げても自分が身につけたいスキルは手に入りません。
そして「スキルが手に入らない=自分は成長せず平凡なまま」だと痛感することもまた意識高い系の人にとっては苦痛であり、その苦痛から手っ取り早く逃れるために半ば依存するように同一化に走ってしまうのです。
周囲に対して威圧的な態度を取ってしまう
自分はさも有名な経営者のように振舞うだけでなく、他の人にも自分のことを尊敬している経営者のように接して欲しいとプレッシャーをかけることがあります。
当然ながら、「口先ばかりで何を偉そうなことを言っているのか」「どうしてそんなに高圧的な態度を取るの?」とプレッシャーに対する反発の声が出てきますが、その声に屈することは意識高い系にとって、同一化した人物と自分自身を否定されたと感じます。
そのまま大人気なく怒ってしまったり、「相手はただ自分の才能や行動力に嫉妬しているだけ」と相手を見下し自分を納得させてしまい、周囲とのギャップが生まれてしまいます。
また、付き合う人間も自分のことを否定せず受け入れてくれる、つまりイエスマンの人ばかりと馴れ合うように付き合い、何も成長しないまま理想の自分と現実の自分とのギャップの差が開いてしまうことがあります。
出来もしないことを引受た結果、信用を失う
意識高い系はビジネスの世界でも同一化によるデメリットを受けることがあります。
さも有名な経営者のように振舞うことから、今の自分では到底できもしない仕事を引き受けたり、ハッタリをきかせてさも有能なビジネスマンのように振る舞い相手を期待させてしまうことがあります。
しかし、同一化はあくまでも憧れの人の真似をしているだけにすぎず、自分が憧れの人と同じビジネススキルを持ち合わせているわけではないので、受けた仕事を完遂できず逃げてしまう、期限に間に合わず取引先に迷惑をかけてしまうことがあります。
気持ちだけは一流経営者。しかし、実力はごく平凡でありきたりなので、最初は期待を込めて仕事を依頼した人も、次第に信用されず口ばっかりのお調子者、言ってることとやってることが一致しない口先だけの人だと思われる原因となります。
コンペなどの競争で自分を大きく見せることがどうしても必要になる仕事もありますが、勝手に人を期待させるような言葉を言っておきながら、「やっぱりできませんでした」というオチでは、期待が大きかった分周囲からの失望も大きくなってしまいます。
耳の痛い指摘が聞けなくなる
憧れの人と自分の行動を重ねるときに、敏腕でなんでもズバズバ言うタイプの経営者に同一化してしまうと、自分に対する冷静で耳の痛い指摘を聞けなくなってしまうことがあります。
なんでもズバズバ言う人と同一化すると、その同一化を否定するような行動…例えば
- 謙虚である
- 人の話を聞ける
- 悪いことをしたら素直に謝る
という、穏やかな社会生活を送るための行動ができなくなることがあります。
また、twitterやFacebookでは社会や経済に対して持論をズバズバ投稿する経営者も多く、そのアカウントをフォローして発言に同調したり、真似した持論を述べる意識高い系の人は多く見かけます。
しかし、SNSは(ほぼ)一方向に自分の意見を自由に投稿できるコミュニケーションであり、キャッチボールに例えられる現実世界のコミュニケーションとは異なります。
SNSで憧れの経営者がしていたコミュニケーションをリアルの世界に持ち込むとトラブルの原因となるのでおすすめできません。