意識高い系の人によく見られるのが「俺、将来起業するわ」と起業することを口にすることです。
なお、ここで言っている起業とは、実際に法人を立ち上げることの他にも、フリーランス(自営業、個人事業主)として活動することや、NPOを立ち上げるなど様々です。
一般的に企業と言えば会社を立ち上げる事をイメージしがちですが、意識高い系においてはフリーランスやNPOなども、同じ「起業」というカテゴリに属するものだと見なしている人が多く見られます。
意識高い系にとって、起業することはどのような目的や意図、心理があるのか…今回は意識高い系が起業したがる心理についてお話しいたします。
意識高い系が起業したがる心理
まず、意識高い系の根底にあるのが
- 不安からくる自分の過大評価。過大評価することで不安から逃れようとしている。
- 子供の頃に抱いていた万能感(=幼児的万能感)が抜けきらず、理想と現実のギャップが著しい。
- 自分が尊敬する人(経営者など)に対する過度に信奉してなりきろうとする。(防衛機制の同一化)
という、非常に不安定で揺らぎやすく、繊細な内面です。
そのため、
- 普通に就活を受けて公平な場面で自分をジャッジされるのを嫌がる。
- 理想の世界に居続けるようなストレスの少ない居場所を求める。
- 尊敬する経営者と同じような生活をいち早く送りたい。
という都合がいい望みを叶えるものが「起業」となるのです。
では、以下で詳しい例を元に解説していきます。
面倒な下積みをしたくない
意識高い系は幼児的万能感が抜けきっておらず、年相応の妥当で現実的な自信ではありません。
自分の能力を過大評価している(=正当に評価できていない)ので「自分は下積みのような地味で面倒な仕事は必要ない」と感じて、下積みを避けようとします。
「自分はやればなんでも出来る人だ」と言わんばかりの万能感にとらわれている為に、その万能感が崩れ去るような場面が苦手です。
また、仮に下積みの仕事を受け入れようものなら「自分は下積みをしなければいけないほど平凡な人。今まで見下してきた並みの意識の人と同じである」と、自分自身を否定することになるので、様々な方法で下積みを避けようとします。
例えば
- これからの時代はITやAIが雑務を行うようになる。
- 書類は全部電子化されて雑務をする必要すらなくなる。
- SNSで情報発信していればそのまま好きが仕事になる。
などのビジネスマンとしてのも一緒にアピール出来る、もっともらしい言葉を並べ立て下積みをしない自分を正当化しようとします。
もちろん、彼らの言い分にも頷けるものはありますが、どうしても自分が下積みをしないための材料を集めて口にしている「口だけ人間」な印象が拭えないのもまた事実です。
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自分がトップの居場所が欲しい
下積み嫌いでもわかるように、意識高い系は自分の万能感が崩れる場面を嫌がります。
- 上司から説教を受ける。
- クライアントに対して謝罪する。
- 新人として雑務を淡々とこなす。
- 不毛な飲み会に参加してストレスを抱える。
- 自分のやりたい仕事ができずにもどかしい思いをする。
などの場面は、意識高い系である自分のアイデンティティを崩壊させるものとして認知してしまうので、だったら最初から自分で好きに仕事ができる起業を選ぼうとするのです。(もちろん、起業したとしても頭を下げる場面は山のように出てくるのですが…)
最初から誰かの部下としてではなく、自分が作った組織で自分がトップとして指示をすれば、誰からの指図も受けず、自分の思うがままに仕事ができる、という幼児的な万能感ならではの考えにより起業を選ぶのです。
しかし、起業して社長になったからといって威張ってばかりでは仕事になりません。
むしろ普通に就職するよりも厳しい現実に直面してショックを受け続けて、ますます精神的に不安定になり、その反動で自分を過大評価するというサイクルができます。
意識高い系がだんだん過激な言動をするようになるのはこの「厳しい現実に不安を覚える→自分を過大評価をして不安を解消する→過大評価した自分が現実により打ち砕かれる…」という、サイクルが影響しているといえます。
同年代よりも有能であると証明したい
意識高い系は同年代に対するコンプレックス(学力、コミュニケーション能力、メンタルの弱さなど)が強く、そのコンプレックスを解消するために「起業」という権威あるものにすがろうとします。
同年代が新卒カードを使って会社員や公務員として就職している中で、自分一人で起業という茨の道を選んだ、という事実を手に入れて周囲から「立派だね」「すごいね」と認めて受け入れてもらいたい心理があるのです。
もちろん、自分のコンプレックスをバネにして一念発起することはいいのですが、大抵は起業をすることそのものが目的となってしまい、起業して1~2年は活動的だったものの、次第に目的を見失い迷走しがちです。
また、起業するときに「本当に就職しなくてもいいの?」と手を差し伸べてきた同年代の人を「あの人はドリームキラーだ」と冷たく突き放してしまっていることも多く、素直に助けを求めることができません。
加えて現実の自分にそぐわないまでのプライドの高さが邪魔をし、誰にも相談できず孤立します。そんな弱りきった様子をどういう経緯で知ったか知りませんが、妙に優しく接してくる胡散臭いビジネスをしている人の餌食になることもあります。
モラトリアムに浸っていたい
意識高い系の行動を見ていると、まるでモラトリアムに浸っている大学生の姿が思い出されます。
- 上下関係はよくない。
- 余計な責任は負いたくない。
- 好きなことで生きていくのが理想の生き方だ。
と、高校生のような束縛もなければ社会人のような責任感もない、大学生だからこそ言えるような(意識の高さの割にはずいぶんと)無責任で自由奔放な考えが目立ちます。(だから意識高い「系」どまりでなんでしょうけど…)
実際に何の責任もなく、しっかり自立するわけでもなく、社会や親におんぶにだっこで甘え続けるモラトリアム期間は非常に快適で「できればずっとこのままいい気分に浸っていたい」と思うこともありますが、いずれは卒業して仕事をしていかなければなりません。
こうして見ると、意識高い系の行動の節々に見られる中途半端さは、モラトリアムに浸っていたいという心理の表れとも考えられます。
もちろん、普通に就職すれば嫌でもモラトリアム期間が終了して居心地のいい環境を失ってしまうのは言うまでもありません。
ですので、自分で居心地のいい職場を作るという目的で「起業」の道を選ぶのです。
若手起業家として注目を浴びてチヤホヤされたい
ビジネスに限りませんが「若い」というだけで注目を浴びるのはどこの世界でも見られるものです。
とくに先行き見えないこのご時世で、若手起業家の道を選べば世間からの注目を得やすく、周囲からチヤホヤされて承認欲求を満たせるであろうことは容易に想像できるでしょう。
しかし、素直に「もっと俺(私)を認めてくれ、チヤホヤしてくれ」と言おうものならバッシングされる恐れがあるので「起業する」という大義名分を用いて自分の承認欲求を満たそうとします。
もちろん、個人的な私利私欲でも三方よしの起業で成果を出しているのなら問題ありませんが、上でも触れたようにこれも起業で承認欲求を満たすことが目的となってしまい、起業後に行き詰まる懸念があります。
また、若さを売りにする起業は、裏を変えれば自分よりも若い起業家が出てきた場合に「自分のポジションが奪われるかもしれない」という強い不安と嫉妬を覚えるリスクもあります。
加えて、世間一般でいう「若くない年齢」になった時に、若さ以外の自分のセールスポイントができていなければ行き詰まるというリスクもあります。
(もちろん、ユーチューバーのように若さと勢いがもてはやされるビジネスで一気に稼いだり、若さでなんとかなるうちに事業売却をしてさっさとリタイアするという画も描けなくはないですが…)
意識高い系の起業の弱点
意識高い系にとって、真っ当な指摘や疑問を持つ部下・同業者・クライアントなどは、自分の精神的な不安定さを刺激する厄介者と映ります。
もちろん、仕事をする以上は「自分と意見は合わないけど、言ってることは賛同する」という人との付き合いは非常に助かるものですが、意識高い系はごもっともな指摘をする人を締め出し馴れ合いのような人間関係を作ろうとします。
「起業は自分にとって居心地のいい居場所を作るため」という目的のために、鋭い指摘をする人は自分の居場所を脅かす存在と認知するので、自分と似たような同じく意識高い系の人とつるむのも自然なことだと言えるでしょう。
また、意識高い系同士でつるんでおけば、もしも事業がうまくいかないときに意識高い系の先輩に頼み込んで、お情けでサービスを買ってもらうことも、金を稼ぐための選択肢の一つとなります。
もちろん、仕事には義理や人情が大事な局面もあるとは思いますが、お情けで買ってもらう旨味を知った結果「なんで事業がうまくいかなかったのか」という現実と向き合わず、問題を放置し続ける起業には、他人事ながらも疑問が拭えません。
意識高い系が同じく意識高い系にビジネスをしてなんとか乗り切ろうとしている光景は、まるで自分の人脈を現金に換金しているかのように見えて不安でなりません。
…そんな人間関係を現金にするためらいがないからこそ、意識高い系はマルチやネットワークビジネスとの相性もよく、胡散臭さが拭えないのかもしれません。
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