意識高い系の人は威勢のいいことはしつこく言うものの、実際は口だけばかりでロクな結果や成果を残せていない…という、残念っぷりが目立つものです。
- 将来絶対に起業or独立する。
- 英語を勉強してしゃべれるようになる。
- 他人の人生を変えるような影響力のある人になる。
- もっと柔軟な社会になるように、日本を変えていく。
など、いかにも何かやってくれそうな期待感を煽る言葉を口にするものの、実際はというと有限不実行のまま、そっと社会から消えるように姿形が見えなくなるものです。(まさに意識「他界」系という誤変換通りに…)
ネット上なら、SNSアカウントに鍵をかける、意識高い投稿を黒歴史クリーナーなどのツールで全削除する、アカウントそのものを削除して過去の隠蔽、および自身の歴史修正を試みるなどの行動に出てしまうために、意識高い系は口だけである」という言説が定着しているのだと感じます。ひどい場合はオレオレ詐欺ならぬ「やるやる詐欺」と言われることもあるでしょう。
今回はそんな意識高い系が口だけになる背景・心理・理由などについて、お話しいたします。
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目次
意識高い系が口だけになる背景にある思考・思想
意識高い系の人が口だけのビッグマウスになってしまうのは、彼らが普段見聞きしている情報…つまり、自己啓発本、ビジネス書、モチベーション・やる気に関する心理学の情報などについて知ることが効果的です。
今回はその中でも、とくに口だけになってしまう土壌を生んでしまう3種類の思考・思想について説明します。
(なお、こうした思想そのものは、意識高い系業界風に言うのであれば「マインドセット」と呼ぶのが一般的です。)
アファメーション
アファメーションとは、周囲の人に自分の目標を宣言することで引き下がれないようにする。要するに退路を断って自分を追い込むことを意味します。
パブリック・コミットメントとも呼ばれており、スポーツやビジネスにおいて自分の目標を周囲の目がある中で宣誓し、周囲も自分も奮い立たせる方法の一つとして知られています。
ハロー効果の応用
人の注目を浴びるようなビックマウスっぷりを見せることで、周囲に対して自分を好意的に見るように仕向けます。
それにより「ビッグマウスっぷりを見せる→何かやってくれそうな期待感を抱かせる→何かをやってくれそうなだけの実力があるに違いない」という錯覚を抱かせる効果が期待できます。
いわゆる一つの目立った特徴をもとに、その人を過大評価してしまうハロー効果を応用した理論ともいえます。
最近では「錯覚資産」と自己啓発本やビジネス書の中で表現されることもあります。
しかし、表現が変わっても錯覚であるという点には変わりがなく、下手をすれば最もらしいこと言う割には薄っぺらい、口がうまいだけの胡散臭いホラ吹き野郎と見られてしまう危うさもあります
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「脳は現実と嘘の区別ができない」ことの応用
脳は現実と嘘の区別ができないので、嘘でもいいので自分のなりたい自分像を声に出して主張するという脳科学の理論です。
嘘でもいいのでポジティブなことを言えば、脳はそれを事実と認識して不安が晴れたり、モチベーションが向上するという理屈であり、自己暗示の一種とも言えます。
なお、ビジネス以外でもスポーツのイメージトレーニングにおいても、この理論が応用されていることもあります。
勝負事のように、未来がどうなるかわからない場面で消極的になる人を奮い立たせるテクとして用いられる一方で、
- ただの現実逃避を肯定しかねない危うさがある。
- 自分自身が暗示にかかり虚構と現実の区別がつかなくなる。
- 肥大化した自尊心・自己イメージ育ててしまい、理想と現実の自分のギャップに苦しむリスクがある。
- 現実に対する認識を偏らせ、見たいのばかりを見ようとしてしまう。(確証バイアスの強化)
など、万能とは言い難い側面もあります。
意識高い系が口だけになるのは幼児的万能感が原因
これでもかと言わんばかりにモチベーションを上げて、自分を奮い立たせてくれる理論を身に付けても、意識高い系は現実という名の壁の前には簡単に心が折れ、すぐに挫折してしまう打たれ弱さが特徴的です。
意識高い系は、しばしば思春期以前の児童のような自信過剰さ、万能感が見られます。こうした万能感は心理学では幼児的万能感と呼ばれており、思春期を過ごす過程で現実に即した等身大の自信へと修正されるとされています。
しかし、意識高い系の大学生・社会人のように、中には思春期を脱しても幼児的万能感が抜けきらず、現実離れした万能感を持ち続けてしまう大人もいます。
幼児的万能感からくる意識の高い言動は、(冷やかしかもしれませんが)「ビッグマウスで夢がある」「若くて威勢があっていい」として高評価を得やすい。また、言っている本人も非常に自信満々で、不安の欠片なんて無さそうに見えることでしょう。
しかし、内面はそもそも未熟で現実離れした万能感であるため、強い不安や自信の無さにを抱えています。
もちろん、そんな不安を持っていることを悟られたら、意識高い系たる自分の肥大化したプライドが傷つき、体面が保てなくなる不安があります。だからこそ、上述の思考などを拝借して無理に自分を奮い立たせ、自分で自分はすごいのだと言い聞かせているのです。要するに不安を隠して、虚勢を張っているのと同じです。
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客観的な評価を下される場面を恐れ、ぬるま湯の環境に浸かり続けて口だけになる
また、なにより強い不安を感じているからこそ、自分自信が客観的に評価される場面…例えば、英語を身につけたいのならTOEICや英検などの、自分の実力が数字として客観的に見られてしまい、他者との比較を余儀なくされる場面をひどく嫌います。
客観的な評価を下されれば自分の意識だけの高さが露呈するだけでなく、自分は特別でもなんでもないごく平凡な人間であるという、幼児的万能感とは相容れない不都合な現実と向き合う苦痛があるので、客観的な評価を下される場面を強く拒絶します。
その代わりに、身内びいきをしてくれる意識高い系同士に馴れ合いにのめり込む。自分の万能感が崩れ去る心配がない、薬にも毒にもならないぬるい評価をされる居場所(例:自己啓発セミナー、オンラインサロン、SNS上の集まり等)に入り浸るだけで、進歩らしい進歩がまるでない時間を過ごしてしまいます。
そんなことを繰り返して時間を消費しているうちに、自分で宣言したことがまるでできていない状態になる…つまり、口だけ野郎になってしまうのです。
そもそもの目標が不明瞭であり、自分で予防線を張っているだけのケースも
例えば冒頭で触れた
- 他人の人生を変えるような影響力のある人になる。
- もっと柔軟な社会になるように、日本を変えていく。
…という宣言は、具体的に何をすべきなのかが曖昧であり、どうとでも解釈することが出来てしまいます。
しかし、そのアバウトさこそ、意識高い系にとっては好都合な材料になります。アバウトであるからこそ、自分にとって都合のいい拡大解釈が可能です。
例えば、SNSで投稿をして「いいね」やコメントを貰うという、なんともスケールの小さいことであっても「他人の人生をポジティブなものに変えることができた」と自分で自分を納得させてしまうことも可能です。
あえて、どうとでも解釈できる目標を宣言することは、意地悪な見方をすれば、もしもビッグマウス通りの結果になれば自分の実力を大きくアピールすることでが可能。
また、仮にスケールの小さい結果に落ち着くとなっても、拡大解釈により「自分は目標を達成した」と言い張って、自分の考えや詰めの甘さと向き合わなくとも済むのです。
言うなれば、ビッグマウスやアバウトな目標を宣言するのは予防線を張っているのと同じです。最初からうまくいかなくても、自分の未熟さと向き合わなくてもいいように逃げ道を用意しているとも言えます。
そのことを踏まえると、アファメーションにより退路を断って自分を追い込んでいるように見えても実際は逃げ道を用意しているという、なんとも残念で平凡な人間らしいところが、意識高い系の最大の皮肉と言えるでしょう。
…もちろん、実際に意識高い系の人と関わるとなれば、そんな悠長なことを言える精神的な余裕はないとは思いますが…
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