「意識高い系の人のココが嫌い」と思うところ

この記事が気に入ったらシェア

スポンサーリンク

この記事では、いわゆる意識高い系な人に対して感じている「こういうところ嫌いだなぁ…」と感じるものを淡々とまとめている長文です。

意識高い系の人の嫌いなところ

有言不実行な所

意識高い系の特徴は、意識だけが高いという点。

実際に学力がある、頭の回転が速い、何か他人に自慢できる技術や特技がある結果として、意識が高い人ならまだしも、何ら特筆するものがなく意識だけが妙に高くなっているから、へんてこりんな行動に出るのです。

その最たる例が「口だけ」になること。

意識だけは高くて、理想、夢、野望、希望などを語って同士を鼓舞することはできるものの、鼓舞するばかりで実際にどうすれば理想や夢を叶えられるのか詰めて考える作業ができない。

むしろ詰めの作業に入ろうものなら、普段の威勢の割には、内面は至って平凡で普通で、特別な人間ではないことがバレてしまう。プライドがやたら高い傾向にある意識高い系にとっては、自分が平凡だと周囲にバレてしまう事は絶対に避けたいと思うものでしょう。

だから、とにかく威勢のいい言葉や著名人や偉人の格言を引用する、社会に何か一言物申す的な思いつきの発言を繰り返して、なんとなく「私はすごいんだ!」と演出することばかりに熱中する。

主な活動場所はSNSやブログなどのネット上であり、既に形成されている意識高い系のコミュニティに所属して、比較的反論も出にくく周囲からの同意が得やすい環境に入り浸る。

しかし、ネット上でもやっているのはあくまでも自分を演出することばかりで、実際に自分が言及したことを深堀して考えたり、話した内容に対して自分で企画を立てて実行するという行動には出れない。

仮に行動に移すとなると、自分の意識以外の能力の低さ露呈してしまうおそれがあるから、やらない。結果として、ネット上の口だけ番長や炎上芸人となったり、どこかから仕入れてきた知識を繰り返しているスピーカーのような存在になり、徐々に注目を失うのです。

言行不一致な所

意識高い系は、口はよく動くし行動力がある…という点においては、見習うべき点がないわけではありません。

しかし、その多く言ってる事とやってる事がばらばらで一貫性がないし、冷静に考えたらわかるような矛盾がある。そして、その矛盾を本人も気づいていないし、その取り巻きも気づいているのかいないか知らないがツッコミの声はない。

結果として、ツッコミ不在で意識の高さの暴走してとんちんかんな方向に進んでいく状態が放置されているのです。

では、具体的にどんな言行不一致があるかというと…

  • 「謙虚が大事」と主張しながら、何かにつけてマウントをとって、自分より各下の人を見つけ出して図に乗る。
  • 「多様性が大事」と主張しながら、自分に反対意見や疑問の声をする人に対して不寛容ですぐにブロックする。
  • 「何事も継続が大事」というものの、新しくブログなり筋トレなりで自己鍛錬に励むもののすぐに三日坊主になる計画性のなさ。
  • 「わかりやすく説明するのが大事」とかいいながら、インプットして知ったばかりの横文字や和製英語的な単語を口にする。同じく意識高い系の仲間なら通用するかもしれないが、それ以外の人にはわからない単語を連発されてまるで全く話が飲み込めていない。
  • 「論理的に文章を書くことも大事」とかいいながら、書いた文章がただの感情の羅列でポエムのように掴みどころがない文章で頭がクラクラする。そして、その文章に「エモい」と賛同コメントが付いている。(論理的な文章はどこに行ったの?)
  • 「思考停止はダメ」とかいいながら、会話の中でやたら「本質」という言葉を多用して、その本質がなんなのかを探求せず思考停止しているし、自分が尊敬(意識高い系っぽく言うなら”リスペクト”)する人の言葉なら、なんでも無批判で信じ込む単純さ。(単純だからこそ、言行不一致な面を自覚できていない気もする…)

などです。

スポンサーリンク

入門書レベルの知識ですぐに全てを知ったかのように悟る所

スポーツでも読書でも勉強でも、何か一つでもいいから最後まできっちりやり遂げてみて、そこから誰の言葉も借りずに自分の純粋な気持ちや言葉を包み隠さず喋って欲しいものです。

自己啓発本とか入門書的なビジネス書で中途半端な知識をかじり、あたかも全てを悟ったような態度で、わかったような言葉を振りまいて悦に浸る。

長年の努力や経験でたしかな技術や知識を身に付けてきた人からすれば、悟って語れるほどのもの実力ではない事は明白なので、その様子をみて「この人は何を勘違いしとるんや?」と思っていることに気がついて欲しいものです。

また、悟れるほどの知識を持ってないことを指摘されようものなら「そういう努力のやり方は時代遅れだから」「これからはAIに仕事が奪われるから努力も効率的にしなきゃ」だの、ああ言えばこういう論法に出る。

仮に時代の流れ云々がもし本当だとしても、その何気ない一言が、今まで努力してきた人のプライドや尊厳をナチュラルに傷つけていること、そして傷つけていることに無自覚なままであることをちゃんと自覚して欲しい限りです。

意識系高い系の人は、プライドも高くて自信満々だけど、そんなプライドが傷つけられるのはとても嫌がる。でも、赤の他人のプライドを傷つけるのには無頓着なところが、なんとも罪深いというか、無自覚であるが故の邪悪のように感じます。

意識高い系同士で馴れ合って進歩がまるでない所

(意識高い系に限った事ではありませんが)馴れ合いの激しさが目立ちます。

ぱっと見は、お互いがお互いに褒め合う仲ではあるものの、褒めた結果付け上がっている様子ですらも褒めて褒めて褒めまくる…まるで褒め殺して堕落へと誘うかのように褒める姿は、どこか異様さを感じずにはいられません。

「ポジティブが大事」「相手の良いところを見よう」と最もらしい前向きになれる言葉を言ってはいるものの、その前向きさはどこか現実の自分と向き合うのを拒み、自分が抱く理想の世界から一歩も外に出ないように引きこもっているように見えます。

最近はSNS、オンラインサロン、youtubeなど多くのネットメディアを通じて自分の特技を情報発信して、多くの人から承認を得ようとする姿を見聞きしますが、そもそもの特技のレベルが低くてベテランから初心者までが一堂に会するネット上では、意識高い系であろうと情け容赦なく埋もれてしまいます。

ネット上であっても現実には自分と同じレベルの人は山のようにいる現実を目の当たりにして、奮起できればいいものの、あまりの現実の残酷さに同じような不安や境遇を持つ意識だけ高い人同士で傷の舐め合いをする。

そして、「ネットユーザーの多くは自分の実力を見抜いていない」とイソップ物語のすっぱいぶどうに登場する狐のように、自己正当化ばかりして努力や鍛錬を怠る。

こうした、

  • 受け入れがたい現実を直視しない。
  • 現実の自分の実力を的確に把握しようとしない。
  • 都合のいい理想を受け入れて共感してくれる似たような境遇の人に依存する。

という、なんの進歩もないのに「自分はすごく進歩している」と錯覚する状態に陥っているのが、意識高い系の馴れ合いに対する嫌悪感の正体だと考えられます。

痛い所を突かれても似たような意識高い系仲間に慰めてもらって改善も反省もしない所

意識だけが突出して高い状態であるため、ネットの発言もその意識の高さのみが目立ってしまい、理論の拙さ、言行不一致っぷり、言ってることがすぐコロコロ変わるなどの、ごもっともな指摘を受けても仕方がないような言動が選り取りみどりの選び放題です。

しかし、痛いところを突かれても、自身の考えの拙さや未熟さを受け止めて改善をするのでなく「アンチが嫉妬しているだけ」と、指摘の意見を一括りにまとめて、何ら改善にも反省にも繋げないところが、謙虚さを微塵も感じさせません。

しかし、指摘に対してそれなりに思い当たる節はあるのか、アンチと決めつけていても内心は自分(の理想とし同一化している自分が)否定されることに対して強いストレスを感じており、そのストレスを解消すべく、同じく意識高い系な同士に「あれはアンチだから無視すればいい」という慰めの言葉を求めることがあります。

慰める方も、ただ自分の友人が否定(ただしもっともな指摘だが…)されている姿を目の前にして放置するだけの薄情ではないでしょう。

ただ、もしもここで友人を放置すれば、自分と同じ価値観をもっている意識高い系な自分まで否定されているかのように感じてしまう。だからこそ、どんな手を使ってでも味方になって支えているようにも見えます。

たとえ仲が良くてもダメなときはダメと言えない人間関係は、絆は強いかもしれませんが、もしも自分が誤った選択やグレーな生き方選んでしまっても、周囲からもっともな指摘の声や疑問の声すらあがらない。

結果として破滅を招くような結末が待っていたとしても、周囲のポジティブな声によって突き進んでしまう…まさに「地獄への道は善意で舗装されている」というヨーロッパのことわざを彷彿をさせる怖さを感じます。

ナチュラルに人を見下して自分の方が格上だとアピールする所

意識の高い系は、まるで「自分は世界の中心であり、そして大衆という名の愚民を教育する啓蒙家であらねばならない」と、言いたいかのような言動が目立ちます。

ナチュラルに人を見下しマウントを取る態度が批判の対象になっているのにもかかわらず、これらの声を全て「アンチ」や「嫉妬」と決めつけると同時に「自分は批判されるだけ優れているんだぞ」という歪んだ認知を強固にしているかのように分析できます。

しかし、もしも啓蒙活動をするのであれば、自分が今まで見下しの目で見てきた人と同じ目線に立って、コミュニケーションを取ることも大事なはず。

だが、実際はというと、見下している人に対して「私は(意識だけが高くて)優秀だから、私の言う通りに動くべきだ」と、上から目線の態度を崩さず押し付けがましさが目立ちます。

スポンサーリンク

実力がなさすぎて自分が世間から見ればどの立ち位置にいるかすらわかってない所

意識高い系を的確に表している心理学用語として「ダニング=クルーガー効果」があります。

能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス。

(wikipedia ダニング=クルーガー効果より)

仕事にしろ自己啓発にしろ自信過剰なのは、自分の実力がどの程度なのかを客観的に把握する能力(=メタ認知)がなことが原因で、何事も自分の主観・感情に基づき都合よく解釈してしまう。

こうした意識高い系の行動に痛さに対して、恥ずかしさや痛さを感じる人は少なくありません。

もちろん、外から眺めている分にはマシですが、仕事などで関わるとなるとめんどくささは格段に増します。

関連記事

意識高い系が「痛い」と感じる心理について
意識高い系の人の行動は、見ていると恥ずかしさのあまりに目を背けたくなる衝動に駆られるものが目立ちます。 彼らの行動には、いわゆる「痛い

とにかく小手先のテクニックで自分を大きく見せようことには熱心な所

行動の節々にハロー効果を匂わせるような「自分すごいでしょ?」アピールが目立ちます。

  • すぐに覚えたての横文字を使ったり
  • 自分の経歴を話すときに、必ず「挫折→運命の人との出会い→復活」というストーリー展開にする。(※なお、この展開は「神話の法則」と呼ぶ)
  • SNSで○○人フォロワーがいるのを「自分は○○人のファンがいる」と言いかえる。(ファンじゃなくてもSNSは誰でもフォローできるだろうに…。もちろん自演もできますし…)

など、やたら自分をすごく見せるだけの小手先のテクニックばかりが優れている点が、なんとも浅はかというか…見ていて痛々しい限りです。

なお、最近はこういうテクニックを「錯覚資産」と呼ぶそうですが、本当は平凡で普通な自分を認めて努力するのではなく、人を煽り、騙し、誑かし、惑わし、淡い期待を抱かせて特別だな存在だと錯覚させることのどこが謙虚さなのか。純粋に疑問です。

スポンサーリンク

最後に、個性が大事と言いながら、没個性的で誰かの真似ばっかな所

最後に、意識高い系の人は個性が大事だとか、独創性だのオリジナリティだの声高に叫ぶものの、そのどれもがどこかで見たようなであり、言葉や行動にその人らしさが感じ取れません。

一言で言えば没個性的で、会話をしていても、ただ自己啓発本やインフルエンサー(ネット上での影響力を持つ人の意味)の言葉をリピートしているばかりで、言葉の中にその人らしさが見えてきません。

話のほとんどが誰かの真似で、自分を出すのではなく誰かを演じているかのように感じて、まるでツッコミ不在のおままごとをしているかのような虚無感を抱きます。

しっかり話をしたい相手が、わざとらしい演技をして、いい大人なのにままごとみたいなコミュニケーションをしてたら、嫌な気持ちになるのと同じような気持ちにさせてくれる意識高い系の人たちは、もう少し未熟な自分を出せれば、注目が集まるのではないかと思う今日このごろです。