意識高い系に感じる苦手意識の正体

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意識高い系の人は、何かと自己アピールをしたり秋に対して格言や有名人の言葉をばらまくものです。

しかし、その行動に対してなんとなく苦手意識を感じていたり、苦手だと感じているものの、そのことを口にせず我慢している人も多いものです。

一般的に、仕事や学業などで意識を高く持っている人は注目が集まりやすく、周囲(あるいは上の立場の人)からも高い評価を受けることがあるため「そんなすばらしい人に対して苦手意識を抱いている自分が自分で嫌になる」と自己嫌悪してしまう人も多いでしょう。

しかし、意識高い「」であるため、大抵は口先ばかりになって中身が伴わない。

そして、中身が伴っていないことを指摘すると、「意識高い系の自分に嫉妬してるんだろw」というような態度や、あえて理屈っぽい態度をとって指摘した人の意見をはねのけることがあります。そんな態度を見るたびに、ますます苦手意識を募らせていくのだと思います。

今回はそんな意識高い系に感じる苦手意識の正体についてお話しいたします。

意識高い系が「嫌い」と感じる苦手意識の正体

子供の時期に抱く万能感を引きずっている雰囲気が引っかかる

まず意識高い系に多いのが「自分は社会や世界を変えることができるんだ」と言うような、子供が抱く万能感、無根拠な自信を持っているのが特徴的です。

しかし、苦手だと感じている意識高い系の多くは大学生や社会人であり、到底「子供」と呼べる年齢ではない大人です。

その大人が「子供の頃のような万能感をまだ持っているんだ…」と驚き呆れることも、意識高い系と接している人なら、何度も感じることでしょう。

心理学では、このような子供のような万能感のことを「幼児的万能感」と呼びます。

幼児的万能感は、意識高い系のように自分は世界を大きく変えてみせるんだと言うような根拠も、具体性も、現実的な視点もない、非常に不安定な万能感です。

多くの人は子供の頃(思春期以前)にこのような万能感を抱いていますが、思春期に「自分は万能でも何でもなくいたって平凡な人である」と言う現実と向き合い克服していきます。

克服することで、子供のような自己中心的な万能感ではなく、社会の中で生きる一人の大人として等身大の自信を身に付け、現実と折り合いをつけていきます。このことは、自我を確立させるためには大事なことです。

しかし、意識高い系になる人は、何らかの理由でこの幼児的万能感から抜け出すことができず「意識高い系」と言うキャラに自分を当てはめます。

そしていつまでも幼い頃の万能感に浸るばかりで現実と折り合いを付けるのから避けることで、トラブルを引き起こしつつ周囲から煙たがられるのです。

プライドだけ高くて自己中心的な物の見方に偏っている

意識高い系の人と接したことがあるならわかると思いますが、彼らはプライドだけがやたらと高くて、自己中心的な物の見方に偏っています。

これも、先ほど触れた幼児的万能感が影響だと考えることができます。

幼児的万能感は、

  • 自分は立派な人間である
  • 自分はどんな困難な事でも成し遂げることができる
  • 自分の望む事は何でも思い通りになる

と言う、自分の期待通りに他人や社会が動くに違いない根拠のない自信から成り立っています。

しかし、現実は必ず自分の思い通りに他人が動いてくれると言う訳ではありません。

ましてや、自分の思い通りに動くことなんかはごく稀で、そんな自分の考えの甘さや未熟さを認めざるを得ません。そして、自分の考え方を修正し、現実的且つ根拠のある自信を手にして社会と折り合うことを学んでいくものです。

しかし意識高い系は、幼児的万能感が抜けきらないため、いつでも自分の思い通りに世の中が動くんだ」と言う考えで他人を振り回したり、期待通りならないと子供のように不貞腐れてされてゴネる…、と言うような年齢に見合わない幼い言動が目立ちます。

これが多くの人が感じる苦手意識の根源と言えるでしょう。

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自分の認める人ならなんでも従う主体性のなさ

意識高い系の人は、会社の社長や有名実業家、ネット上の有名人、アーティスト、クリエイター、などの華やかで影響力のある人に強く影響されることがあります。

もちろん、誰だって自分の尊敬している人から多少なりとも影響受ける者ですが受けるものではありますが、意識高い系は自分の尊敬している人なら無批判に従ってしまう、と言う主体性のなさが目立ちます。

また、意識高い系の人は普段から「自分の頭で考えるべき」「自分の意思決定して行動しよう」などの、自分の考えや意思を大事にすべきである、という発言をしていることがあります。

しかし、その一方で自分の尊敬する人ならそのまま鵜呑みにすると言う矛盾さが、周囲からは手に取るようにわかるので、苦手意識を生むのです。

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個性的に見えて「自分が無い」没個性的に人に見える

非常に意識が高そうなことを言っているのにもかかわらず、

  • その言葉はどこかで聞いたことがあるようなもの
  • なんだか漠然としていてどうとでも捉えられてしまう
  • 漠然としすぎて誰に言ってるかわからない
  • 中身がなさすぎてポエムを読んでるかのような気持ちになる

などの、ざっくり言って勢いだけ、そしてインパクトの割にはさほど印象に残らないという虚無さが目立ちます。

自己主張が激しくぱっと見は個性的に見えるのに、よくよく付き合っていけば、誰かの劣化コピーになっている…すなわち、没個性的な人に見えるのです。

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過去の未熟な自分を見せつけられているようでむず痒い

意識高い系の人の言動を見ていると、なんだか中学生の頃の自分の黒歴史を思い出したり、自分にも「何にでもなれるんだ」と言うような未熟な考えを持っていた頃を思い出し、言葉にしにくいもどかしさや痒さのような気持ちを感じることがあります。

上でも触れてますが、意識高い系の言動には幼児的万能感が影響しており、言動の至るところにかつての自分が卒業したはずの幼い行動や未熟な考えを刺激する要素が目立ちます。

いわゆる、中二病を卒業した人が、過去の中二病から来る変な行動している人を見ると、生理的な嫌悪感を抱くのと同じです。

思春期を通して自分と向き合い現実との合い折り合いをつけてきた人から見て、幼児的万能感が抜けきらない意識高い系の行動は、思い出したくない過去の黒歴史を想起させるのです。

それも思春期前、思春期真っ只中の子供がやっているのなら微笑ましいのですが、自分と歳の近しい大人や、自分よりも年上の大人なのに幼児的な万能感を引きずっていると言う事実が、苦手意識をより強くさせるのです。

自分を高めるために他人を敵視する点が癪に障る

識高い系は、プライドの高さの割には現実的に見てそれほど優秀な人とはよく読めなかったり、呼べなかったり、何か素晴らしい結果を残していると言うわけではないと言う理想と現実のギャップが特徴的です。

もちろん、理想の現実に近づけるために地道に下積み生活をしているのなら良いのですが、たいていは久住なんかせずに下積み生活をせず、願えば一瞬で自分の理想に近づける…と言うような考え方の甘さが目立ちます。(それは幼児的万能感ならではと言えます)

一瞬で自分の理想に近づくためにやるのが、ひたすら他人を見下したり、ある属性の人(社会人、文系、非モテ)を一括りにまとめてレッテルを貼ることです。

SNSで過激な発言をしてバズを狙って瞬く間に注目を浴びることができれば、それこそ期待のルーキー的な存在として自分の能力を意図的に高く見せることもできるでしょう。(なお、炎上やツッコミの嵐が来ないとも言えませんが…)

他人を見下すことで自分はさも万能であるかのように演出することができますが、その演出の材料にされた人からすれば、あまり気持ちのいいものではありません。

また、冷静に指摘をしてきた相手に対しては「この人は嫉妬で攻撃をしてきている。つまり、自分は嫉妬されるほど有能で魅力のある人間である」と、指摘すら自分を持ち上げるための材料とします。

次第に周囲からまともに指摘をする人は去り、同じような幼児的万能感が抜けない人同士が集まるのです。

不安を煽られている気がして付き合うのが辛くなる

意識高い系による意識の高い言葉を見聞きしていると、(所詮自分に関係がないことだとわかっていても)なんだか自分自身が未熟に思えてきたり、自信が持てなくなってくることがあります。

意識高い系の言葉は、(口にしている本人はさておき)どれも完璧や理想を投影したものであり、多くの人に示唆を与える言葉が目立ちます。

そんな言葉を聞いているうちに「自分はまだまだ未熟だ」と言う気持ちになるのも無理はありません。

このように表面的にはポジティブで、見習うべき言葉ばかりを言われるのは、自分自身の腕や思考を磨くためには有効ですが、一方でいつまでたっても自分は未熟である、と言う自己不全感に悩まされるという側面もあります。

特に、ほどほどの意識で真っ当に努力している人であれば、意識高い系の言動を闇雲に聞くのは、自分の心をかき乱したり、いたずらに不安を煽る言葉のように感じるので、メンタル面の調子を崩す原因になります。

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意識高い「系」ではなく意識高い「人」なら苦手意識は薄れる

意識高い「系」が中身が伴わず口ばかりになる口先ばかりになる一方で、妥当な実績が伴っている意識高い「人」なら、苦手意識が薄れると感じます。

意識の高い人はたとえ言葉だけであっても、その言葉にしっかり自分の経験や試行錯誤の結果が詰まっていたり、割と現実的な視点に基づいた考えが聞けるので、聞いている側も変に意識せずリラックスして聞くことができるのです。

一方で意識高い系の場合は、所詮は言葉だけであり口先だけであり、誰かのコピーや自己啓発本の再放送を聞いていると言う側面が強く、聞けば聞くほど虚無感に襲われ、苦手意識を強めていきます。

なお、意識高い系に対して苦手意識を感じていると言う事は、それだけ自分が思春期の頃の葛藤を乗り越えてきたと言う証拠でもあるので、そこだけはしっかり高い形ではなく、そこだけはしっかり根拠のある自信として誇りを持つのも、それはそれで良いことだと思います。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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