「優しくする」と「甘やかす」との違い 優しくしすぎると相手を甘やかしてしまう理由

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今のご時世、仕事で部下に何かを頼むときになるべく角が立たないように優しくお願いすることがよくあります。

あまりキツく言ったり、相手の気に障るような言葉遣いになってしまうと、パワハラ、セクハラ、モラハラなどの各種ハラスメントだと誤解され、トラブルの原因になりかねません。

あらゆるハラスメントの存在が認知されてきたからこそ、自分がハラスメントの加害者にならないため、相手に気持ちよく仕事をしてもらうために「優しく」接するのは、確かに大切なことだと言えます。

しかし、優しくしてばかりだと「自分は優しくしているのではなくて、相手を甘やかしているのではないか?」と、ふとした時に感じることもあると思います。

仕事でなるべく気を使って怒らずにこやかなに優しく接しているのをいいことに、見えないところで手を抜いていても指摘しない、ミスが起きても反省させずまた同じミスを繰り返させてしまう…と、優しさだと思った行動が、結果として相手を甘やかし、自分のためにも相手のためになっていないという、目も当てられないオチになるのは避けたいものです。

今回は、よく混同されやすい「優しくすること」と「甘やかす」ことの違いについて、お話いたします。

「優しくする=甘やかす」ではない

「優しくする」と「甘やかす」はどちらも似たような意味を持つ言葉であり、どちらも人に対して穏やかに接するというニュアンスで混同されることがあります。

また甘やかすという意味も込められた「優しい人」という言葉が使われる場面と言えば

  • あの人は私の気持ちをなんでも受け入れてくれるから優しい人だ
  • あの人は私に対して正論や厳しいこと言わない優しい人だ
  • あの人は私がミスをして怒鳴らないから優しい人だ
  • あの人は決して私に対して否定的な意見や指摘をしないから優しい人だ

という場面が挙げられます。

どれも、自分に対して穏やかに接してくれる、不快な気持ちにしないように接してくれるという好意的な意味で使われています。

しかし、優しくすると甘やかすとを混同しているために、優しくされている側(甘やかされている側)は、相手の優しさにあぐらをかいてしまったり、自分の欠点が直されず勘違いを増長させてしまうことがあります。

どんなことをしても優しく許してくれる人がいるのはメンタルが弱くストレス耐性のない人から見れば大変ありがたい存在のように見えます。

しかし、なんでも優しい人の好意に依存するのは、自分の未熟さや至らなさに目を向け、少しずつ直していく努力を怠り、クズな自分を正当化し、堕落させてしまう原因となるのです。

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「優しくする」のと「甘やかす」との違い

辞書に載っている「優しい」には

他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである

という意味があります。

一方「甘やかす」には、

子供などを厳しくしつけないで、わがままにさせておく。

という意味があります。

どちらも似たようなニュアンスで使われることがありますが、「優しい」には相手の要求をなんでも受け入れるという意味はなく、どちらかといえばそれは「甘やかす」という時に使うのが適当と言えます。

部下のミスを例にするのなら

  • 優しい:部下のミスをしっかり指摘して、再発防止策を一緒に考える。
  • 甘やかす:部下の機嫌を損ねないようにミスをしても見逃す、あまり叱らない。

と、分けることができます。

優しくすると聞くと、どうしても相手が不愉快にならにように接することだと思われることがあります、ミスをなあなあで済ますことは優しくするのではなく、甘やかしていることと同じです。

ミスを指摘する場面というのは、どうしても相手に嫌な思いさせてしまうものです。

また、叱るのが苦手な人の場合、思いが十分伝わらずかえって相手に不安や反感を持たれてパワハラだと騒がられたら面倒なので、つい相手の機嫌を損ねないような腰の抜けた叱り方をしてしまうものです。

もちろん、相手を不愉快な気持ちにさせず、職場の雰囲気も穏やかなので短い目で見れば甘やかしてもそこまで問題にはなりませんが、長い目で見ると「この職場はミスが起きても誰も叱らない職場」だと感じる人が多くなってミスが日常的に増えたり、「あの人は何をしても怒らない優しい上司」だと思われ、舐められてしまう原因にもなります。

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相手に厳しくすることも優しさの一種

一見すると「優しさ」と「厳しさ」は全く別のものように感じます。

厳しさと言うと、きつく叱る事でったり、指摘や説教をして相手を不快な気持ちさせてしまうことは避けられません。

叱られることは、まだまだ精神的に未熟な子供だけでなく、大人でも若者・中高年関係なく苦手に感じる人が多くいます。

厳しく叱られると、自分の生き方や考え方を否定されるかのように感じますし、叱る方も「相手にショックを与えすぎてしまったらどうしよう…」「叱ったせいで逆恨みをされるのが不安…」と、お互いに気まずくなるものです。

先ほどの部下のミスの例を見てもわかるように、ミスをなあなあで済ませば、短期的に見ればお互いに嫌な思いをせず、穏やかな気持ちで過ごせます。

しかし、長い目で見れば厳しくしなかったことが災いし、大きなミスを起こし、仕事で大事な信用を失ってしまうトラブルを起こすリスクがあります。

苦言を呈したり、ダメなものはダメとしっかり相手に伝えることは、一時的に気まずい雰囲気になったとしても、長い目で見ればミスが減って仕事の質が向上する、スキルアップにつながる、周囲からの信用を獲得できるというメリットがあるので、ためらわずに行うのが優しさとも言えます。

相手のわがままや未熟な点をハイハイと受け入れてばかりでは、それは優しさではなく甘やかしです。

相手に直してもらうべきところをしっかり指摘して、一瞬嫌な気持ちにさせることがあっても、長い目で見れば苦言を呈したことで相手にも自分にも利益があるということがわかれば、厳しくすることは優しさでもあると言えるのです。

しかし、厳しさもエスカレートすると、それこそパワハラや体罰のように自分のエゴが出過ぎて、ただ自分の不満や苛立ちを相手にぶつける八つ当たりになってしまうことがあります。

また、「自分の厳しさは愛のムチ」だと自己正当化して厳しくすることへの抵抗感を減らしてしまうと、今度は自分のわがままを許してしまう、つまり自分を甘やかしてしまう原因になります。

優しく接する時にあえてあいての為を思って厳しく接することもあろうかと思いますが、その厳しさが自分のエゴや自己満足に成り果てないように、バランス感覚を持ったり厳しくした時の内容を記録して、後で振り返るようにすることが大事です。

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友達同士の優しさも気づけば甘やかしに…

「優しくする」と「甘やかす」は仕事だけでなく、仲の良い恋人関係や友達との間でも同じです。

仕事の場合、生活やお金のためにやっているから…と、ビジネスライクな関係に徹して、相手に厳しくすることはそこまで難しくありません。

しかし、恋人や友達の場合、流石にビジネスライクな関係に徹するわけにはいきません。

恋人や友達は、仲が良さが基礎の人間関係なので、その仲の良さを揺るがす行動…つまり相手に厳しくする、苦言を呈す、叱る、怒るといった行動はしにくくなります。

また、付き合っていくうちに

  • 相手に嫌われたくないから優しくする
  • なるべく仲の良い状態でいたいから優しくする
  • お互いに居心地のよいい関係になるために優しくする
  • あいての未熟さを認めることも愛情(友情)のうちだから優しくする

…と、つい相手のわがままを認めてしまい、甘やかしてしまうことも起こりがちです。

嫌われたくないから、相手のわがままや理不尽な要求をつい受け入れてしまう。

相手のいたらなさを受け入れることもまた、恋愛や友情には欠かせないものだと、自分を納得させ、相手のわがままを増長させてしまのは、本当に優しさと言えるのでしょうか…

「お互いに否定しない」関係は果たして優しいと言えるのか

ここからは筆者の経験談になりますが、昔ある仲良しグループに所属しているとき、グループ内で「お互いに否定しない」というルールが決められらたことがあります。

お互いに否定しないという字面だけ見れば、

  • 喧嘩や揉め事を避ける
  • 相手を尊重する
  • 相手の気持ちに寄り添う

という、実に平和的で穏やかな人間関係を抱くためには理想とも呼べるルールです。

ルールが始まった当初は、それこそなんでも相手を受け入れ認めており、また自分も否定されないことから実に居心地のよい人間関係だったと感じました。

しかし、次第に相手を否定しないことが災いし、金銭トラブル(この時は借金絡み)を起こしても誰も否定せず肯定的な意見ばかりを言って、トラブルを起こした状況に違和感を覚えつつも雰囲気に流され肯定してしまったことがありました。

今にして思えばなんてアホなことをしたのだろう、と過去の自分を呪いたくなりますが今にして思えばこれは集団心理の一種で、みんなが肯定的な意見ばかり言ってるから、おかしいと感じてもおかしいと言えず肯定意見をするという集団心理が働いていたように感じます。

インターネットがなかった頃と比較して、今や誰でも自分の知らないところで自分が誹謗中傷の対象になる世の中だけに、否定的な意見に過敏になるのも致し方のないことだと思います。

しかし、かと言って全肯定してくれる意見にばかり囲まれるのは、果たして長い目で見れば本当に自分のためになるのか。

人の好意に依存し、自分を甘やかし、堕落の沼に足を踏み入れることになるように思えてならない今日この頃でございます。

国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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