自己愛性パーソナリティ障害の特徴を持つ人に見られるものとして「よく嘘をつく」というたいへん目に余る癖があります。
なお、ここでいう嘘とは可愛らしいものではなく、詐欺師のように他人を欺いたり、あえて誤解するような物言いをして自分を信じ込ませるような、狡猾且つ卑劣な嘘であることが目立ちます。
ほかにも、自分が気に入らない人を貶めるために、あらぬ噂をばら撒いて追い込む…など、攻撃的な嘘も付くため非常に厄介です。
また、嘘を付く頻度の多さも特徴の一つ。以前言っていた嘘がバレないために新たな嘘を付く。嘘で嘘を塗り固めて、だんだん収拾がつかなくなるなどして、次第に周囲から「この人の話は迂闊に信じてはいけない」と見られて、要注意人物視されてしまうこともあります。(なお、これらの言動は自己愛性パーソナリティ障害というよりは、虚言癖と呼んだ方が相応しいと感じるものでもあります。)
では、実際に自己愛の強い人の付く嘘はどういった特徴や、心理的な理由があるのか…今回はこのテーマについてお話いたします。
自己愛性人格障害の嘘の特徴
事実の中に上手に嘘を混ぜて、誤解や錯覚をさせるように仕向ける
自己愛の強い人が嘘を付くからといって、最初からバレバレで簡単に見破れるような嘘をつくとは限りません。
ばれても仕方がないような見え見えの嘘をついたことを指摘されようものなら、肥大化した自尊心がひどく傷つく恐怖があるため、嘘をつくときはなるべく見破りにくいよう工夫をします。
その工夫というのが、事実の中に嘘を上手く交ぜることです。
分かりやすく言えば、嘘っぱちの話を0から組み立てるのではなく、自分が今までの人生の中で経験してきたことの中で、盛れる部分を違和感ない具合に盛る。これにより、本当っぽく見えて見破りにくい嘘の話が作れて、関わる人に対して誤解や錯覚を起こさせるのです。
なお流石に、嘘っぱちの話を0から作り上げる場合は、その嘘の自分を演じ続けることが難しく、次第にボロが出て嘘がばれてしまい非難を受けるリスクがあります。
そうならないためにも、「一部は事実だが、一部には嘘が紛れている」という具合に、事実と嘘をいい感じに織り交ぜれば、普段の言動の内容に説得力が増す。加えて、演じやすさもあるために、相手を信じ込ませるのが楽になる。
また、全てが嘘ではなく、適度に嘘と事実が混ざっているために、たとえ違和感に気づいた人が事実確認をしようにも、どこまでが事実でどこまでが嘘なのかがわかりにくい。
わかりにくいので迂闊に指摘もしづらい状況になるため、自己愛強い人にとっては比較的安全な嘘の付き方と言えます。
自分を実物以上に大きく見せて注目と賞賛を集めようとする
自己愛の強い人がなぜ他人を錯覚させるような嘘を口にするかというと、自分は実物以上に大きく見せて、注目や賞賛を集めたい心理があるからです。
別の言い方をすれば、承認欲求・自己顕示欲の強さゆえに、嘘をついてまで注目を浴びようとするリスキーな行動に出ているのです。
ただし、嘘をついて自分を大きく見せていることを踏まえると、自己愛の強い人は、よく見ればそこまで魅力的でもなければ、他人から注目されるだけの経歴や生き方を歩んでいるとは言い切れない。
至って平凡で、とくに特筆すべきものもなく、なんとも言えない人生を送っている。逆に、到底羨ましいとは思われないような、地味すぎて華やかさのかけらもない人生を送ってきている。そして、そんな平凡or地味な自分を認めれば、不安定な自尊心が揺らぐ怖さがあるからこそ、自分の理想を投影した嘘を付くのです。
加えて、嘘を信じる相手の存在を利用通して「自分の人生は魅力があり他人から見て羨ましがられるものである」という、肥大化した自尊心が満足するような確証を得ようとするのです。(もちろん、この関係は自分の自尊心で他人を振り回しているだけで、はた迷惑なのは言うまでもないが…)
なお、賞賛のようにポジティブな注目を集める他にも、あえて自分の不遇な身の上話(ただし嘘が含まれている)を口にして、同情や共感を集めることで注目を集めようとすることもあります。
不幸自慢や苦労自慢をしてくると「この人が口にしている不幸や苦労は事実に違いない」と感じてしまい、つい同情を抱いてしまう人間の心理を利用しているため、下手にポジティブな話題で注目を集めるよりも厄介さは際立ちます。(…余談だが、厄介さで言えば募金詐欺に通ずるものがあります。)
他人を貶めて信用を失墜させようとする
自己愛の強い人が付く嘘の中でも厄介なのが、他人を貶め攻撃する目的で付く嘘です。
- 相手に言われのない罪を被せて被せて悪評を広める。
- 相手の悪い点を誇張して、印象が悪化するように仕向ける。
- 全く事実無根の嘘を言って孤立させるように仕向ける。
など、相手の信用を失墜させるような嘘を、これまた事実の中に上手く溶け込ませて嘘をついては広めようとするため、周囲の人もその嘘を信じ込みやすい。自己愛の強い人一人で追い込むのではなく、周囲の人も巻き込み集団で追い込もとうします。
なお、追い込みを完遂させる性質上、こうした嘘はワンマン社長のように自己愛の強い人が圧倒的な権力や立場を持っている人間関係。あるいは、ターゲットとなる人の立場が弱く、場の雰囲気としても「あの人は追い込まれても仕方ないよね」という空気が漂っている場合で起きることがあります。
もちろん、リアルの人間関係に限らず、ネット上の人間関係…つまり、SNSやyoutubeのコメント欄における炎上のように、ネットユーザーが見たいと思っている嘘をつく。そして、その情報をよく確かめもしないネットユーザーに拡散させることで、ターゲットを追い込もうとすることもあります。
相手の良心や罪悪感に訴えかけるような嘘をつく
こうして書くと自己愛の強い人は極悪人で優しさのかけらなどない…と思われるかもしれませんが、意外にも外面はよかったり、(表面的には)礼儀正しく振る舞えるだけの社交性を持ち合わせている人もいるものです。
しかし、こうした優しさすら、嘘を相手に信じ込ませて、他人を自分の意のままに利用するための、いわば「仕込み」として作用することがあります。
普段から優しく接しておくことで「あれだけ優しい人が嘘をつくわけないよね」という印象を植え付けやすく、より嘘がばれにくい状況が作れる。
また、普段から優しく接しておくことで「こんなに優しい人を疑うなんて、流石にみっともない…」と良心の呵責や罪悪感を抱かせる。相手が嘘に対する違和感を覚えても、それを自然と見て見ぬふりする状況作り出すことも可能です。
もちろん、嘘の内容そのものに、良心を刺激するものを含めることもあります。
- 「あなたのために、普段からこんなにしているのに」 → 本心は自分の利益や評判のためだが…
- 「みんなが納得できるために、こんなにしているのに」 → 仲間意識に訴える方法。本心は「みんな」ではなく自分のためだが…
など、綺麗事とも解釈できる嘘を口にして、相手を丸め込もうとすることが目立ちます。
過去の発言をなかったことにする
頻繁に嘘をついたり、話を盛って誤解を招く表現が多いために、自己愛の強い人は発言の一貫性が保てず、時間が経つにつれてボロが出てしまいます。
ただし、この時素直に「嘘をついていました、ごめんなさい」と、真摯に謝罪すれば、肥大化下自尊心が傷つくと同時に、嘘を認めたことで自分の評価がガタ落ちするのを危険性があります。それを避けるべく、何とかして謝罪しない以外の方法で乗り切ろうと奮闘します。
その方法としてよくあるのが「過去の発言をなかったことにする」という、せこいやり方です。
「過去にこういうことを言ってましたよね?」と聞かれても、知らんぷりをする。それどころか「あなたの聞き間違いでは?」と、指摘した人を敵とみなして反撃したり「逆に聞きますけど」と質問に質問で返すことでその場の主導権を握ろうとする。
そのほかにも、過去の発言についてツッコミが入りそうな場面になるとだんまりを決め込む。SNSをやっているのなら、定期的にSNSに投稿されていた内容を削除(いわゆる「ツイ消し」)し、過去の発言は最初から存在していなかったものとしてシラを切ることが目立ちます。
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嘘に嘘を重ねて自ら生きづらさを増す自己愛性人格障害の人
このように、自己愛の強い人は嘘に嘘を重ねては自分で自分を生きづらい状況に追い込んでしまうという、困った性分を持っている人でもあります。
もちろん、下手に嘘をつかないこと。そして、嘘をついていたことがバレたら、素直に謝って罪や過ちを認めれば、余計な生きづらさに悩まされずに済むのですが、そうしたことは自身の肥大化した自尊心が深く傷つくのでやろうとしない。
その結果、自尊心が傷つかないように新たな嘘をついて、ごまかすことで乗り切ろうとする。嘘を指摘してくる人を遠ざけたりブロックするなどして、徹底的に自分を甘やかしてくれる人に囲まれた生活をする。
つまり、自分が優位に立てる取り巻きの関係の中で生きることを選ぶ事と引き換えに、現実と折り合うことを拒む結果として、現実と向き合わざるを得ない状況になると、強い生きづらさに悩まされるのです。
なお、生きづらさのあまり激しい怒りや落ち込みを見せることもあり、傍目には自己愛が強くて自信満々に見えるのに、精神的には非常に脆い部分を持っているという二面性あるため、関わりにくい人とみなされてしまいがちです。
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