自己愛性人格障害をはじめ、自己愛が強く肥大化した自尊心を持っている人は、
- やたら他人に粘着する
- ネチネチと執念深く付きまとう
- 嫉妬深い
- 根に持つ
- 敵とみなした相手には執拗かつ陰湿で攻撃的な態度を取る
…など、しつこい言動を取ることがあります。
そのしつこさ故に、自己愛の強い人は「面倒な人」だとみなされて人間関係から孤立してしまったり、しつこさが悪化して陰湿ないじめや嫌がらせ、パワハラ、セクハラ、モラハラ、DV、ストーカーなどの各種問題へと発展することがあります。
では、このしつこさの理由や原因とは一体なんなのか…今回は、これをテーマにしてお話いたします。
自己愛の強い人は人間関係を見下す・見下される関係のみだと感じている
自己愛の強い人に多いのが、人間関係は見下すか見下されるかしかないという、対人関係に対する独特の価値観です。
言うなれば、他人は全員競争相手や敵とみなしている。自分に危害を及ぼすおそれがある相手だとみなしているために、執拗に嫌がらせや邪魔をしてきて、相手を叩きのめすような付き合い方をしてしまうのです。
他人は「敵」なので完全に支配することを目指す
重ねて言うように、他人のことを「敵」と考えているために、自己愛の強い人はいつも不安を抱えています。
いつ自分が他人から見下されて蔑まれるかわからない不安があるため、やたら自分を大きく見せて威張り倒して自分の方が格上であることを確認したり、関わる人に対してやたら高圧的な態度を取って自分に歯向かわないように仕向けるのです。
このように関わる人間を皆自分の監視下・支配下に起き、徹底的に他人の自由を奪おうとしたがる心理が、自己愛の強い人がしつこい行動に出る原動力となるのです。
なお、他人を敵とみなしているからこそ、不要な関わりを避けて孤立を選ぶ人もいます。孤立しているので、しつこい行動に悩まされる人こそ出てきませんが、しつこい行動に出る人と同じく対人関係でトラブルを抱えている点は共通しています。
自己愛の強さに隠れている「見下されること」への強い不安
自己愛の強い人は、ぱっと見は(多少無礼に見えても)意識が高く堂々とした態度をとっているため、まさか「見下される」ことにおびえる臆病で小心者な一面を持っていると思われにくいのが特徴的です。
しかし、上でも書いたように人間関係は見下すか見下されるか、という極端かつ常に緊張感を味わう価値観を持っているため、普段から他人の些細な行動に「自分のことを見下してはいないか?」と敏感になり、強い不安を感じてしまいます。
そして、その不安を解消すべくやたら威勢のいいことを言って、人間としての器の広さや自分の才能や魅力をアピールするのです。
こうした行動は、いわば他人に見下されないように虚勢を張っているのと同じです。「弱い犬ほどよく吠える」という諺にもあるように、肥大化した自尊心のせいで情緒的な不安定さがあることを相手に悟られ見下されないためにも、弱い犬がやたら吠えて威嚇するのと同じく虚勢を張り続けているのだと言えます。
自分の支配下から逃れた相手に執拗に付きまとう背景
自己愛の強い人が上手く他人を支配できたとしても、それで完全に安心できるというわけではありません。
- 支配した相手がいつ寝返るかわからない。
- 何かのきっかけで自分を裏切り悪評を広めて反撃してくるかもしれない。
という強い不安を感じている。そして、その不安が現実のものとなれば、執拗に攻撃して徹底的に叩きのめそうとするのです。
自己愛の強い人からすれば、裏切った人間は「自分が他人を支配していた」という脅迫材料を持っている厄介な存在であり、支配下から外れた以上はみすみす放っておくわけにはいきません。
自分の知らない場所で自分の悪評を広められるかもしれないし、悪評を広める行為そのものも、自分の支配下から逃れられた以上はコントロールすることは難しい。
こうした人には言えない悩みを抱えているからこそ、見えないところでしつこく付きまとったり、SNSで裏アカウントを作って隠れて情報収集や監視をするなど、陰湿且つ執拗に付きまとう行動に出てしまうのです。
他人にしつこく付きまとう原動力となるコンプレックスと悩み
自己愛の強い人は対人関係における独特の価値観の他にも、肥大化した不安定な自尊心を持っているために、普段から強い不安やコンプレックスを抱えてしまう。そして、それらを解消する方法として、他人にしつこく付きまとう行動に出てしまうのです。
では、具体的にどういう不安やコンプレックス抱えているのかについて、以下で詳しく説明していきます。
いつも誰かに評価されていないと不安で押しつぶされてしまう
自己愛の強い人は、社会的な地位、肩書き、偏差値、学歴、身体能力、容姿…などの客観的且つ社会的に認められており、賛同を得やすい評価に強くこだわる傾向があります。
こうした評価にこだわる背景には、自分で自分のことを評価できず、他人からみて評価できるものに頼らなければ、自分を評価できない状態にあると考えられます。
他人の評価関係なく「自分で自分のことをこう思っています」と言えるものが無く、漠然とした不安や自信のなさに悩まされている。常にブランドや社会的地位などの他人が決めた価値基準を借りなければ、精神的に安心できない脆さを抱えているのです。
不安を感じていてもそれをストレートに表現できない生きづらさを抱えている
ただし、精神的な脆さをストレートに口に出そうものなら、それこそ他人の価値基準を借りている為に「情けない」「弱い」「幼稚」とみなされて、自分には価値がないという認識を強めることになります。
このように、生きづらさを感じてもそれを相談することすらできない。弱気で情けない自分を見せようものなら、社会的に見てマイナスの評価を食らうことがわかっているからこそ、無理をしてでも虚勢を張り続け、素晴らしく有能な自分を演出すればするほど、強いストレスを感じるのです。
こうした、自分の弱さを出したくても出せない状況で必死に我慢をしている人からすれば、弱さをさらけ出して周囲から認められ受け入れられている人は、強い嫉妬と羨望の対象になると同時に、自分の我慢が無価値であるという不安を感じさせる厄介な存在です。
自己愛の強い人がやたら他人を見下すのは、こうした不安を感じさせる存在に対する目障りだと思う感情。そして、弱さを隠す我慢をしなくてもいい人の方が無価値であり、自分が不安や劣等感を感じる必要性はないのだと、自分自身に言い聞かせている目的もあると考えられます。
自己愛の強さと強迫観念
最後に、しつこい行動に出る理由として考えられる「強迫観念」についても説明しておきます。
自己愛の強い人は「自分は特別であり賞賛や絶賛を受けるに値する人間である」という自己イメージを持っていることが目立ちます。しかし、この思い込みがエスカレートして
- 「いつでも自分は賞賛を浴びなければいけない」
- 「いつも周囲の人は自分を賞賛すべきである」
という、強迫観念へと変わってしまう。その結果、やたら他人にしつこく付きまとうような言動に出てしまうのだと分析できます。
「他人から認められなければいけない」という他人の存在が必要な強迫観念は、その性質上自己愛の強い人だけの問題では済まず、対人関係のおけるトラブルを生む原因になるのは明白です。
なお、自己愛の強い人が他人から賞賛されるだけの成果を出しているうちは、問題が顕在化しにくいのですが、何かの拍子で伸び悩んだり、挫折を味わうことになり、賞賛されるだけの立場を維持できなくなったときにトラブルを起こすのです。
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