他人に対して嫉妬する事は誰にでもありますが、その嫉妬心の強さゆえに
- 相手を引きずり下ろしてやりたい
- 相手は挫折に追い込んでやりたい
と言う邪悪な気持ちから嫌がらせをしてくる人がいるものです。
もちろん、実際に生活している中では、露骨に嫉妬から嫌がらせをしてくる人と出会う事はあまりないので気づきにくいものではあります。
実際には本人に分からないようにネチネチと優しい言葉で心折りに来たり、他の人を巻き込んで挫折するように仕向けたり、匿名掲示板やSNSなどアンチ活動を行う…というように、嫉妬している本人には気づかれにくいような形で嫌がらせに勤しむものです。
こうなるのは嫌がらせをしてくる人にも守りたい立場や、失いたくないもの(評判やイメージ等)があるために、表面的には自分の嫉妬心という悪材料が表に漏れ出ないように気をつけつつ、裏では嫉妬心から来る嫌がらせを行い挫折と追い込もうとするのです。
今回は嫉妬から来る嫌がらせをする人の心理や特徴についてお話しいたします。
嫉妬から来る嫌がらせは「ずる賢さ」「計算高さ」「陰湿さ」がある
まずはじめに、嫉妬から来る嫌がらせをするにあたっては、露骨に「嫉妬してますよ」とアピールしてしまっては、嫌がらせは失敗に終わるリスクがあります。
そのため、確実なものにするためには
- ずる賢さ
- 計算高さ
- 陰湿さ
が必要になるのです。
「ずる賢さ」は、嫉妬による攻撃を露骨にするのではなく、あくまでも仕事で部下への指導という体で行うというのがいい例です。
こうすることで、部下を指導している後輩思いの上司というアピールをしつつも、自分の醜い感情からくる攻撃を業務上の指導という大義名分のもとに行い正当化することができます。
また、素直な人ほど自分が嫉妬からくる攻撃ではなく、本当に業務上の指導からお叱りを受けていると考えてしまうために、「自分にも落ち度があるから反省しなくてはいけない」と感じ、相手が嫉妬しているという可能性を考慮できなくなるのが非常に厄介です。
「計算高さ」は、例えばどんな時でもネチネチと攻撃するのではなく、グループ内で誰か味方が付いた時に限って攻撃したり、逆に自分がグループ内で不利な状況では攻撃をしないというものです。
勝てるときに勝つとう計算高さを見せていけば、次第にグループないでも「この人に逆らってはいけない」という考えが共有されていき、今度は自分の手を汚さず他人に命じて攻撃させるように仕向けるということもできるようになります。
「陰湿さ」は嫉妬しているとは気づかせないように、遠まわしな表現をしたり場合によっては無視や仲間はずれにするといった、何もしないという攻撃をすることで、嫌がらせそのものを攻撃対象の本人だけでなく周囲からも気づきにくくするのです。
これは、モラルハラスメントのように言葉や態度といった周囲から気づきにくい嫌がらせにも共通していることと言えます。
嫉妬から嫌がらせをしてくる人の心理・特徴
他人の足を引っ張ることで自分の立場を守りたい
冒頭でも述べましたが、嫌がらせをしてくる人は自分の立場やイメージ等の守りたいものを取りたいと言う目的のために嫌がらせをするのです。
例えば、グループ内で自分よりも格下のキャラの人が、いきなり出世してグループのトップに躍り出たと言う状況を想像してみましょう。
この場合、今までそのグループでトップクラスの立場にいた人からすれば、急に出世してきた人はまさに自分のポジションを脅かす危険人物のように感じるでしょう。
そのほかにも、
- 急に部活内で頭角を現してきた後輩
- SNSの友達の中でバズを起こしたことで急にフォロワーが増えた人
- 今まで大体似たり寄ったりの生活を送っていたのに、急に恋人ができて収入が増えて幸せになっていた同級生
などの、今までの関係性が崩れてしまう場面や、親しかった間柄なのに上下関係のような人間関係になってしまう時に、何とかして今までの立場や関係性を維持すべく嫌がらせに走ってしまうのです。
プライドが高く自分と同じかそれ以下の人しか認められない
嫉妬から攻撃してくる人の特徴として、常に自分が1番じゃないと気がすまない、プライドが高すぎて人と比較するのが癖になっていると言う人がいます。
このタイプの人は、根本的には自分が抱いている理想の自分と現実の自分とのギャップが悪い意味で大きいので、現実の自分がそこまで立派なものではないといやでも自覚してしまうような人に対して強い嫌悪感や嫉妬心を開いてしまいます。
そのため付き合う人はいつも自分と同じかそれ以下のレベルの人としか仲良くなろうとせず、同時にその人間関係の中で自分を上回るような素質や伸びしろのある人が出てきた場合は、嫌がらせをして潰そうとしたり、馴れ合いに巻き込み足を引っ張ろうとします。
プライドの高い人にとって、自分と同じかそれ以下しかいない環境は、まさに自分こそが世界の中心だと思えるような自分好みの居心地の良い人間関係です。
しかし、あくまでもそれは自分が持つ尊敬されたい、ちやほやされたいという承認欲求を満たすためだけの自分本位な人間関係であり、他人のことを自分の言うことを聞く道具のように扱っていると言う、相手の意見や考え方を尊重した対等な人間関係とは呼べないものです。
自分の考えや価値観が絶対に正しいと考えている
世の中は自分の考えや価値観がいつも通用すると言うほど単純ではありません。
自分よりも先に同期が出世して社会的に認められたり、自分が見下していた人が進学や就職で自分よりも高い地位に就くと言うこともあるものです。
そういった場面になったとき、多くの人がショックを受け落ち込むものですが、次第に自分の努力不足を感じたり、「どうして自分よりも先に認められるようになったのか?」について考えて、自分の価値観や考え方を修正していくようになるものです。
しかしショックを受けつつも、「あくまでも自分の考え方や価値観こそが正しく、そんな自分の正しさが認められない世間や社会の方が間違っている」と自分の考え方や価値観を修正せず責任転嫁をしてしまう人は、嫉妬心を暴走させ嫌がらせに走ることが多くなります。
嫉妬心を暴走させないためには、(あまり認めたくない事かもしれませんが)自分の考え方や価値観に至らないところがある、誤りが含まれていると言う、自分の不完全さや未熟さを辞任していくことが大事といえます。
とは言え、現実には自分の未熟さを自覚するとなると、人によっては自分の理想像が崩れ去ってしまうという恐怖感を覚えることもあります。
その恐怖から逃れるために「いつも自分は正しい、間違っているのは社会の方だ」と言う自分の未熟さを認めなくてもいい考えを強めていき、嫉妬を暴走させてしまう人が後を耐えないのもまた事実です。
自分の醜さや弱さと向き合うことを避けている
世間一般的には嫉妬心と言うものはあまりポジティブなものとして見られるものではありません。
嫉妬心は
- 未熟さ
- 醜さ
- 心の狭さ
- 自己中心的
- 器の小ささ
- 陰湿さ
などのクリーンなイメージとはかけ離れた感情であり、世間体や自分のイメージを大切にしている人ほど、自分が抱いている嫉妬心を認めようとするのが難しくなります。
また、心理学者のフロイトは嫉妬に関して「投影された嫉妬」と言うものがあると指摘しています。
これは自分が持っている嫉妬と言う醜い感情を、あくまでも自分が持っているのではなく相手が持っているのだと考える(=投影する)ことで、自分自身は嫉妬のようなやましい感情とは無縁というフリをすることを指します。
これは嫉妬という感情そのものに限らず、怒り、憎悪、差別心、支配欲求などのいわゆる醜さや自分の弱さといった感情から向き合うことを避ける人にも見られます。
自己愛が強く自分を過大評価しがち
自分を愛する感情、すなわち自己愛が強い人は自分に対して過大な自己評価を持つ傾向があります。
例えば、
- 自分は周囲から尊敬されるべきだ
- 周囲の人が自分のことを羨望の眼差しで見てくるはずだ
などのナルシストのような思い込みが、自分の評価に大きく反映されます。
しかし、「こうあるはずだ!」と言う思い込みはあくまでも自分の中だけの思い込みに過ぎず、たいていは自分の思い通りにならないので理想と現実とのギャップに苦痛を覚えます。
そこで、上でも触れたように自分の考え方を修正していければ良いのですが、強すぎる自己愛の声で自分の考えの未熟さを受け入れることができず、「周囲の人は自分を見る目がない」「お前らは何もわかっていない」と、自分以外の人や環境にこそ原因があると考えてしまい、自分の攻撃的な発言や行動を自己正当化してしまうことがあります。
自己正当化しているからこそ、悪い意味で開き直っておりまともな指摘すら
- 自分への嫉妬である
- アンチが出てきているから自分の知名度が上がっている証拠
- ネガコメがくること=自分は時代の最先端を走っている
という、自分の考えの歪みを強化してしまい、トラブルを引き起こす原因になります。意識高い系の人によく見られる選民思想のような行動も、この考えの歪みを強化してしまうことが原因だと見ることができます。