自己愛性パーソナリティ障害のように、自己愛が強くて周囲から賞賛されることを求めたり、親であることを盾にして自分をチヤホヤするように求めてくる人を父や母に持つ子供の苦悩は、計り知れないものがあります。
いわゆる、
- 毒親
- 機能不全家族
- アダルトチルドレン
など、子供の心身の成長にとって悪影響を及ぼすような子育てをしたり、家族関係を構築してしまうケースの中には、親が自己愛性パーソナリティ障害である可能性もあります。
では、実際に自己愛の強い親に育てられた子供は、どのような悩みや生きづらさを感じているのか…今回は、このテーマについてお話いたします。
目次
「条件付きの愛」で育てられて自主性の無さ、自己肯定感の低さに悩まされる
自己愛の強い親は、子供への愛情のかけ方が「○○したら愛してあるげ」という、条件付きの愛で育てる特徴があります。
条件付きの愛とは、例えば…
- 「親である自分のいうことを聞いたら、愛してあげる」
- 「テストでいい点を取ってあげたら、褒めてあげる」
- 「ほかの子と仲良くしていたら、認めてあげる」
など、親が提示した条件をクリアすれば愛情が得られるという関係です。
この関係の問題点は、もしも子供が親の提示した条件をクリアできなかった場合に「自分は親に見捨てられるかもしれない」という不安を感じること。そして、不安に悩まされないためにも、懸命に親の提示した条件を達成することを優先するあまりに、こども自身の自主性が育たなくなることです。(とくに、自主性がないと進学、就職など自分の進路を決めるときに苦労するハメになる)
さらに、条件付きの愛で育ってきたことが災いし、「何の条件も達成せず、義務や責務を全うしていない素の自分には存在する価値などない」という、素の自分を肯定できなくなる。つまり、自己肯定感の低さで悩みを抱えてしまいます。
自己肯定感の低さゆえに友達関係や恋人関係など、互いの仲を保つための条件が存在ない人間関係に居心地の悪さを覚え、同年代の子と上手く関わることができずに孤立してしまう。そして、「ほかの子と仲良くしていない」ことで親から認められない恐怖を味わう…というジレンマを抱えてしまうのです。
ちなみに、親が条件付きの愛情で子供を愛してしまう原因としては、親自身も自分が条件付きの愛情で長年育てられたことが影響していることが考えられます。
条件付きの愛で育ったことにより、「何の条件もなく自分は愛されて受け入れられる存在である」という無条件で歪みのない愛情に触れる機会がなかった。そのため、いざ自分が親になったときにそれができるはずもなく、自分がされてきた時と同じく条件付きの愛で我が子を育ててしまうのです。
少し話は逸れますが、自己愛の強い人が、やたら肩書き、数字(偏差値、年収、身長・体重など)、ブランド、権力・権威など、社会的価値があるものに強くこだわるのは「社会が認めているものを手にしてなければ、自分は認めてもらえない」という、条件付きの愛で育った経験が起因しているとも解釈できます。
親を気遣うことがクセになり、家庭内が安心できない居場所になる
自己愛の強い人は、自分は特別で素晴らしい人間であるとして、周囲からチヤホヤされることを望みます。このことは、親になっても同じであるため、子供は親の承認欲求や自己愛を満たすために、親の顔色を伺い親を基準とした生活を送ることになります。
もし仮に、親の顔色を伺うことをやめて自己主張をしようものなら、親の立場を盾に
- 家から追い出す。
- 大声で怒鳴る・威圧する。
- 冷遇する。
- 無視する。
- 父なら母、母なら父に告げ口して、2対1で子供を責める。
など、精神的に追い込まれると同時に、自分は親なしでは文字通り生きていけない弱い存在だからこそ、何としてでも親の顔色を伺わなければいけない…という考えを強めていくのです。
そんな考えを持った子供からすれば、自分の家はいつも親の顔色を注意深く伺い続けなければならず、およそ安心できる環境とは言えません。
いつもピリピリとした緊張感が張り詰めており、自室にいる時ですら気持ちが落ち着かない。常に不安や恐怖と隣り合わせの状況で精神的に摩耗してしまうのです。
親自身の外面はいいので家族関係で悩んでいることを理解されづらい
自己愛の強い親は、他人から自分がどう見られるかについては敏感であることが多く、子供を尊重しないような毒のあるような親としては見られないどころか、むしろ子供のことをよく考えている教育熱心で理想の母親or父親として見られがちです。
子供が親である自分の提示した条件に必死に達成している限りは「子育てがきちんとできている立派な親」として周囲から認められるので、評価や賞賛を求める自己愛の強い親からすれば、外面を整えない理由はないといってもいいかもしれません。
しかし、上でも触れたように立派な子育てのように見えて、実態は条件付きの愛で子供に過度な負担をかけている。子供がいつ精神的に潰れてもおかしくない状況が水面下では繰り広げられています。
子供自身が親のせいで苦しんでいること、子育てや家族関係で辛い思いをしていることを、学校の先生や近所の人、親戚など子供と接点のある大人に相談しても、普段の外面の良さがあるので話を信じてもらいにくいのが大きな悩みです。
場合によっては、親ではなく子供の方に問題があるとして片付けられてしまい「悩みを相談する=自分が責められる」と学習して、悩みそのものを誰にも打ち明けないまま、生きづらさを抱えてしまうことも起こりえます。
また、育児放棄や暴力など、わかりやすい虐待をされているわけではない。条件付きの愛情ではあるものの、一応は大切にされているので、子供自身もそんな親を絶対的な悪者とみなして相談することにためらいを持ってしまうことが問題点です。
なお余談ですが、傍目には立派にみえる親が、まさか子供に毒となるような子育てをしている…と想像するのは失礼に当たることもまた、理解が難しくなる要因として考えられます。(無論、立派な子育てをしているように見える人を「毒親」と疑うこと自体、下衆の勘ぐりが過ぎるので、まずしないものですが…)
親から十分な愛を受けなかったために、子供自身も自己愛が強くなって生きづらさを抱える
親から条件なんて必要ない、無条件の愛情を受けて育っていない。親に甘えることもできなければ、自分のことを受け入れてもらえることができず、不満足な思いをして育って来たために、子供は自分の満たされなかった気持ちを、自尊心を肥大化させることで埋めようとすることがあります。
つまり、子供も親と同じく自己愛の強い人になってしまい、対人関係でトラブルを起こしたり、自分の内面の脆さが克服されないことで、生きづらさを抱えてしまうのです。
また、もしも子供自身が親の子育てや自己愛の強さに辟易としつつも自分が自己愛の強さに悩まされるとなった場合、自分が嫌っていた人間と同じ特徴や思考を自分が持つ…という、まさに自分の家系を呪いたくなるような不快感に襲われることが、自己愛の強い親に育てられた子供ならではの苦悩と言えます。
自己愛の強い人を憎悪していたのに、その憎悪していた要素が自分にもある…と、うっすらとでも感じた時の苦悩や葛藤により自尊心が深く傷つけられる時の苦しさは、分かる人には分かる言葉では言い表しにくい辛さがあるものです…
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