モラルハラスメント(モラハラ)の被害者は大抵は女性であり、男性は加害者の立場なのが一般的です。
しかし、モラハラの被害者・加害者は性別により固定されたものではないために、男性が被害者、女性が加害者になることもあります。
今回は、そんなモラハラの被害者になりやすい男性の特徴について、お話しいたします。
(なお、この記事では、恋人・配偶者からモラハラを受けやすいという状況を想定していますが、職場、親子、友人からモラハラを受ける場合でも応用できます。他にも、男性同士でのモラハラの場合も同様に応用できます。
また、モラハラされやすい人を取り巻く環境や心理については、以下の関連記事をご参考にしてください。タイトルは「女性の」となっていますが、男性でも共通する要素はあります。)
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「我慢すること=男らしい逞しさ」と考えている
モラハラをされやすい男性は「我慢すること=男らしさ逞しさである」と考えているために、女性からのモラハラ行為であっても「我慢するのが男らしさである」と自分で自分を納得させて、受け入れてしまいます。
確かに、男らしさと言えば身体的な逞しさだけでなく、精神的な逞しくタフであることに価値がある。ストレス耐性が高く、たとえ劣悪な状況であっても弱音を吐かずに耐え続ける姿勢を持つことこそ、男の中の男である…というような、マッチョイズムな男性像を思い浮かべる事は、男性ならよくあることでしょう。
しかし、我慢することに重きを置く男性像は、モラハラ加害者からすれば、どんなに自分が嫌がらせをしても「我慢することに価値がある」と考えて、モラハラの存在を外部に漏らされずに済ませられる好都合な相手と見られてしまうリスクがあります。
また、当の本人も「耐えてこそ男らしさ」であるという実感に囚われるあまりに、今まさに自分がモラハラ被害を受けている自覚が持てず、問題が表面化しにくくなる危険性もあります。
なお、モラハラは乱暴な発言をしたり相手の人格や人間性を否定すると言った言葉による嫌がらせと、無視する、恥をかかせる、被害者を服従させて自分の要求を飲ませる、などの態度による嫌がらせが代表的です。
殴る、蹴る、物をぶつけると言った暴力行為は、(定義に照らし合わせれば)モラハラではないために、男性に比べて体格が小さく筋肉が少ない女性であっても、簡単にできてしまう側面があるともいえます。
むしろ、力ではかなわないからこそ、言葉や態度による嫌がらせの技術を磨き、男性をコントロールすることそのものが肯定的に見られている風潮を、「鬼嫁」「恐妻家」などの言葉の定着具合から感じることもあります。
暴力のように、我慢せずに警察や弁護士などの然るべき相手に相談する状況なら、我慢以外の対処法も選びやすいでしょう。
しかし、言葉や態度の暴力のように目に見える傷や痣が無いと「わざわざ然るべき場所や相手に相談するまでもない事だ」と考えてしまいやすく、相談できずじまいになるのがモラハラの厄介さでもあります。
「優しい自分」をアピールしたい気持ちがある
男らしさを決める要素は心身のタフさの他にも、耐えることを通して伺える男としての優しさ、懐の広さ、寛容さも含まれます。
劣悪な状況に耐えるのも単純に根性があることを示すだけではなく、自分が信じている人や大事にしている人のためなら、どんなに辛く苦しいことであっても受け入れるだけの根性があることを示すためのもの。
つまり、愛する人の未熟さや愚かさを受け入れる優しさを持っていると示すために耐えているのだと考えることもできます。
なお、このことは逆に、愛する人の未熟さを受け入れようとせず、我慢すらしようとしない姿勢は、それだけで実にみみっちく、ケチで、小物臭く「男らしくない」と見られてしまうことと同じと言えます。
とくに、恋愛関係においては、女性のわがままや無茶振り(奢ってほしい、プレゼントが欲しいなど)を受け入れてくれる優しさを持っていれば、それが自分の男性としての魅力になると同時に、モテる要素の一つになります。
しかし、モラハラの加害者からすれば、こうした優しさは非常に漬け込みやすいものです。優しい自分を演出や、周囲へのアピールのためには自己犠牲を厭わないので、モラハラの被害者にするのには好都合です。
また、一度「優しい」というイメージを周囲に定着させてしまえば、そのイメージを手放したくないという心理を被害者が持ちます。
しかし、その心理もモラハラ加害者からすればモラハラを行うのに好都合で「優しいはずなのに何で嫌がるの?」「他人を利用して優しく見られたいのが本音?」という言動で相手を揺さぶり、嫌がらせを行う口実を手にすることができます。
また、被害者としてもせっかく手に入れた「優しい」イメージを手放すのは惜しく、そのイメージをなんとか持ち続けるためにも、我慢や無理を承知で加害者のいいなりになってしまいます。
しかし、我慢すればするほど自分の中で「今自分はまさに男らしい男である」という実感ばかりを強めてしまい、ただ単純にモラハラを受けて都合よく利用されていると自覚しにくいのが実に厄介です。
「自分は弱い男性である」周囲に相談することを躊躇う
モラハラをされやすい男性は、自分がただ弱いことに劣等感を抱くだけでなく、「男性として弱いこと」「男のくせに弱いこと」について、強いコンプレックスを抱えています。
コンプレックスの強さ故に、無理をしてまでモラハラ加害者のいいなりになったり、理想化された逞しい男性像に対して強い執着心を持ってしまうのも納得できます。
また、もしも「女性からモラハラを受けている」と相談しようものなら、第三者に対して「自分は弱い男性です」と公言している苦痛を味わうために、第三者に相談することを躊躇うのです。
なお、男性からモラハラ被害を受けている女性は、周囲に相談すれば受け入れて貰いやすく、共感や支援などが受け入れやすいものです。
しかし、男性からモラハラ被害を受けている男性、男性からも女性からも非難や軽蔑の対象になりやすく、理解や共感が得られにくいのが特徴的です。
また、仮に相談したとしても
- 「お前がしっかり言わないからダメなんだ」
- 「男のくせに情けない」
- 「そうやって、惚気話をしたいだけだろ?」
と、まともに取り合ってもらえず、モラハラ問題が理解されにくいのも、相談しづらさの一端を担っていると感じます。
そもそも、モラハラを含めて、DV(家庭内暴力)、デートDV(恋人関係のDV)、セクハラ、パワハラなどの各種嫌がらせ行為は「男性=加害者、女性=被害者」という構図で語られることが一般的であるために、男女関係が逆のケースにおいてはどうしても周囲の理解が得られにくく、問題を問題として扱われにくくなります。
場合によっては、「鬼嫁の厳しい愛に耐える夫」として美談にされて、メディアで消費されてしまうことも、相談しづらさを招いているのではないかと感じます。
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