自分はどんなことでもできる、何でもなれる、と言うような万能感は、思春期を経て現実と折り合いをつけることを選んだ大人からすれば、まず持つ事は無い万能感です。
しかし、意識高い系と言われる人に見られるように、いい大人になっても、子供の頃のような万能感…つまり、幼児的万能感が抜け切らず、現実離れした夢や理想を抱いている人が、近頃よく見聞きします。
もちろん、スケールの大きな夢や理想を抱くこと自体は否定しません。
しかし、幼児的万能感は、無批判に肯定できるものではなく、幼児期から青年期、そして大人になる過程において、乗り越えるべき発達課題を乗り越えていないために、生きづらさの原因になったり、内心は不安でいっぱいなので幼児的万能感にすがるしかないと言う問題を抱えてえることがあります。
今回は、幼児的万能感についてお話しいたします。
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幼児的万能感とは
幼児的万能感とは、主に思春期以前の子供の時に抱いていた「自分には何でもできる」と言う万能感を指します。
「何でもできる」と感じるベースには、親からの愛情や期待があったり、親の保護や支えを自分の実力と認知していることが考えられます。
実際に幼稚園や小学校低学年の子供の将来の夢を聞くと、(実際になれるかどうかはさておき)プロスポーツ選手や医師・看護師、ファッション関連の仕事、芸能活動(YouTuberも含む)など、大変スケールの大きい夢が上位に上がるものです。
中には、漫画やアニメの主人公や戦隊モノのヒーローになりたいと言うような子供らしい純粋さがあふれる夢から、「電車になりたい」など、大人から見ればどうあがいても無理な夢をも持つ声も、なりたい夢の1つとして上がることがあることでしょう。
しかし、思春期(青年期)に差し掛かると、自分が今まで抱いていた夢を叶えるためには、厳しい競争やトレーニング必要であることを知ったり、家庭の事情や経済事情などから「自分は何にでもなれないのだ」と悟ります。()アニメや漫画といったフィクションの世界の人物になりたいと言う、どうあがいても実現不可能な夢であれば、何か別の妥当な夢に修正していくことが欠かせません。
「自分にはどのような将来が選択できるのか」と今の現実の自分と向き合い現実的な夢や目標立てる経験を経て、思春期を脱する時には妥当な万能感を身に付けていきます。
しかし、現実とうまく折り合うことができないまま思春期を過ごしてしまったり、親が子供に対して過剰な期待をかけ続ける、あるいは褒め続けて幼児的万能感を克服する機会が与えられなかったために、大人になっても幼児的万能感を引きずってしまうことがあります。
幼児的万能感を持つ大人の特徴
無条件に自分は優れている、素晴らしいと思い込む
幼児的万能感を引きずっている大人は、自分は無条件に素晴らしいだとか優れている優秀である、と言う根拠のない思い込みを持ってしまうことがあります。
端から見れば、自信満々に見えて悩みや不安がなさそうに見えますが、内心は自分が万能であると言う理想と、自分はいたって平凡であると言う現実とのギャップの乖離に強い不安を感じている。
そして、その不安を打ち消すためにあえて自分は万能だと強く主張していると考えられます。
根拠のない自信に満ち溢れている
幼児的万能感は、自己啓発本でよく聞く根拠のない自信にも通ずるものです。
根拠のない自信と言えば、自己啓発本では肯定的な意味で使われて根拠がないだけに非常に不安定であり、これのみで自信をつけてしまうと、歪んだ自己イメージを育ててしまうリスクがあります。
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現実離れした夢や理想の世界に引きこもる
ナポレオンのようま「私の辞書には不可能という文字は無い」と言う万能感のせいで、いい年した大人なのに、子供のような現実離れした夢や理想を抱くことがあります。
しかし、あくまでも夢や理想を抱くだけにとどまり、どうしたらその夢が達成できるのかどうかと言う現実的な話になると、自分が万能でもなんでもないことを思い知らされる恐怖を感じるため、自分の理想の世界に引きこもろうとします。
実際に自分の部屋にこもって社会との接点をなくすこともあれば、自分の理想を理解し共感できる仲間とのみ接点を持ち、それ以外の関係を全て断って、馴れ合いの世界に没頭することもあります。
まるで、意識高い系が、同じく意識高い系の人たちとつるんでばかりで、全く進歩が見られないのと同じです。
自分が平凡であると言う現実と向き合いもせず、克服もせず、居心地の良い場所から1歩も出ようとしない内弁慶さが、幼児的万能感をより強固にしていると言えます。
一見すれば、ロマンティストで子供の心を忘れない純粋な大人と見られることもありますが、ひねくれた見方をすれば、精神的に未熟であるために現実を直視できていない残念な人とも見ることができます。
些細なことに打たれ弱い
思春期に現実と直面し挫折や失敗を受け入れて克服した経験がないため、等身大の妥当な万能感を身に付けていません。
肉体的には大人であっても、内面はまだまだ未熟です。しかし、その未熟さを受け入れることができず、万能であると言う自分の理想像にとらわれています。
そんな調子なので、社会生活を送る上でも、どこか精神的な未熟さや考えの甘さが目立って指摘されることが多々あります。しかし、その指摘すらも万能と言う理想像を壊す脅威と感じて、ひどく傷つきます。
同年代の社会人ならさほど気に留めないことですらも、幼児的万能感を持っている人からすれば、今まで自分が抱いてきた万能感を否定するもののように感じてしまい、些細な事でもひどく傷つきてしまい打たれ弱くなってしまいます。
また、打たれ弱いために、社会と折り合うのを避けて引きこもりになったり、社会生活からドロップアウトしてしまう事もあります。
我慢強さがなくすぐ諦める癖がつく
勉強にしろ仕事にしろスポーツにしろ、結果を出すためには地道な努力が欠かせません。
しかし、幼児的万能感を持った人からすれば、それらの努力をすることは、まるで自分の万能感が否定されているよう見えて苦痛を感じます。
また、自分が万能だと感じているからこそ、「私はこんな地道な努力がなくても結果が出せる!」と結論づけ、地道な努力に耐えるだけの我慢強さを身に付けられなかったり、すぐに諦めてしまう癖がつきます。
なお、諦める事は、言い換えれば自分は万能ではなかったと言う事実に他なりませんが、そのことを真っ正面から受け止めようとせず、後述するように責任転嫁することで、受け入れがたい事実現実から逃れようとします。
他人や環境への責任転嫁や言い訳が目立つ
自分は万能であると言うのは、思い込みに過ぎないので、万能感にまかせて行動しても自分の期待通りに物事が進まないのが(悲しいですが)現実です。
しかしその現実を現実として受け止めて克服する辛さに耐えきれず、
- 「たまたま運が悪かっただけ」
- 「自分の才能を生かせるだけの環境が整っていなかっただけ」
- 「まだ本気出してないだけ」
と、責任転嫁したり、負け惜しみのような言い訳を口にします。
自分に落ち度がないと自己正当化することで、幼児的万能感は修正されることなくそのまま残ってしまいます。
反省もせず、改善もせず、しかし同じ過ちは何度も繰り返す学習能力のなさが、精神的な未熟でまるで成長していないと周囲から受け止められ、顰蹙を買うのも無理はありません。
幼児的万能感とピーターパンシンドローム
幼児的万能感と関わりがある言葉として「ピーターパンシンドローム」と言う言葉があります。
ピーターパンシンドロームとは、1983年にアメリカの作家であるダン・カイリーが発表した著書の名前であると同時にパーソナリティー障害のことです。(ただし正式な精神病や心理学の用語とは異なる)
その特徴は
- 精神的に未熟で
- 主体性に欠ける
- 自己主張が苦手
- 責任感が欠如している
など、一言で言えば大人になりきれていない大人そのものです。永遠の少年であるピーターパンのように、いつまでも子供の心が抜け切らず、精神的な自立や成熟がなされていない大人を指しています。
当然ながら、大人になりきれていないので社会生活をうまく送れず、次第に自分が所属している職場での居場所を失いがちです。
なお、現実での居場所を失なっても、現代ならインターネットを使えば自分と似たような幼児的万能感を持つ人とつながり、交流をすることが可能です。
しかし、交流のために加わったコミュニティが
- 意識高い系の馴れ合いの集団
- 胡散臭い自己啓発の集まり
- スピリチュアル系のグループ
など自分のことを否定せず、妙に温かく受け入れてくれるコミュニティであった場合、詐欺に巻き込まれたり、情報弱者として認知され食い物にされてしまうリスクがあります。
近頃、プロブロガーを自称し、「ブログ(を含む情報商材やサロンビジネスなど)を使って惨めな人生一発逆転しませんか?」とネット上で宣伝している人たちの中には、幼児的万能感をこじらせ社会での居場所を失い、プロブロガーと言う不安定且つ混沌としたコミュニティに、半ば溺れる者藁をも掴むかのように、ハマっているのではないかと感じることがあります
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