心理カウンセリングを受けるのが恥ずかしいと感じる理由

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一昔前に比べて、心理カウンセリングリングの存在は多くの人に認知され、学校でも職場でもカウンセリングを受けやすくなっているように感じます。

しかし、その一方で心理カウンセリングそのものに対して抵抗感を持っていたり、どこか後ろめたさや恥ずかしさと言った苦手意識を抱いている人も、依然として居るように感じます。

今回は、そんな心理カウンセリングを恥ずかしいと感じる心理について、お話しいたします。

(※補足)

この記事で触れている「心理カウンセリング」は、病院や大学、スクールカウンセラー、臨床心理士による心理カウンセリングなどを指します。自己啓発やスピリチュアル系などで行われているカウンセリングは含みません。

どうして心理カウンセリングが恥ずかしいと感じるのか

病気だと誤解されるのが嫌だから

一口に心理カウンセリングと言っても、その目的は

  • アルコール依存症、うつ病、摂食障害など、いわゆるメンタル面の病気に当たるものの治療の目的。
  • 職場の人間関係や家族関係の悩みの相談のように、悩み相談と解決が目的。

と、差があります。

心理カウンセリングと聞いて、前者のようなメンタル面の病気を思い浮かべる人からすれば、たとえ、自分の心理カウンセリングの目的が後者であっても、自分がメンタルの病気を患っている人だと思われると誤解されるのを恐れて、心理カウンセリングに行きにくくなるのです。

また、アルコール依存症などの病気は、世間一般的には本人の酒のだらし無さや怠慢…つまり、当人の性格や行動に非があり、普通に生活を送っていれば関係ない病気だという風潮もあります。

そんな風潮がある中、人間関係の悩み相談のために自分が心理カウンセリングを受けている光景を見られたら、自分もアルコール依存症患者に向けられる偏った意見を世間一般から向けられてしまい、自分の評判を落としてしまう不安があるからこそ、心理カウンセリングを受けづらくなるのだと考えられます。

ストレス耐性が低い、メタルが弱いとアピールするようなものだから

心理カウンセリングを利用している人への偏見でよくあるのが「あの人はカウンセリングを受けるほどメンタルが弱い」「ストレス耐性が低い」という意見です。

ストレスフルな昨今では、ストレス耐性の高さに強い価値が置かれていると同時に、ストレス耐性のない人に対する風当たりの強さが目立ちます。

とくに、勉強、スポーツ、仕事などの勝負事や競争が必須の場面では、ストレス耐性が強く精神的にタフであることが尊ばれるものです。

タフであれば、それだけ努力も積み重ねやすく、実力を発揮して、成果を残して社会や組織、家族の期待に応えられる確率が高まります。いわば、競走社会において、精神的にタフであることは、それだけで一種の長所なのです。

ただし、ストレス耐性の高さを尊ぶことは、言い換えればストレス耐性が低い人は、競争に負けやすく、ロクな成果も残せず、社会から求められない不必要な存在と暗にみなしている側面があると考えることもできます。

勉強でも、スポーツでも、仕事でも求められる成果を出す見込みが低い。とくに利益を追求する仕事の場面では「雇うだけの意味がない」「人件費の無駄」とシビアな評価を受けることもあり、労働市場から必要とされない人間へと成り下がってしまうこともあります。

そうした認識のせいで、自分がストレス耐性が低く社会的な価値がない人だとみなされることを恐れて、心理カウンセリングを受けることに抵抗を覚えるのです。

今まで支えてくれた人の顔に泥を塗るように感じるから

家族、友達、先生、上司、先輩後輩など、自分のことを支えてくれている人に対して、心理カウンセリングを受けることは、支えてくれている人の応援や期待の声に応えられないどころか、彼らの顔に泥を塗るような罪深い行為だと感じることがあります。

とくに、支えてくれている人がそれなりの名誉や立場がある人の場合、自分が心理カウンセリングに行くことは自分を支えてくれた人の名誉や立場も毀損するかのように感じることがあります。

「恩師に対して恩を仇で返すわけには行かない」という強い責任感がある人ほど、精神的に調子が悪くなっても、そのまま頑張り続けてしまう一因とも言えます。

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「甘えている」と思われるのが怖い

ネットスラングで「うつは甘え」という言葉があります。うつ病のようなメンタルの病気は、傍から見れば

  • 甘えているだけ
  • ズルをしている
  • 本当は頑張れるの手を抜いている
  • 自分だけ楽をしようという身勝手さがある

など、無理解だけでなく、否定的な目で見られることが多々あります。

人からよく思われたい、甘えるような人間ではなく真面目で人の期待に応えられる人間だと思いたい人ほど「甘えている」と他人から思われることに対して苦痛や居心地の悪さを感じるので、悩みを抱いても心理カウンセリングなどを利用せず、一人で抱え込んでしまうのです。

なお、心理カウンセリングというイメージの重さや偏見の強さもあってか、占いやパワースポット巡りなど、軽い悩み相談目的に利用できて、且つ心理カウンセリングのような状況の深刻さを周囲に感じさせないサービスが流行・定着しています。

その背景には、「甘えている」という視線で見られずに済み、且つ悩み相談・解決ができるサービスを求めている人の多さがあるのかもしれません。

(もちろん、悪質な自己啓発、スピリチュアル系サービスを生む土壌になっている節は否めませんが…)

他人に迷惑をかけているように感じる

日本のように集団の和を尊び、集団生活を円滑に送ることを良しとする文化は、同時に「他人に迷惑をかけたり、自分の迷惑で集団の和を乱すことはすべきではない」という、道徳観を生み出していると言えます。

もちろん、他人に迷惑をかけないことは素晴らしいことですし、社会で生きていくためには守るべき道徳ではあります。

しかし、一方でこの道徳は何が迷惑に当たるのかという基準が自身ではんくなく他人・集団にあり、その解釈次第でどうとでも迷惑行為の基準が変わってしまうという危うさもあります。

そのため、自分は迷惑だと思っていなくても、「他人・集団から見れば、自分の些細な行動も迷惑に値する」と感じて、過度に萎縮してしまったり、勝手に自分のやることなすことを全て迷惑だと決めつけて、カウンセリングに相談することも迷惑行為の一種と判断することを招きます。

当然、「心理カウンセリングを受ける=周囲に迷惑をかける」と結びつけているからこそ、心理カウンセリングには行けなくなる。

もちろん、こうした極端な考えが更なるストレスを招いて自分を追い込むことになっていても、「周囲に迷惑をかけるぐらいなら、自分一人で我慢してやり過ごす方がマシ」と考えて、より生きづらさを増してしまいます。

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たとえプロのカウンセラーでも自分の醜い部分は見せたくない願望がある

心理カウンセリングは秘密が守られて、自分の悩みを安心して相談出来る場所でもありますが、それでも自分の恥ずかしい部分や醜い部分を他人に見せることと同じであり、どうしても抵抗感が拭えないことがあります。

さしずめ「醜い感情は誰にも見せず、墓場まで持っていく」と言うような、誰にも言えない秘密は秘密として隠し続けたい心理が働いていると考えられます。

こうした心理は、自意識過剰やプライドが高すぎることが影響していると考えられますが、一方でそれだけ「精神的に弱いこと」への風当たりの強さから、自分を守るために行っていることだとも考えることができます。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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