「ネガティブで後ろ向きな人生を送るよりも、ポジティブ思考になり明るく前向きな生活を送る方が何倍も良い!」というような記事や本はよく見かけますが、万能そうに見えるポジティブ思考にも欠点はありますし、ポジティブ思考に染まりすぎて逆にストレスを抱え込む人も当然ながら存在します。
「ポジティブ思考になれば必ず幸せになれる」というのは「筋肉をつければ健康になり人生うまくいく」というマッチョイズムのように、一見すると正しいこと、疑う余地の無いような事ではありますが、よくよく見れば極端な意見であり盲信すれば当然不幸になることもあります。
とはいえポジティブ主義は他人からのウケがいい分、エスカレートしやすく結果としてストレスを抱えたり、周囲に迷惑をかけてしまうこともあります。
今回はポジティブ主義でストレスを抱え込んでしまう人についてご説明いたします。
ポジティブ思考でストレスを抱え込んでしまい人にありがちな特徴
ネガティブな考えを常に否定しないとポジティブ思考が保てない。
ポジティブ思考はいいもの、ポジティブ思考こそ正義だと考えこむ一方で、少しでも自分の中で湧き上がるネガティブな思考、ちょっとした疑問や懐疑、慎重さについて過剰に否定してしまうということがあります。
自分の考えの中にネガティブな感情があってはならない、辛い時ことや悔しい事があってもそれを抑圧して完璧なまでにポジティブになりきろうとします。
辛い時こそ笑顔で、感謝を忘れずという綺麗な言葉で救われる人もいれば、やっぱり自分の悔しさや辛さを無視することができない人にとっては、無理にポジティブになろうと自分の気持ちを否定し抑圧すれば、当然ストレスを抱え込んでしまいます。
そもそもで言えば「ネガティブな考えを否定する」事その門が、完璧なポジティブを目指す上ではネガティブな行為になっているということに気がついていないということもあり、自分の信念と行動に矛盾が生じているともいえます。
辛い現実から逃れる為の逃避の結果としてポジティブ思考に没頭している。
就職活動などの進路選択や大事な仕事のプレッシャー、先の見えない未来への漠然とした不安を目前にして、それらにしっかり向き合うのではなくただ耳障りのいいポジティブな言葉へ逃避するようにのめり込んでしまう事があります。
現実逃避の一貫としてポジティブ思考にのめり込んでいるので、のめり込んでいる以上は現実の問題が好転することはなく、問題がどんどん深刻になればなるほど、更に耳障りのいいポジティブ思考に没頭していってしまいます。
また、自分一人で没頭するだけにとどまらず、ポジティブな割に仕事をしない、練習をしないなどのような身勝手な行為を行い、周囲から顰蹙を買ったり「どうも真剣味を感じない」「深刻な状況の割に能天気である」という評価を受けて信用を失うこともあります。
綺麗事を並べれば自分のわがままを通せると考えている。
普通ならおよそ通らないような自分のわがままも、ポジティブな言葉でコーティングすれば周囲を説得できると考えているポジティブ主義な人もいます。
よくあるのが「子供のため」「若者のため」「社会的立場の弱い人達のため」「社会貢献のため」と大義名分を掲げて何か行動を起こしつつも、内心は自分の欲望(承認欲求、金銭、名声、評価、評判)を満たすために行動しているというケースです。
もちろん、自分のわがままのためにポジティブ主義な行動をしている人と出会うと「なんとなく嘘くさい」「ずっと調子のいいことばかり言っているけど、よくよく聞くと何か具体的なことを述べているわけではない」という胡散臭さを感じて距離を取る人も少なくありません。
しかし、残念ながら表面的な言葉に踊らされて、わがままに付き合ってしまうお人好しな方がいるのも事実です。「ポジティブなことを言っているからこの人はいい人に違いない」と思い込んだり、上辺だけの言葉に感化されてしまう性格の人は気をつけるようにしましょう。
自分が否定される事を過度に恐れている。
リアル・ネット関係なくポジティブであることを良しとしている人は、自分が否定されている事を過度に恐れているという事があります。
付き合う人も常に褒め合って相手のいいところばかりを見るような人たちで固めて、否定や反対意見が出ないように、常にポジティブな意見が出る雰囲気を作るようにしています。
一見すると否定や批判のない和やかな人間関係のように見えますが、ネガティブな意見を出せるような雰囲気ではない、「ちょっと雰囲気がおかしくない」という疑問ですらネガティブな意見として見られてしまうほどの同調圧力の強い人間関係と言えます。
また、自分への否定的な意見が出ないように雰囲気を作っている分、自分が間違いを犯したり、倫理観を逸脱した行動(ネット上での炎上、迷惑行為)をしても誰をそれを咎めず「やっぱり○○さんはスゴイや!」と誉めそやし、行動をエスカレートさせてしまう事があります。
就職や学業、スポーツにおいて自分が誤った道を進みつつあっても、誰もそれに対して軌道修正ができないような雰囲気であれば、誤った道を進んでいる本人にとってはうるさい声が少なく快適かもしれませんが、気がつけば立ち上がる事が困難なほどの大きな挫折をしてしまう事があります。
ネガティブな人を見下しポジティブ思考のゴリ押しをする
ポジティブ主義になっている人の中には、ネガティブな人を格下に見ているという事があります。
ネガティブな人のことを、うじうじとした弱気な人、考えすぎて結局何も行動できない行動力のない人、悲観的な不幸な人、かわいそうな人と考えているために、そんな人たちを幸せにさせてあげようとしてポジティブ思考をゴリ押してくることがあります。
また、過去に自分がネガティブな性格だったけど、ポジティブ思考になれた人の中には、ネガティブな人を見ると過去の自分を思い出して嫌な気分になるので、必要もないのに「もっとポジティブになったほうがいいのに」「ポジティブ思考はメリットしかない」とつい、余計なお世話をしてしまう事があります。
ポジティブ思考で苦しまないために出来ること
「ポジティブ思考はいい事」という雰囲気を一歩引いて見る。
メンタルトレーニングの本や自己啓発本では「ポジティブ思考はいい事」という内容はよく載っているのを見かけます。もちいろん、本を読むまでもなくネガティブよりもポジティブ思考の方が幸せになれる、充実した人生を歩めるという考えは普段の生活の中でも広く浸透しています。
「ポジティブ思考はいい事」だと本でよく見かけるからこそ、よく考え込まずに信じ込んでしまうという事が起きてしまいがちです。
ただ何も考えずにポジティブ思考を受け入れるのではなく、少し引いた目線で、「どうしてポジティブ思考がいいのか」や「ポジティブ思考のメリット・デメリット」について冷静に考えて見る癖をつけてみてもいいでしょう。
人間にはポジティブな面もネガティブな面もどちらもあるのが自然
人間にはいい面もあれば悪い面もある、ポジティブな面もあればネガティブな面もあります。
悪い面ばかりを見続けるのが辛いからといって、良い面ばかり見ようとしては視野狭窄に陥ります。また、悪い面そのものを否定して抑圧し続ければ、自分以外の誰かの悪い面を見つけた時に同族嫌悪のようなストレスを感じてしまいます。
ポジティブとネガティブのどちらか一方だけを見続ける、どちらか一方を徹底的に否定し続けるのではなく、どちらもあるのが自然だと少しずつ考えるようにしましょう。
ポジティブ思考を広めようとする快感に溺れないようにする
善意であろうとなかろうと、ポジティブ思考を普及している自分に自惚れたり、普及することで自分の承認欲求を満たそうとする人がいるのも事実です。
一般的に良いとされている、ポジティブ思考になればみんな幸せになれる、自分自身をいい方向に変えることができる、というような漠然としたイメージがポジティブ思考に付きまとっているからこそ、ポジティブ思考を求められてもいないのに普及させやすいとも言えます。
また、広めようしている本人も「自分はとても意義のある事をやっている」という感覚に陥りやすく、承認欲求を満たしたり評価を受けやすいものです。気が付けば行動にブレーキが効きにくくなり、ネガティブな人を各下に見たり、必死になって誰かを変えよう、行動をコントロールしようとすることにもつながります。
…誰かをコントロールすると言うと聞こえは悪いですが「教育」「指導」「しつけ」などの言葉でカモフラージュして、相手の思考がポジティブになるようにコントロールさせることはよくありますね。
参考:防衛的悲観主義について
常に最悪のケースを想定して、実際にそうならないために慎重で落ち着いた行動をする、もしもダメだった場合に保険をかけたりして精神的なダメージをコントロールをするような人は、ただ当たって砕けろ精神や、「心配しなくてもきっとうまくいく!」というようなポジティブ思考が合いません。
ポジティブ思考の良さが叫ばれる昨今、上のように前向きさが売りのポジティブ思考よりも、後ろ向きでネガティブだが、しっかり現実と向き合うがストレスが溜まりにくいとやり方のほうが合っている人は「防衛的悲観主義」の可能性があります。
防衛的悲観主義については以前の記事でまとめていますので、以下のリンク先よりご覧下さい。