「ごねる」という言葉自体、現在ではあまり使われなくなってきているように感じます。
「ごねる」の語句的な意味としては
- グチグチ文句を言うこと
- 相手の注文に対して納得できずブツブツ言うこと
- そこから転じて、ダダをこねてわがままを言うこと
という意味合いで使われており、あまりいい意味合いで使われることがない言葉です。
漫画「カイジ」の登場人物であるハンチョーこと大槻班長の代名詞としても有名な「ゴネ得」という言葉にもあるように、ごねる様子は確かに醜く幼稚でみっともない姿と言えます。
しかし、一方で泥臭くごねたことがきっかけで相手が折れて得をする…ということも世の中ではごくまれにあるために、ごねるのは癖になりやすいとも言えます。
今回は、そんな必死にごねて自分の要求を押し通そうとする人の心理についてお話いたします。
ごねる人の心理
精神的な余裕がない
ごねるためにあれこれ屁理屈をつけたり、意地汚く地面に這いつくばるかのように自分の要求をひたすら訴えかける行為そのものは、精神的な余裕がある人なら、まずすることはない行動と言えます。
しかし、ごねる人は精神的なゆとりがなく、まさに藁にもすがる思いでなんとか目先の利益や自分の要求を押し通そうとします。まるで親に買ってほしいおもちゃをねだって泣き喚く子供のようにしぶとくごねるのです。
冷静に考えれば、大の大人が恥も外聞も無く、自分の要求を受け入れてもらうためにダダをこねたり、機嫌を損ねて拗ねたりする事は考えにくいものです。
大抵の人は「こうあってほしい」という自分の要求こそ抱いてはいますが、それを「ごねる」というような幼稚な手段ではなく、そこは大人らしく穏便に相手に伝える技術、話術、交渉術を駆使して上手に自分の要求を相手に受け入れてもらえるように仕向けるものです。
現実的には、自分の要求をいつもで押し通すということはどんな人でも無理なものです。
時には自分から妥協したり、自分の要求と引き換えに相手の要求に従うなどの、現実的な折り合い見つけていくことを重ね、自分の通せる要求のレベルやその要求を押し通すための技術を人間関係の中で磨いていくものです。
例えば、「お金がほしい」という自分の要求をそのまま誰かに向けた結果、詐欺や強盗をすれば問題になりますが、仕事に就き労働の報酬として「お金がほしい」という自分の要求を叶えることはうまく現実と折り合うことと言えるでしょう。
もちろん、このように単純なことは精神的に余裕がある人なら言わなくとも理解しているものではありますが、精神的な余裕がない場合だと、この当たり前のことが理解できなくなり、つい「ごねる」という手段で自分の要求を押し通そうとしてしまうのです。
相手に罪悪感を植え付けてコントロールしたい
例えば自分の要求を押し通すために、何度も土下座をしたり、あからさまに自分の醜態を晒すかのごとくの意地汚くごねられてしまうと、その様子を精神的な圧力を感じて「なんだか申し訳ないなぁ」という気持ちを持つことがあります。
それこそ大の大人が、普段の姿からは想像できないような幼稚でわがままで子供のようにごねている姿を披露されると、「そんなことをさせてしまった自分が加害者のようにすら思えてしまう…」と感じて、つい相手の要求を飲んでしまう…なんてことが起きるのも無理はありません。
…しかしこれこそ、ごねる人が狙っていた「ゴネ得」の瞬間ともいえます。
このようにごねるという行為には、人によっては罪悪感を抱かせることがあり、その罪悪感を利用して自分の要求を押し通そうとするのです。
ごねる人は他人の罪悪感を掻き立てることで自分の要求を押し通せることを無意識のうちに理解している人がいます。
罪悪感を掻き立てるために大袈裟にごねたり、まるでごねている人の方が被害者だと思われるかのように振舞い罪悪感を刺激します。
人間は罪悪感を感じると、目の前で醜く汚くごねている人にさえ「そこまでごねてしまう原因や責任が、多少なりとも自分にもあるのでは」と感じ、その罪悪感を払拭するために相手の要求を飲んでしまうのです。
不思議なことに罪悪感は自分に全く落ち度がなくても、なんとなく感じてしまいものでモヤモヤと嫌な気持ちになってしまうものです。
そして、その嫌な気持ちを晴らすために、ついごねてる相手の要求に答えてスッキリしたいという心理が働く…これを利用、もとい悪用することで、ゴネ得が生まれるのです。
他人に対する依存心、支配心が強い
ごねる人は自分で努力して物や地位を手に入れるのではなく、既に他人が持っている物や地位を「ごねる」という手段で手軽に手に入れたいという気持ちを持っていることがあります。
言い換えれば他人に対する依存心が強く、ただ依存するだけでなく相手が持っている物や相手の心を全て自分の支配下に置きたいという心理が強いといえます。
また、依存心の強さは言い換えれば自立心が弱く、何かあっても「政治が悪い」「社会が悪い」「学校が悪い」と責任転嫁する原因にもなります。
自分に非や責任があると考えるまで至らないので、ごねることに対して疑問や違和感を抱くことはまずありません。
なお、ごねられる方にとっても、勝手に依存した挙句に勝手に自分の行動や考えにケチをつけて自尊心を奪おうとしてくるので非常に面倒な相手です。
また、そんな面倒な相手とまともに向き合うことすらアホ臭く感じて、なんでも「ハイハイ分かりましたよ」とただ従うようになってしまえば、それこそ完全にごねる人の支配下になったといえます。
しつこくごねてくる人に対しては、罪悪感を感じてもそれに飲み込まれず毅然と立ち向かったり、距離を置いて被害から逃れるのが重要です。
費やした時間や労力を取り返したい
ごねるという行為は非常に醜く汚くなるだけでなく、時間や労力、体裁、評判、イメージ、プライド、人望などの多くのものを失う恐れがあります。
そして、当然ながらごねる過程で失ったものはそう簡単に戻ってくるものではありませんし、時間のように場合によっては取り返すことすら不可能なものもあります。
こうした多くの損失が出るほど、人間は合理的な判断ができなくなり「ごねる」というような現実と折り合うことを無視した醜い手段に手を染めてしまうのです。
- 「せっかくみっともない真似までして「ごねる」という手段を使っている以上は、なんとしてでも成果を上げなければいけない!」
- 「恥も外聞も捨ててごねてる以上は、失敗したらもったいなさすぎるから何としてでもゴネ得を成立させなければいけない!」
というように、心身ともに多くの失うものを出しているからこそ、意地になってますます意固地になってしまうのです。
ごねるのはまともな交渉や取引と違って、シンプルで楽だと思われがちですが、シンプルさの裏では失うものが多さ目立ちます。
そして失うものの多さゆえに、冷静さを欠いてしまい泥沼化するのです。
ごねる人は「押しに弱そうな人」を選んでごねる
もちろん、ごねるという方法は誰にでも聞くわけではありませんし、ごねて押し通そうとしてくるのが見え透いているのであれば、こちらも頑なになって毅然として断り相手が折れるのを待つことができます。
そんなことになれば、それこそごねた労力が水の泡になるので、ごねる人はゴネ得になりやすい人をいて時に選んでからしつこくごねるのです。
例えば
- 押しに弱そうな性格の人。
- 自己主張をあまりしない大人しい人。
- 断るのが苦手で嫌なことでも引き受けそうな人。
- 良心的で困っている人を助けることに自分を見出している人。
- 物事を荒立てることが苦手で、穏便に済ませたがる事なかれ主義の人。
- 「他人の要求を断るような冷たい人に見られたくない」と他人の視線に敏感な人。
- 自分よりも立場が下でものが言えない人。(上司に対する部下、先輩に対する後輩など)
など、自分の要求が通りやすい人を意図的に選んで、ゴネ得の成功率を上げようとする狡猾さを持っているのです。
また、押しが弱そうな人に対してただ自分の要求をストレートに突きつける他にも
- 「困ったときはお互い様だよね」と良心や道徳心に訴えかける。
- 「上司の指示に従うのが部下の役目だよね」とあくまでも職務上の要求として迫る。
- 「私のお願いを断ったことを他の人に言いふらすぞ」と周囲を巻き込み脅しをかける。
などの方法で、自分の要求を押し通そうとします。
なお、ごねられた結果折れてしまう人に対しては、
- 「なんだかんだ言って嫌なことを断れないあんたにも問題があるのでは?」
- 「結局は自分の意思で相手の要求を飲んでいるんだろ?」
- 「嫌なら断ればいいのに…」
と、「被害者である貴方にも責任がある」という声が出ることは少なくありません。
しかし、そうやって被害者を責めることこそ、更に被害者の罪悪感を刺激してまたしてもゴネ得を許してしまう原因になりかないことについては熟知しておくべきだと感じます。