他人に対してすぐ惚れ込んでしまう。なかば精神的に依存するかのように、相手のことを急に好きになってしまうことは、ネットでもリアルでもメンヘラ※の特徴と考える人が多いものです。
もちろん、他人に対して好意的に接したり、誰かと仲良くなりたいと思うこと自体は自然なことですが、その気持ちが強すぎるあまりに衝動的な恋愛関係に陥ったり、相手に不快感を与えるまで距離を詰めた人間関係になってしまっては、お互いに生きづらさを抱える原因になります。
もちろん、惚れやすさは恋人関係のみならず、友人関係、職場の人間関係、更にはアイドルや芸能人に惚れる場面でも見られ、恋愛と無縁だからといって関係無いとは言い切れないのが実情でしょう。
今回は、そんな「惚れやすさ」を心理学のパーソナリティ障害の知識をもとに、お話しいたします。
※メンヘラ:メンタルの病気を持つ人を意味するネットスラングの一種。転じて精神的に不安定、病みやすい人を指す言葉としても使われる。なお、メンヘラのようになることを略して「ヘラる」と言うなど、若者言葉の一種として定着しているとも解釈可。
関連記事
パーソナリティ障害から見る惚れやすさ
パーソナリティ障害とは、わかりやすく言えば偏った思考や考え方、行動パターンにより、仕事、恋愛、家族、友人関係などの社会生活に支障をきたしている状態をさします。
かつては人格障害と呼ばれていた過去もありましたが、現在では言葉が与える偏見を和らげるためにパーソナリティ障害と呼ぶ様になっています。
パーソナリティ障害と名のつくものは複数あり、その中でも過度な惚れやすさに関わるものは
- 境界性パーソナリティ障害
- 自己愛性パーソナリティ障害
- 依存性パーソナリティ障害
と深い関連があると考えることができます。
境界性パーソナリティ障害と惚れやすさ
境界性パーソナリティ障害の最大の特徴は、気分の浮き沈みの激しさです。
相手のことが大好きで、自分を捨てて相手に依存するかのように恋愛に込んだかと思えば、些細なことで一気に相手のことが大嫌いになっていきなり拒絶する、悪口や陰口を言いふらす…というような両極端な行動を見せることです。
「好き」と「嫌い」という相反する感情でも、「そこそこ好き」とか「ちょっと嫌い」という中庸にあたる感情が無く、「のめり込むほど大好き」「顔も見たくないほど大嫌い」という、好き嫌いどちらの感情も両極端に偏りやすいのが特徴的です。
境界性パーソナリティ障害に見られる「好き」という感情に対する極端さは、惚れやすさに通ずるものがあります。初対面の相手に対して、まるで一目惚れするかのように好意を抱き、一気に距離感を近づけようとする行動は、まさに惚れやさすさそのものでしょう。
好きに対する極端さだけを見れば、純粋な人、社交的な人、肉食系な人とポジティブに解釈できますが、過度な惚れやすさだけでなく、嫌いになった時に激しく嫌う極端さがあるため、良好且つ長続きする関係を築きにくいのが問題です。
付き合うにしても、感情の上下動の激しさから相手を振り回してしまったり、相手が感情の上下動についていけなくなり、関係が絶たれやすい。
短期間のうちに付き合っては別れて、そしてまた別の人と付き合って別れて…という、刹那的で衝動的な関係を持つことで、次第に遊び人であるとか、浮気性な人だと見られて、煙たがられてしまうことがあります。
関連記事
自己愛性パーソナリティ障害と惚れやすさ
自己愛性パーソナリティ障害は、自己愛が強くとプライド強すぎるために、他人に対して過度な賞賛や自分への特別視を求めることが特徴的です。自己愛という言葉にもあるように、わかりやすく言えば極端なナルシスト、自惚れ屋がこれにあたります。
一見すると、惚れやすさとはあまり関係が内容に思えますが、自己愛性パーソナリティ障害は自分を高く評価してくれる人間(関係)を強く好みます。
そのため、自分のことを心酔する人、ベタ褒めしてくれる人、チヤホヤしてくれる人などをたいへんありがたく思い、まるでペットを可愛がるかのように大切に扱います。(なお、過度な好きを示すという点では、境界性パーソナリティ障害との相性の良さもある。)
ただし、あくまでも大切にするのは相手のことを尊重しているとか、一人の人間として見ているからというよりは、「自分は素晴らしい人間である」という実感を与えてくれるから大切にしているだけです。
要するに、自分をチヤホヤしてくれるから大切にしているだけにすぎず、チヤホヤしなくなった場合は簡単に切り捨てる。相手を大切にするもしないも、そのどちらも極端な身勝手さ、自己中心性に基づく行動をしているだけと言えます。
また、チヤホヤされることを強く求めているために、今の人間関係よりも自分のことをもっとチヤホヤする関係があれば、そっちにホイホイ移ってしまうことも多く、他人に対する惚れやすさに通ずるものがあると言えます。
なお、当の本人はチヤホヤされているので満足かもしれませんが、身勝手さゆえに周囲から顰蹙を買う、お世辞に弱いことから詐欺などの犯罪の被害者になる可能性もあります。
依存性パーソナリティ障害と惚れやすさ
依存性パーソナリティ障害の特徴は、過度な自信の無さや自己への無力感と、過度な他人への依存心を合わせ持っていることです。
他人に依存すると言っても、だだをこねる子供のように他人からの愛情や承認を一方的に求める受動的な姿勢を取る場合と、自分から相手のために献身的に尽くす能動的な姿勢をとる場合の二種類あります。
惚れやすさと照らし合わせた場合、能動的な姿勢を持つ依存性パーソナリティ障害が強く関連があると考えられます。
なお、傍目には、見込んだ他人や組織のために一生懸命尽くしているとして高評価を得る一方で、その貢献の裏には自己への無力感や心に空いた大きな穴を埋めるために、自己犠牲を厭わず盲目的に尽くしてしまう危うさも潜んでいます。
それこそ、自己愛性パーソナリティ障害のように、自分のためにチヤホヤしてくれることを求めている人のために身を粉にして尽くすだけ尽くした結果、愛情や労働力を一方的に搾取され、用が済んだら使い捨てられてしまう関係に発展しかねない危うさがあります。
また「依存性」とあるように、自分が尽くしている相手に精神的に依存しており、相手なしでは生きていけない不安があるからこそ、のめり込むように尽くしてしまうこともあります。更に、相手の方も自分に先進的に依存しており、共依存関係に陥るリスクもあります。
惚れやすさは社会生活に仕様が出ない限りは問題無いと心得る
やや不安を煽るような書き方になりましたが、他人を好意的に感じることや「あの人いいなぁ」と思うことは、いたって自然な感情であり、それ自体を否定するものではありません。
人間は誰かと一緒にいたい欲求である親和欲求があり、親しくしたい人・集団に対してより強い情緒的な結びつきを求めるものです。
惚れやすさそのものは、決して病気や障害そのものではなければ、全てが全て悪ではないと心得ておくことが大事です。
なお、惚れやすさが問題になるのは、
- 依存・共依存関係で自分も相手も生きづらさを感じる。
- 浮気や不倫に発展して今の関係が崩れる、社会的な信用を失う。
- 精神的に病んでしまい健康な生活から遠のく。
- 惚れやすさに漬け込まれて犯罪に巻き込まれる。
など、社会生活に支障が出るときです。
こうした問題が起きない限りにおいては、自分の惚れやすさを過度に心配したり、絶対的な悪としてみなす必要性はないと感じます。
関連記事
参考書籍
パーソナリティ障害がわかる本: 「障害」を「個性」に変えるために (ちくま文庫)