フレネミーとは「friend(友達)」と「enemy(敵)」を合わせた造語であり、友達のように見えて、自分に対してのみ陰湿な嫌がらせをしてきたり、周囲に対してそれとなく悪口や根も葉もない噂を流すことがあるため、非常に厄介な存在と言えます。
しかし、友達として関係を持っているはずなのに、あえて嫌われるような事や嫌がらせをしてくるフレネミーという存在は、人によっては妙な興味や関心を持つこともあろうかも思います。
「友達と敵という、相容れない二つの立場を使い分けてまで付きまとう行動の根源は何なのか?一体何が彼(彼女)をそこまで駆り立てるのか?」と、ある意味、普通に付き合う友達よりも、興味や関心を持つだけの材料がある人物とも言えるかもしれません。
今回は、そんなフレネミーの行動原理を解説する意味も兼ねて、フレネミーになってしまう原因・背景についてお話しいたします。
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フレネミーになる原因・背景
友達を対等な関係で見られない
フレネミーにとって、友達とは対等な人間関係ではなく、先輩・後輩ように上下関係のある人間関係の一種と捉えていることが考えられます。
もちろん、立場が上なのはフレネミーの方で、そのフレネミーに付き合う友達は立場が下です。言うなれば、フレネミー本人は親分、そのフレネミーに付き合う友達は子分という、親分・子分の関係と言ってもいいでしょう。
当然、フレネミーにとって親分という立場は居心地がよく、今の立場関係を維持したいという願望があります。
そのため、子分ポジションの友達が親分である自分の立場を脅かすような行動に出た場合は、何としてでも今の立場関係を維持すべく、攻撃的な態度や嫌がらせにより邪魔をしてくるのです。
なお、フレネミーと言っても常に子分の行動に目を光らせているわけではなく、親分ポジションを脅かさない範囲の行動であれば、比較的穏やかな態度を取ります。(これは、落ち着きのある自分を誇示するのが目的とも考えられます)
そのため、第三者から見ても、フレネミーとの関係はわりと普通の友達関係に見られてしまうのが、フレネミーならではの怖さとも言えます。
他人をコントロールしたい気持ち強い
本来なら友達という対等な人間関係を上下関係の一種として見るのは、それだけ「他人を支配したい、自分の思い通りにコントロールしたい」という願望の強さを表していると考えることもできます。
ただし、露骨に「俺(私)の言うとおりに動け」と主張すれば、仮に上下関係の人間関係であっても、人が寄り付かないおそれがあるので、表面的には「友達として仲良くなろうよ」とフレンドリーに近づき、その後に自分のコントロール下に置こうとします。
友達として打ち解けてきた頃合になって、だんだん図々しくなってきたり、友達を一人の人間として尊重せず、ぞんざい且つ雑に扱う横柄さが出てきます。
しかし、フレネミーの餌食にされている側からすれば、それはあくまでも打ち解けてきたからこその行動であり、自分を支配の対象として見なしているから…という結論には、まず辿りつかないので厄介です。
なお、他人をコントロールしたい気持ちの根源は、
- 自分が他人に与える影響力の強さ確かめたい。
- 他人を自分の思い通りに動かすことでストレスや鬱憤を解消したい。
- 他人を利用して自分だけ得をしたい、金銭や物品などの利益を得たい。
- 他人をコントロールすることで自信や万能感を味わいたい。(幼児的万能感に通ずるものがある)
などの願望・欲望が影響していると考えられます。
自分に対する過大評価とそれが受け入れらない葛藤
- 自分は仕事や勉強において優れた存在である
- 内面が魅力的で誰からも羨ましがられる存在だ
というような、自分に対する過大な評価、自信過剰さが空回りして、フレネミーへと堕ちることも考えられます。
自分に対して過大評価をしているものの、それはあくまでも主観的なものであると同時に、自惚れや自分にとって都合がいいものばかりで出来た思い込みなのがほとんどです。
客観的に見ればそれほど優れているわけでもなく、いつも羨ましがられるほどの人とは呼べないという、主観と客観のギャップの差が顕著です。
しかし、このギャップを受け入れようとせず、「私の魅力をわからない奴は見る目が無い」と意固地になって、ますます思い込みを強めてしまいます。
そうして自分の思い込みを強め「自分は偉大な評価を得る人間に違いない!」という考えを抱いているフレネミーからすれば、自分以外の他人…それも、馴染みのある友達が賞賛や評価の対象となっている光景を目の当たりにするのは、自分の思い込みは所詮は思い込みに過ぎなかった、という受け入れがたい現実を突きつけられているのと同じで、強い精神的な苦痛を味わうものです。
もちろん、「自分は自分で思っているほど魅力があるわけではない」と、等身大の自分を受け入れて、思い込みを修正していけば精神的な苦痛から解放されるのですが、ただでさえ過大な自己評価を抱いている人にとって、それは簡単ではありません。
結果として等身大の自分を受け入れることよりも、評価されている友達の足を引っ張って恥をかかせる、評価されている状況を奪うことで、受け入れがたい現実から逃れようとするのです。
もちろん、第三者から露骨にわかるような足の引っ張り方では、自分の評価や体裁に関わるので、やり口は非常に陰湿なものになります。
例えば、善意を装って友を助ける自分を演じながら、友達のやる気を削いで堕落させたり、褒めるを通り越しておだてて友達の慢心を招くなどの小賢しい方法で、友達が自然と評価を崩すような状況になるように進めていくのです。
友達に対する精神的な依存心
フレネミーにも色々種類があります。その中でも「自分以外の友達を持つことを認めない」と、友達に対して独占欲を露にするタイプのフレネミーは、依存心が強さが影響していると考えられます。
とくに、友達関係のように絆や友情、距離感の近さが無条件に肯定される関係は、依存心という危うさすら感じるものであっても、友情の形の一種として肯定的に見られがちです。
本心は依存心から友達にベタベタくっついていたとしても、依存先の友達に対して「友達だから近づいているんだよ」と、もっともらしい嘘で納得させるのが容易です。
また、ベタベタすることに対して、友達が嫌悪感を覚えようものなら「友達なのに何で嫌がるの?」と、自分の依存心という醜いものを「友達」という綺麗な言葉で言い換えて、友達に優しく迫ることもできてしまうので、厄介です。
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SNSの発達により友達の些細な日常まで知ることができるようになった
ここまではフレネミーの心理などの内面について触れてきました、SNSなどのインターネット上のサービスの発達により、今までなら知ることすらなかった友達の些細な日常までも、簡単に知れるようになってしまった状況が、フレネミーになる原因のひとつだと考えられます。
もちろん、仲がいい友達だからこそ、友達の過去やプライベートなどについて知りたくなる気持ちは自然と持つものではありますが、知った情報が必ずしも自分にとって受け入れられるものばかりとは限りません。
中には、知らなければよかった情報…例えば
- 元恋人と付き合っていた。
- ネット上では別人格でリアルは猫をかぶっている。
- ネット上で創作活動や動画配信活動などでそれなりに有名で人気がある。
- わりと裕福な生活を送っている。(≒裕福すぎて嫉妬すら覚えないレベルではない)
…などの、普段では知ることができない情報を入手することもあるかもしれません。
そうした、知らなければ嫉妬・羨望・憎悪などの感情すら覚えなかった情報まで、今やネット上で知れてしまう世の中であるために、フレネミーになってしまう可能性が上がっているのだと考えることもできます。
もちろん、友達本人が投稿していなくとも、友達の友達や友達の家族・親戚などが投稿している情報まで知れてしまうのが、SNSの利点であると同時に厄介な点と言えます。
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