ネット・リアル関係なく、やたらと誰かを褒める。
それもどこか大げさで、まるで褒める対象を全肯定するかのようにベタ褒めしてくる人を見ると、下衆な勘ぐりかもしれませんが「本当は自分のことを褒めて認めて欲しいのでは?」と感じてしまうことがあります。
褒めるというポジティブなコミュニケーションの裏には、褒めている自分を見て欲しい、受け入れて欲しい、必要として欲しい…とでも言いたげな悲痛な叫びというか、どこか自分の本音やエゴの部分が隠しきれていない。
そのせいか、やたら褒めてくる人の褒め言葉は漠然としていて、解釈次第ではどうとでも解釈でき、どこか打算的で、褒めているように見えて実は褒めている人を自分の思い通りにコントロールしようとしているのではないか…と、感じてしまう。
今回はそんなやたら褒めてくる人の心理、及びその人の行動に感じる違和感について、お話しいたします。
目次
自分の承認欲求を満たすために他人を褒めているという仮説
やたら褒めてくる人の心理を考えていく上で鍵となるのが、日常生活の中で耳にすることも多いであろう「承認欲求」という心理学用語です。
承認欲求とは、シンプルに言えば他者から自分のこと認めてもらいたいと感じる欲求のことで、心理学者のマズローが提唱した欲求段階説に登場する言葉です。
承認欲求はただ認められたい、というシンプルなものに限らず、たとえば
- 他人から尊敬されたい。感謝されたい。
- 多くの人or大切な人(恋人・家族等)から愛されたい。
- 憧れている人からお気に入りの人物だと見られたい。
- 自分の才能や実力を世間の人から評価されたい。
- SNSやyoutubeで注目されたい、自分のことを知ってもらいたい
など、日常生活の中で抱く感情も承認欲求の一種であると説明できます。
さて、やたら他人を褒めてる人と承認欲求とを並べると、どうも合理的でないというか「認められたい気持ちが強い人が、そう簡単に他人を褒めるものなのか?」という疑問を抱くかもしれません。
ですが、承認欲求の強さに恥やコンプレックスを持っているけれども、どうしても承認欲求を満たしたいという気持ちを捨てきれない人だと仮定し、あえて他人を褒めて「この人は他人を素直に褒めることができる素晴らしい人間だ」と周囲から認められ、受け入れられることを目標としていると考えれば、やたら他人を褒めまくる行動は実は自分の承認欲求を満たすためにしているものであるという説明ができます。
貶したり、無視することもなく、しっかり相手を褒めて認められる人間だと周囲の人に印象づければ、その好印象をもとに人が集まってくる。
好印象であるために「まさか本心は自分の個人的な承認欲求のために打算的に他人をほめている」とは思いづらいし、仮に思っていたとしてもそのことを口にするのは憚られる。
「自分を褒めてくれる味方のような存在が、まさか腹黒くて敵みたいな存在」と思うことは難しい人間の心理の知ってか知らないでか上手に利用し、自分の個人的な欲求を満たそうとする狡猾さ、いい人ぶって結局は自己中心的な部分があることが、やたら褒めてくる人に感じる違和感の正体だと考えられます。
参考記事
褒め言葉の違和感が「この人実は自分が褒められたいのでは?」という疑問を抱かせる
冒頭でも触れているように、やたら褒めてくる人の中には
- 「すごい」「いいね」など、具体性にかけた褒め言葉に偏っている。そのため、褒めている相手のことをよく見て言っているようには見えず、不自然さが目立つ。
- ベタ褒め、全肯定、大絶賛のように、褒め方が大袈裟でハイテンション。まるで、褒める対象に対して「ここまで褒めてくれたんだから、何かお返しをしなきゃいけないよね」と精神的な圧を感じる、追い詰めるかのような褒め方をしてくる。
- (1)のような具体性の無い褒め方にくわえて、(2)のようにベタ褒めをしてくるので、嬉しく感じても妙な違和感を抱きやすい。
- 「褒めてやっているんだ」とでもいたげな上から目線な態度が目立つ。
- 褒めるべきでは無い事柄でも褒める。言葉次第では嫌味や皮肉にも聞こえてしまう。(→言い換えれば、他人に嫌われる拒絶される可能性を感じる指摘や喝入れの言葉が言えない人といってもいい。)
などにより、ぼんやりとした違和感や不自然さを感じさせる褒め方をしてくることがあります。
(1)のように、褒めてくる相手のことをよく見ていないと感じることは、もとより自分が褒められたいがために他人をほめているという仮説をもとにすれば、納得できるものがあります。
つまり、本当の目的は自分が褒められるという自己中心的なものなので、褒める相手のことをよく調べたり、褒める言葉のチョイスに労力を割かないのも至って自然である。
ただし、少ししか褒めないのでは相手が喜ばなくなる不安もある。その結果、ロクに褒める相手のことを調べず、どうとでも解釈できる同じような褒め言葉を安易に繰り返すという、露骨で不自然な褒め方になったり、まるで褒め殺すかのように一方的に煽てる褒め方になってしまうのだと考えられます。
本当に褒める相手のことをよく見ていれば出てくるであろう、丁寧且つ具体的なコメントが出てこないくせに、まるで自己主張するかのようにやかましく他人を褒めそやす。
本来であれば、褒めてもらう方が主役であるはずなのに、気が付けば褒める側が注目を浴びて主役の座を奪い取ったかのように感じるために「この人、実は自分が本当は褒められたいのでは?」という疑問が出てしまうのだと考えられます。
やたら褒めてくる人が抱えている拒絶されることへの恐怖
やたら褒めてくる人の心理を調べる上では、承認欲求の他にも拒絶される事への恐怖心も鍵になると感じています。
承認欲求が強く他人から認められることを求めていると仮定した場合、その人は他者から無視されたり、「あなたは認めません」と拒絶されることを強く恐れているであろうことは容易に想像できます。
もし、他人から拒絶されれば、それこそ自分の承認欲求を満たすことは叶わず、孤独や不安に苦しむことになる。
とはいえ、自分の承認欲求が暴走して他人に迷惑をかけてしまえば、それこそ他人から拒絶される状況になってもおかしくない。
承認欲求を抑圧するのも苦しく、また承認欲求を開放したとしてもコントロールできなければ拒絶されて苦しむ不安もある。
そんな、抑圧&開放どちらに転んでもうまくいかない不安と付き合う苦しみから逃れる方法として、表面的には他人を褒めていい人を演じつつ、その裏で他人を褒める自分を周囲から認めてもらい、尊敬や賞賛を得ることで、自身が抱えている強い承認欲求を満たそうとしているのだとも考えられます。
もちろん、これは自分の素直な気持ちを隠しているため、非常に回りくどい行動と言えます。
そして「自分が褒められたいために打算的に他人を褒めている」とツッコミが入ると、言い逃れしづらいのが弱点です。
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