他人から認められたい気持ちや願望…いわゆる「承認欲求」がどれだけ強いかについては個人差があるものです。
大勢の人から多大な賞賛を受けなければ、承認欲求が満たされずにウズウズしてしまう人もいれば、たった一人から社交辞令程度の感謝の言葉を受けたことで、承認欲求が満たされ満足するなど、承認欲求の強さには幅があります。
承認欲求が低い方がいいと断定するわけではありませんが、中には承認欲求が強すぎるあまりに、突飛な行動に出て悪い意味で他人からの注目を集めてしまうことがあります。
たとえば、コンビニの冷凍庫に入った写真をアップしたり、バイト先で食べ物を粗末に扱った動画をアップするなど、社会通念的(&食品衛生的)におよそ褒められるべきではないニュースがTVやネットでかつて話題になったことは、記憶に新しいことでしょう。
もちろん、認めれたい気持ちが全てこのような迷惑行為に繋がるとは限りません。しかし社会的には問題ないものの、なんとなく違和感や近寄りがたさを感じさせてしまう行動に出てしまい、結果として他人からの承認を得られなくなることが起こりえます。
今回は、そんな他人から認められたい気持ちの強い人がやりがちなことについて、お話しいたします。
他人から認められたい気持ち強い人がやりがちなこと
奇抜な行動に出て悪い意味で注目を浴びようとする
冒頭でも触れているように、社会規範から逸脱した奇抜な行動をとることで、とにかく注目を浴びようとすることです。
スマホ及びSNS&youtube含む動画投稿サイトなどの発達により、今や自分の些細な日常生活の光景を不特定多数の人に瞬時に伝え、且つ拡散されて多くの人から注目を得ることが簡単にできる時代です。
そんな時代だからこそ、「良くも悪くも目立ちさえすればいい」という衝動に突き動かされて
- 他人を挑発するような過激な言動を投稿する。
- いかに最もらしい嘘、あるいは嘘を含む情報を投稿する。
- (冷凍庫に入るなど)社会規範から逸脱した行動を投稿する。(≒犯罪自慢)
- 下ネタ、下衆ネタ、度胸試しやチキンレースなネタを投稿する。
など、およそ褒められるものとは言えない行動に出て、炎上してしまう人は少なくありません。
また、一部youtuberには、あえて炎上スレスレの動画をアップすることで、知名度と経済的なメリットを獲得している方(orグループ)もおり、奇抜な行動に出れば承認だけでなく金にもなるという考えを持っている人が少なからずいることが伺えます。
(なお、この手のyoutuberは過激系youtuberと呼ぶれている。ただし、最近はyoutubeの規約が変わって過激な動画がタブーになり、路線変更を余儀なくされている方orグループもいる。仕方ないね)
誰に対してもいい顔をしたがる
もちろん、誰もが過激で奇抜な行動に出るとは限らず、非常に穏便且つ紳士的な方法で、他人から認められるように振舞うこともあります。
その一つとしてあるのあるのが誰に対してもいい顔をしたがる…つまり、八方美人な態度を取ることです。
過激な行動に出るのと比較して、
- 「自分はあなたの味方ですよ」
- 「危害や迷惑をかけたりしませんよ」
- 「すぐに怒って貴方を拒絶したりしませんよ」
と、優しく接してくるため、第一印象は非常によく相手からも受け入れられて認められやすくなります。
しかし、誰に対してもいい顔をしようとしてしまうので、次第に行動のつじつまが合わなくなってしまい、そのことで相手から不信がられてしまう…つまり、認められなくなることも目立ちます。
人に合わせて主張や態度を変えるため、自分らしさを認めてもらうにしても、相手からすれば「人によって態度を変えてばかりでその人らしさがわからない。わからないから、何をどう認めていいのかもわからない」と思われてしまいます。
他人から認めてほしいためにしている事が、皮肉にも他人から認められることを遠ざけていると言っても過言ではありません。
わざとらしく他人を褒めて持ち上げる
八方美人からの続きとして、わざとらしく他人を褒めそやす、過剰に持ち上げて全肯定する態度で接することも、他人から認められたい気持ちが強い人に見られる行動の一つです。
他人から認められたい気持ちが強いことは、言い換えれば他人から少しでも拒絶されることや否定されることを強く恐れている。拒絶されることへの恐怖があるからこそ、他人を褒めるにしても必要以上にベタ褒めする。
およそ相手を褒めるような場面でないのにもかかわらず、拒絶されるのが怖いからこそ必死に褒めて相手を気持ちよくさせるようとするのです。
しかし「他人を褒めてばかりだと、褒めてる人の承認欲求は満たされないのでは?」という疑問が出てくることでしょう。
これに関しては、
- やたら他人を褒めている自分を認めることを求めている。
- 「これだけベタ褒めしたんだから、あなたも私のことをベタ褒めしてね」と、暗に要求している。
という、二つの思惑があるために、一時的に承認欲求には満たせなくとも長い目で見れば承認欲求を満たせる関係を築いていると言えます。
ただし、この関係は「自分が認められたいから褒める」という、打算や馴れ合いで成り立つ関係とも言えます。
そして打算や馴れ合いの関係だからこそ、その関係で通用するルール通りに動かない人に対して、異様に冷たい態度を取り仲間はずれにするという、(紳士が聞いて呆れる)優しくない一面が隠れているとも言えます。
少しでも自分を認めようとしない人を敵視する
他人から認められることを強く求める一方で、他人から拒絶されることを強く恐れるために、自分のことをまるまる全て認めようとしない人や、些細な疑問や異論を投げかけてくる人ですらも「自分を認めない存在であり敵だ」と見なし、やたら攻撃的な態度を取ることがあります。(人から認められたいのに、やたら排他的な言動が多いことが、承認欲求をこじらせている人に感じる嫌悪感や違和感の原因でもある。)
他人から認められたい気持ちの割には、認めて欲しい相手の要求水準が非常に高い。そして、要求水準が高いからこそ、希望通りな「認められたい欲」を満足に潤してくれる相手が見つかりにくい。
その結果、他人から認められたい気持ちは募るものの、その気持ちを満たしてくれる人はなかなか現れず、悶々とした気持ちばかりが募る…という悪循環に陥り、自分で自分を追い込んでしまいます。
何を認めて欲しいのか相手に示さない限りは、相手から認めてもらうことは難しい
他人から何かを認めてもらう場面は、相手から一方的に何か言葉や態度を受け取るものである…つまり、キャッチボールのような双方向のやり取りではなく、ピッチングマシーンのような一方的なやり取りのように考える人も多いことでしょう。
しかし、他人から認めてもらうこともまた、キャッチボール同様に双方向のコミュニケーションであり、認められたい側が認める側に対して働きかけなければ、承認の言葉を得ることは難しくなります。
たとえば、
- 自分が今どういうような承認の言葉を相手から欲しているのか。
- 自分のどういう部分や特徴、魅力を認めて欲しいのか。
- 直接的な表現がいいのか、それとも間接的な表現がいいのか。
など、相手に対して「私はこういう風に認められたいです」と伝えないまま「察してよ!」という態度でいれば、相手から希望通りの承認の言葉を得られなくなっても仕方はありません。
そうならないためにも「今すぐにでも、自分を認めて欲しい、褒めて欲しい、受け入れて欲しい」という気持ちでいっぱいになっている人は、まずは相手に対して自分のどういう部分を認めて欲しいかを、自分から会話を振っていくこと。
それも、なるべく自然に、そして押し付けがましくならないように自制し、相手が自然に承認の言葉を口にしたくなるような打ち解けた人間関係を築いていくことが欠かせないと感じます。
もちろん、自分で自分のことを認めて欲しいと素直に表現することは、気恥ずかしかったり、さすがに露骨すぎてプライドが傷つくこともあるかもしれません。
しかし、「察して」という態度をとり続けてばかりでは、自分が相手にして欲しいことが伝わらなくても無理はありません。恥を忍んで相手に対して、自分のして欲しいことを主張するよう心がけるのが大事だと感じます。
関連記事