承認欲求は人間なら誰でも持っている欲求の一つです。
承認欲求は
- 認めてもらいたい
- 褒めてもらいたい
- 注目や尊敬を浴びたい
などの、自分のことを周囲から受け入れてもらいたいという欲求であり、それは親も子供もどちらも持っているものです。
子育てにおいては「親の愛は無償であり、見返りの無い愛である…」と考えている人が多いものですが、親も一人の人間であることに変わりはなく、子育てに対する承認(つまり見返り)を子供や周囲から求めている可能性は否定できないと思います。
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目次
子育てアピールで承認欲求を満たそうとする親の心理
リアル・ネット関係なく、自分の子供がどれだけ可愛いか、自分はどれだけ子育てに積極的かをアピールする話は溢れているものです。
もちろん、行き過ぎれば「また親バカアピールが始まったよ…」と周囲も呆れてしまうでしょうが、一般的に子育てに関する話題は受け入れられやすく、承認欲求を満たしやすい話題と言えるでしょう。
とくに、少子化で子供の数が減っている状況も踏まえれば、子育てをしている親は、より社会や国に貢献している存在として注目を浴びやすいことも、承認欲求を満たしやすい一因になっていると感じます。
ですが、子供の自慢話をする人を見ていると、実は間接的にります「自分の子育てへの貢献っぷりを認めて欲しい」とアピールしているのではないかと思うことがあ。
子煩悩な親っぽく見える一方で「本当に認めて欲しいのは我が子の事ではなく、親自身である自分のことではないのだろうか…」と、感じてしまうことがあります。
もちろん、子供を愛する気持ち事態を否定するわけではありませんが、話の中にちょくちょく自分を子育てを通じて持ち上げたり、自分の素晴らしさに注目してほしいという誘導が見られ、子供が嫌がっているのに無視して子育ての話をベラベラと喋る光景を見ていると、「子供ではなく親である自分を認めて欲しいのだでは?」という疑問を抱いてしまいます。
「無償の愛とはいえ、費やしている時間や労力に対して少しは感謝してほしい、親である自分のことを認めて欲しい…」
そんな満たされない思いを抱いていても、子供に対してしつこく認めれば子供を嫌われたり、その様子を見て「なんて大人げない親なんだ」と他の大人に思われてしまうリスクがあります。
その満たされない思いをうまく満たすのが、子育てアピールや子供自慢をして承認欲求を満たそうとする行動です。
このようにある方法だと満たすのが難しい欲求不満を、別の方法で満たそうとする行動は、まさに防衛機制の代償であると言えるでしょう。
「育ててもらったことに感謝しなさい」の裏にある親の承認欲求
「お父さん(あ母さん)はあなたのためにこんなに頑張ってるのよ!」と、子供に対して承認を求めようとする親の行動は賛否両論あると思います。
- 賛:子供は親を尊敬して大切にするのは当然のことだ。
- 否:子供でも感謝を強要するのは子供にとって負担になる。
と、シンプルに言えば上のようになるでしょう。
もちろん、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉にもあるように、親しい間柄に甘えず適度に感謝の気持ちを伝えることは大事なことですし、しっかり感謝ができる子供に育てたいという気持ちは理解できます。
しかし、一方で
- 「感謝しなければ、愛してあげないよ」と脅して子供をコントロールしようとする。
- 「もっと感謝して親のご機嫌を取りなさい」と、子供を自分の私物のように扱う。
などの行動に出てしまうと、それは親の承認欲求を満たすために子供を利用していると考えることができます。
親から子供に向けられる「認めて欲しい」という欲求は、当の子供からしたら精神的なプレッシャーを与えるものです。
愛されない状況になるのが怖くて親のいいなりになることを選んでしまえば、子供の自主性や主体性や損なわれてしまうことにもつながります。
また、一方で親を褒めたり認めたりすれば愛される、という「条件付き愛情」で育ってしまい、いざ自分が子育てをする場面で同じような条件付きの愛を与えてしまい、子供を束縛してしまう毒のある親になってしまうことも否めません。
思春期を過ぎてある程度精神的に自立した子供ならまだしも、幼い頃から親を認めるべきという考えを受け入れると同時に、子供本人が持っている「親に認めてもらいたい」と欲求を抑圧し続けたまま大人になれば、対人関係でトラブルを起こしたりうまく人間関係を築けなくなってしまう恐れがあると感じます。
子供を利用して「いいね」と閲覧数を集める親
SNSで、子供が写っている写真をアップしていい子や閲覧数を稼いでいる光景を見たことがないでしょうか。
SNSなどのメディアは、テレビや新聞などの既存メディア同様に、子供に関するコンテンツは根強い人気があり、子供好きな人や同じくママ友からの反響が大きく拡散されやすいコンテンツでもあります。
しかし、拡散されやすさに目をつけて、自分の写真や姿をひた隠しにして、子供を利用して「いいね」収集に熱中する光景はどこか恐ろしさを感じます。
特に、アップされている子供の画像は、まだ言葉もろくに話せない赤ん坊であり、自己主張ができないことをいいことにして、自分の承認欲求を満たすために子供をおもちゃのように扱っているとも見ることもできます。
また、YouTubeにおいても、子供をモデルにした動画を投稿して再生数を稼いでいるチャンネルを見かけます。
アップされている動画は、よくあるホームビデオのようなものもあれば、いわゆるユーチューバーの様におもちゃの商品紹介や広告やコラボで収益を上げることを前提とし、編集や加工が行われている本格的な動画もあります。
特に後者の動画は、まるで自分の子供を子役のようにして、いかにも子供らしい無邪気で可愛らしい様子を売りにしているため、テレビのコマーシャルのようにすら感じることもあります。
もちろん、自分の可愛い子供だからこそ他の人にも見てもらいたいと言う気持ちはわかるのですが、一方でまだ自己主張もできない子供を不特定多数の人に閲覧されるネット上にアップすることに対する危機意識の薄さに不安を覚えます。
- 投稿した内容が炎上を招き、子供に対する誹謗中傷が大量に書き込まれる。
- 子供が大きくなった後に自分の知らないところでアップされていた動画や写真がネット上で酷評されていてショックを受けてしまう。
- 学校に通うようになってから「やーい!お前のかーちゃんユーチューバー!」と、同級生からからかわれていじめの対象になってしまう。
という、子供にとって受け入れ難い結果になる可能性も否定できません。
また、アップされている動画や写真が健全な目で見ている人ばかりと言う保証もありません。
自分の意図していない用途で自分の子供の動画や写真が流通し、消費されてしまう…という事態も十分考えられるでしょう。
自分の子供をダシにして承認欲求を得ようとする行為には、その後の子供の人生を大きく左右する懸念材料があると言うことを親自身が知っていくべきだと思います。
自分は認めてもらってばかりで子供を認めうとしない親
子供に対して承認欲求を満たすように求める親に目立つのが、自分が認めてもらってばかりで子供のことを全然認めようとしないことです。
親である自分が認められるのは当たり前だと考え、子供に対しては敬いなさい感謝しなさいと押し付けるものの、子供に対しては褒めも認めもせず一方的な負担を押し付けているのです。
親子関係と言うのは一方的には親が上、子供がしたと言う上下関係で成り立つ人間関係であり、子供は親の言いなりになってしまう危険性があります。
子供からすれば親のことを尊敬しなければ、
- ご飯抜きにされてひもじい思いをする。
- 不機嫌になった親の声で暴力や暴言を受ける。
- 無視、育児放棄(ネグレクト)される
などの辛い目にあうかもしれないと言う恐怖があります。
もちろんそこまでひどい事態にならなくとも、純粋に親からの愛情受け取れなくなると言う不安を子供が感じてしまいます。
そして、その不安から避けるために逃れるために親の承認欲求を満たし続ける存在として家庭で振る舞い続ける一方で、自分の承認欲求を抑圧してしまうのです。
親のせいで承認欲求を抑圧した子供に起きること
子供の時に、親から認められたい、褒められたい、と言う気持ちを抑圧し続けて成長してしまうと、社会生活を営む上で多くのトラブルを招いてしまいます。
例えば、褒められた経験が不足しているせいで自己肯定感や自尊心が著しく低下し、何をするにしても自信がない大人になってしまうことがあります。
もちろん、これが子供であれば周囲からの支えやサポートを受けやすいのですが、大人の場合なら「こいつは自信がなくて頼りないやつだ」と切り捨てられてしまい、自己肯定感の低さは放置されたままになります。
もちろん、自己肯定感の低さ故に学校生活や就職活動の段階で行き詰まってしまい、不登校や引きこもりになり、社会からドロップアウトしてしまうリスクもあります。
また、自己肯定感の低く自分で決められないことが災いして、カリスマ性のある人に心酔して精神的に依存してしまうと言う懸念もあります。
引きこもりになるのと違って誰かに懸命に尽くす姿はポジティブに見られがちですが、内実は他人に依存して不安から逃れようとしているだけで自己肯定感の低さは改善されておらず、精神的な不安定さは残されたままです。
いわゆる、意識高い系と呼ばれる人を見ていてもよく感じるのが、自己肯定感が低いためにやたらと有能な人や権威のありそうな人のあやかろうとしたり、無批判に信じ込んでしまい進んであいてのいいなりになろうとする光景をみていると、幼少期に抑圧した経験が今の状況を生んでいるのではないかと感じることがあります。
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