今現在必死に勉強していたり、スポーツや仕事でいい結果を出そうと頑張っている人の中には、「なんで自分はこんなに頑張っているのに周囲から認められないのだろう」と苦悩している人は少なくありません。
とはいえ、自分のための努力であってもやっぱり他人から認められたい「頑張っているね」「すごいね」と褒められたいという気持ちを持つこと事態は、何も卑下するものではありません。
しかし、本当は認られたいと思っているのにその気持ちを否定したり、いっそ認められるために「ねぇねぇ、私のことを見て!褒めて!賞賛して!認めて!尊敬して!」と人前でアピールしようと考えるも、そんなアピールは周囲の空気を読まず独りよがりな行動で、あまりんも図々しくて自分のプライドが許さないと感じ辛くなってしまう…という経験はないでしょうか。
「認められたい」という気持ちと「自分から認めてほしいというのは恥ずかしい」という気持ちに消耗している人から見ると、承認欲求がないや、承認欲求が弱い人のことを、心底羨ましく、どうしたらその境地にたどり着けるのだろうか…と感じることもあろうかと思います。
今回は承認欲求ない人、弱い人についてお話いたします。
承認欲求が適度に満たされれば、承認欲求は収まる
承認欲求という言葉はアメリカの心理学者であるマズローの欲求段階説で登場する言葉です。
上の図のマズローのの欲求段階説です。ピラミッド状の形をしており、承認欲求は上から2番目に位置する欲求です。
承認欲求の下には、何かの集団や社会に所属したいという社会的欲求、安全な場所や環境を求める安全欲求、食欲・睡眠欲・排泄浴などを指す生理的欲求が存在しています。
また、承認欲求の上には、やりがいや充実感を求めたり、自分にできない事をやりたいという欲求を指す、自己実現欲求が存在しています。
なお、マズローの欲求段階説については以下の記事で詳しく解説していますので、ぜひご覧ください。
承認欲求が満たされるから承認欲求が弱くなるという考え
欲求段階説によれば、ある欲求が満たされると、次の欲求が湧いてくるとされています。
上の図をもとに考えると、生理的欲求が満たされた状態では安全欲求が沸いてくる、承認欲求が満たされた状態では自己実現欲求が湧いてくる…という事になります。
この理屈で考えると、承認欲求がない人、弱い人というのは、すでに承認欲求が十分に満たされておりこれ以上承認欲求を満たそうとしなくても大丈夫である状態と考えることもできます。
例えば、承認欲求ではなく食欲で考えてみましょう。
ご飯をしっかり食べてお腹いっぱいになった人が「お腹が減った」「何か食べたい」と訴えることは普通ではありませんよね。
食欲が十分に満たされた状態の人が、わざわざ食欲を満たすための行動(この場合なら食事)をとることは普通ならしないはずです。
承認欲求もこれとが同じです。
承認されたいという欲求適度に満たされているために、今更誰かに認められたいとアピールしたい欲求は起きないというわけです。
認められたいという心の飢えや乾きが十分に満たされ満足しているので、認められたいという欲求はなくなり、更に上のやりがいや充実感のような自己実現への欲求がふつふつと湧いて来るのです。
承認欲求がない人、弱い人の特徴や心理について
さきほど承認欲求がない人は承認欲求が適度に満たされていると書きました。
しかし、承認欲求が満たされた状態がすんなり理解できない、いまひとつピンと来ない人もいると思いますので、ここでは「承認欲求がない人、弱い人」と言葉を変えて、その人たちに見られる特徴・心理についてご説明します。
評価や評判に関心が薄い
承認欲求がない人は、自分に対する評価や評判に対して関心が薄く、自分が他人からどう思われているのか、どんな人だと見られているかはあまり気にしない傾向があります。
「あの人が自分のことを悪く言ってた」「この人は、自分の技術を軽視するようなことを言っていた」と周囲の目を気にして一喜一憂することよりも、まずはちゃんと周囲から認められるにふさわしい理想の自分像になるための努力をすることの方が大事だと考えていることが多々あります。
至極最もな事ですが、勉強や仕事で周囲の人から尊敬されたり認められるためには、何かしらの努力や研鑽を続けて成果を出すことが大事です。
努力していい成績が出せるようになったり、新しい技術を身につけて出来る仕事が増えれば、その功績を認めたり褒める人が出てくるのも至極最もなことです。
努力の成果しだいでは褒めるだけではなく、みんなの前で表彰したり、インタビューを受けたり、出世して役職を与えられるkともあるでしょう。
そうして人の上に立つような人には、最初は認めらたいとか尊敬されたいという気持ちから努力していた過去もありますが、努力をして結果をだし承認欲求が十分に満たされたことで、いちいち人目を気にしてまで自分の評判が気にする必要がなくなったとも考えることができます。
努力よりも結果の方を重要視している
最初は承認欲求がない人は、十分に承認欲求が満たされるだけの結果を出してきたと言えます。つまり、仕事や勉強で努力して結果を出してきた人ですね。
承認欲求がない人にとっては努力することはあくまでも周囲から認められるような存在になるためにするべきことであり、努力することよりも努力した結果の方を重要視しています。
承認欲求を満たしたくてたまらない人にありがちな「努力そのものを認めて欲しい」という気持ちをコントロールして、あくまでも努力は見せびらかして注目を浴びるためのものではなく、結果を出すための必要な行動と考えています。
逆に承認欲求を満たしたい人どまりな時にありがちなのは、結果が出ていないのにもかかわらず、努力の過程を頻繁にアピールする行動です。
受験なら自分がどの学校に合格したかではなく、自分がどれだけ勉強しているかの方を強調するタイプです。
「参考書を○○冊読んだ」「一日で10時間も勉強した」「寝ないで勉強を頑張った日もあった」と受験で達成すべき最大の目標である志望校への合格よりも、その志望校に合格するために行った自分の努力を武勇伝のように語ってしまうという具合です。
マイペースである
承認欲求がないと思われる人は、自分の生き方や価値観を持っていることからマイペースな人だと思われることがあります。
マイペースなのは仕事や学校などの現実世界の人間関係に収まらず、SNSのようなインターネットの世界でも同じです。
承認されたいがためのつぶやきや投稿を繰り返すのではなく、マイペースに自分の思った事を感じたことを投稿するために、その生き方を憧れの対象で見られる事は少なくありませんが、当の本人は自分に対する憧れられたいという欲求が薄いので、「なんでこんなに憧れられるんだろう?」と疑問に思うこともあります。
他人に依存せず精神的に自立している
承認欲求がない人は、誰かに認められなくても大丈夫なほど自立しているという特徴があります。
常に誰かから反応が欲しくてたまらない、反応がないと不安や孤独、寂しさ、人恋しさを感じてどうしようもなくなる、ということはなく精神的に自立しています。
SNSではいつでもどこでもリアルタイム他人と繋がれるために、それが災いしていつまでたっても精神的に自立できる、常に誰かの視線や浴びたいという、欲求により辛くなる人もすくなくありません。
精神的な自立ができないと、SNSに依存して引きこもりになったり、寝不足や昼夜逆転生活になって日常生活にも悪影響が出てしまうことがあります。
適度なプライドをもっている
承認欲求がない人だからといって、プライドや自尊心がまったくないというわけではありません。
承認欲求がない人はプライドが高すぎず、低すぎず、適度なプライドをもっているという特徴があります。
高すぎるプライドのために自分を過剰に褒め称えるような高圧的な行動も取らず、かと言って過度に萎縮してひねくれた行動を取るわけでもなく、今の自分の立場や能力にほどよく合った行動をとっています。
また、自分にとって適度なプライドを持つためには、自分自身を客観的にみることが大事です。
自分を客観的に見れないと、周囲と比較してそんなに努力しているわけではないのに「自分はこんなに頑張っているのに認めてくれない、こんなのはおかしい!」と自分で自分の努力を正しく見ることができず、場違いな行動をとって周囲から顰蹙を買うことにつながってしまいます。
承認欲求がない人の周囲の人間関係も見てみよう
あの人は承認欲求強いor弱いと感じる人を見るときは、その人だけではなく周囲の人間関係も一緒に見てみると新たな発見に気づくことが多々ああります。
例えば、承認欲求が強い人の場合は、自分を認めて欲しいという気持ちが強すぎて、誰かを認めたり褒めたりすることはあまりしないという特徴があります。
そんな承認欲求の強い人ばかりが集まっている環境では、承認欲求の強い人はいつまでたっても自分を認めてもらえるような反応は返ってこず、居心地の悪さやもどかしさをかんじてしまいます。
お互いに認めて欲しいという気持ちが強いために、気がつけばお互いを敵視したり、「認める事=負け・敗北」と感じて、さらに人を認めることが難しくなってしまうこともあります。
一方承認欲求がない、弱いと感じる人の場合は、その人の人間関係も比較的穏やかで、承認欲求に飢えてどうしようもないという人はあまり見かけません。
承認欲求がない人の周りには、ガツガツと「自分を認めてくれ!」と主張してくる人よりも、自分の軸を持っていたり、周囲の評価や評判に対してあまり関心がない人が集まっているということをよく見かけます。
お互いがお互いに精神的に自立してので、適度に認めたり褒めることもしっかり出来る。褒めることに関しても「負け・敗北」というような負の感情で見るのではなく、純粋に相手を認めているのです。
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