たいへんに繊細な気質であるHSP(ハイリーセンシティブパーソン)の人は、他人の気持ちを察することが得意。
つまり、人間関係の機微を敏感に感じ取ることが得意な人間であるとされ、およそ嫌われるだとか、疎まれる…など、否定的な見方をされるようには見えない人と感じることがあるかもしれません。
しかし、繊細だからといって誰もが他人に優しく、そして人間関係にうまく馴染めるとは限りません。
中には繊細であることを盾にして、他人(非HSPの人)に無茶な要求をして特別扱いを求めたり、繊細でない人を鈍感な人だとみなして見下すような態度を取るなど…敏感であることを何かのステータスであると勘違いして増長したことがきっかけとなり、それとなく周囲から嫌われてしまう。
そんなことが、HSPの名称が広がっている現在において、起きているように感じます。(一昔前に発達障害やアスペルガー・ADHDの名称が流行ったときに、これと似たようなことが起きていた気もする…)
今回は、そんなHSPの人が嫌われてしまう理由や背景について、お話しいたします。
HSPの人が嫌われてしまう理由・背景
コミュニケーションコストの高さ
非HSPの人とHSPの人とを比較した場合、HSPの人の方が会話にかかる労力(=コミュニケーションコスト)の高さがどうしても問題になります。
世の中の多数派である非HSPの人と話すような声色や言葉のチョイスでは、繊細過ぎるが故に過剰に恐怖や不安を感じさせてしまう恐れがある。
非HSPの人なら軽く気にせず聞き流してくれるような話題でも、HSPの人には苦痛やストレスを与えてしまうことになるので、関わるとなればHSPの人専用に話し方を変えることが必要になります。
もちろん、これが恋人だとか友達関係のような、ほんわかとした人間関係ならいいのですが、仕事の人間関係のようにある目的のために集団生活をしている場合だと、非HSPの人と比較するとどうしてもHSPの人は扱いづらさが目立ちます。
わざわざ少数派であるHSPの人のために、話し方を適宜変えるのは面倒くさいし、かといって同じ話しを二種類に分けて繰り返す手間も、それはそれでもったいない。
HSPの人のために特別なコミュニケーションをするだけの見返りがあるのならともかく、非HSPの人と同じ働きをしてもらうために、とりわけ労力を要するコミュニケーションをするとなれば、どうしても効率的とは見られない点がHSPの人を取り巻く問題です。
もしも、HSPの人が部下や後輩として入ってくれば、扱いづらさのせいで関わりづらいし育てることも難しい。仮に育てるにしても、非HSPの人よりも労力を要してしまうことが想像できてしまう。
もちろん、扱いづらいからといって切り捨てることを肯定するのは違うとは思いますが、扱いづらさのせいでどうして育たい部下としての優先順位は下がりやすいのが、HSPという特徴の問題であるように感じます。(もちろん、仕事の適正にもよりけりではあるが…)
今や即戦力が求められる時代で、ゆっくりと人を育てるだけのゆとりを持つ職場が少ないからこそ、ただでさえコミュニケーションコストがかかるHSPの人は、あまり好ましく思われないのだと考察できます。
非HSPの人には理解しづらい細かい話をしてくること
HSPの人が、自分が感じている繊細過ぎるが故の苦悩を理解してもらいたいがために、非HSPの人に打ち明けることもあるでしょう。
しかし、HSPの人が感じている悩みは、そこまで繊細さを持ち合わせていない非HSPの人からすれば、全く理解できなくても不思議ではありません。
むしろ「何を細かいことでグダグダ言っているのか…」と、呆れや怒りを感じさせてしまう。こうしたグダグダ言ってくることに付き合うこともまた、コミュニケーションコストがかかるので、ますますHSPの人に対する扱いづらさは増します。
また、繊細であり細かいことに気が付けるのは決していい面ばかりではありません。中には、相手に自覚させなければ良かったことまで自覚させたり、寝た子を起こすような事態を招くこともあります。
細かいことを気にせず、議題に上げず、割と大雑把であることを良しとして成り立っている人間関係からすれば、HSPの人のように、いちいち細かいことにまで気がつく人は、どうしても人間関係を円滑にするためには目の上のコブ的な存在になり、疎まれたり排除の対象となってしまうのです。
繊細であることを鼻にかける姿勢が反感を買っている
HSPの人の中には、自分が繊細であることを何かの特殊能力や他者から秀でている才能だと感じる人も見られます。
もちろん、HSPの特徴を肯定的に捕らえる分であればいいのですが、エスカレートしてしまい、鈍感な人のことを下に見たり、察しが悪い人のことを「気が利かない」として蔑むなど、繊細さを鼻にかけた態度を取ったことで顰蹙を買ってしまう事が見られます。
まるで、嫁の掃除の仕方に対して細かい注文をつける小姑のように、他人の揚げ足を取ってネチネチと責めたり、気が利かない人をただ毒づくばかりでその人に寄り添う姿勢すら見せないのでは、HSPであろうとなかろうと、煙たがられてしまうのは仕方がないと言えます。
自分は社会的な弱者であり特別扱いが必要だと一方的に求めてくる所
HSPであると頻繁に叫ぶ人の中には、社会生活の中で生きづらさを感じており、誰かの手助けが必要な方もおられるように感じます。誤解をおそれずに言えば、HSPの人は「社会的弱者」と見ることもできるでしょう。
しかし、自分が社会的弱者であることいいことにして、繊細で傷つきやすい自分のために周囲の人が無条件に動くことを期待する。
つまり、「繊細な自分のことを特別扱いして欲しい!」「自分のために特別な配慮をして欲しい!」と、一方的な要求になれば、関わる人の苛立ちを誘い、疎まれてしまうのも致し方ないように感じます。
もちろん、社会で困っている人を切り捨てることを推奨する意図はありませんが、困っているからといって、他人を助けるだけのゆとりが無い人に対して「自分を特別扱いして欲しい」と、一方的に迫ろうもの、相手を困惑させてしまうのも無理はないように感じます。
(…まぁ、社会で困っている人を助けるだけのゆとりが無いのは、それはそれで世知辛さい世の中でもあるが…)
繊細チンピラとHSP
HSPの人が嫌われてしまうことに関連するネットスラングとして「繊細チンピラ」という俗語があります。
繊細チンピラとは、繊細過ぎるが故に、SNSなどで赤の他人が投稿した充実している写真などを閲覧したことで「精神的に傷ついた!」と絡んでくる人のことを指す言葉です。ネット上の「当たり屋」と言ってもいいでしょう。
投稿した人が全く意図していない…というか、想像すらできないようなナナメ上の「傷つきました、どうしてくれるんですか?」と悪質クレーマーのように絡んでくる様が、まさに繊細な心のせいで勝手に傷ついたと絡んでくる質の悪いチンピラであるとして、10年代のはじめ頃に登場し、度々その名称がネット上で話題になっています。
そんな傍迷惑な繊細チンピラに目をつけられないように、ネット上で投稿するときはやたら予防線を張ったり、人目を過剰に気にしすぎる。その結果、ネット上で発言したいことすら言えなくなるしんどさを味わうハメになる。
しかも、いくら気をつけたとしても、繊細チンピラは自分の想像をはるかに超えた「傷つきました!」と主張してくるので手の施しようが無い。
食わてえ、中には自分が傷ついたとは言わず「この写真は、○○な人が見たら誤解を与えますよ。不謹慎ですよ。」と他者の代弁者として絡んでくることもあり、非常にめんどくさい相手です。
繊細チンピラを刺激しないために気を配っても、それに見合ったメリットが全くない不毛さが、繊細チンピラの人に対する強い嫌悪感を生んでいるのです。
このことは、HSPの人に感じる扱いづらさにも通ずるものがあるように感じます。
過剰にHSPの人の言うとおりにしても、それに見合う利益は乏しい。むしろ、不利益の部分(=非HSPの人に来るしわ寄せ)が大きすぎて、HSPの人の言いなりになればトータルで見て損をすることが容易に想像できてしまう。
もちろん、HSPと非HSPの対立を深めたいという意図はありませんが、HSPの人ばかりを優先するわけにもいかず、かと言って非HSPの人を基準にすればHSPの人に生きづらさを与えてしまうジレンマがある。
そんな時に、少数派であるHSPの人に対して、(嫌われるのを承知のうえで)多少しんどいかもしれないけど我慢して欲しい…と感じている人は、それなりにいるのではないかと感じます。
関連記事