部活動の指導で「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」と言い聞かせて、練習をサボらせない、練習を継続することの大切さを伝えようとする指導者は未だに多くいます。
もちろん、全国大会出場のように大きな目標を掲げて練習するためには、多少の負荷をけたり休まずに毎日練習することが有効なのは事実ですが、毎日練習を続けることで心身ともに疲弊して、燃え尽き症候群や無気力症候群を招いてしまうのも部活指導では問題となっています。
ブラック部活動という言葉にあるように、休みたくても休めずオーバーワークになって故障をする、学業に支障が出るまで疲れてしまう事は、健康や子供の将来を犠牲にしないためにも避けなければいけません。
今回は、部活指導でよく使われる「練習を1日休んだら…」という言葉の功罪についてまとめていきます。
目次
「練習を1日休んだら…」という言葉が生まれたのはいつか
「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」という言葉は、運動部の部活動に限らず、吹奏楽部や美術部などの文化系、芸術系の部活動でもよく耳にする言葉です。
また、受験勉強や職人の用に技術重視の仕事の場面でも、使われることがあります。
このセリフが出てきたのは現在に気がったことではなく、昭和生まれの中高年、年配の人でもよく使っていますが、いつ、どこで、誰の言った言葉なのかを詳しく答えられる人は滅多にいません。
実は、この言葉に近い言葉は、フランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)の名言
1日練習しなければ自分に分かる。
2日練習しなければ批評家に分かる。
3日練習しなければ聴衆に分かる。
が、元になっていると考えられます。
「休んだら3日取り返す」という形ではなく、練習を休んでしまう演奏技術が衰えてしまい、そのことが自分だけでなく、批評家(評論家)や専門家、そして音楽を聞いている一般人もわかってしまうという事を表している言葉です。
しかし、この名言を残したアルフレッド・コルトーは「毎日休まず必死に練習に打ち込みむべきだ」とは言っておらず、「午前中を中心に5時間以内の練習をするように」という言葉も残しています。練習すればするほど効果がある、というわけではなく、きっちり時間を決めて打ち込むことの大切さも言葉として残しています。
ちなみにですが、彼が影響を受けた有名なピアニストのフレデリック・ショパンは「ピアノは1日3時間で、疲れたらその都度休むように」という言葉を残しています。
時間を決めて練習する事と同時に、適宜休息をとって練習を行うことの大切さも説いています。
休む事に抵抗感を持たせる言葉のメリット
休まずに頑張ることの大切さを理解させる
日本の部活動だと上を目指すためには毎日休まずコツコツ継続を積み重ねるべきだという考えで、部活動に取り組ませるようにしている指導者が多くいます。
とくに学生の場合、部活動が単なるスポーツ指導や身体能力の向上に留まらず、人間力の育成といった「教育」の側面を帯びて行われる場面が非常に多く、休まず継続することで精神的な成長を願っている指導者も少なくありません。
自分が指導している教え子の精神的な成長を願っているからこそ「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」と強く言ってしまうのです。
もちろん、その教えの通りに毎日練習をして、しっかり成長してプロのスポーツ選手になったり、「部活動で自分を変えたい!」というような生徒の夢が達成されれば指導者冥利に尽きると言えます。
自信や他人からの信用を獲得する
学生で時間のある時期に、あと先考えずに衝動的な行動して時間を無駄に過ごすよりも、スポーツなり芸術なりの何か一つの事を頑張ってやり遂げるという経験をする事は、その後のメンタル面の強化に非常に効果があることです。
何か一つをやり遂げたという確かな経験が自信や自己肯定感の源となり、多少の困難で潰れないようなストレス耐性を身に付ける事にも役立ちます。
また、何か一つをやり遂げたという経験は、就職活動のように他人からの評価や信用を得るための判断材料としても扱われることがあります。
途中で挫折してしまった人よりも、何か一つの事を継続しているという事実一つで、採用されたり、「この人は部活動を最後までやった経歴があるから安心して仕事を任せられるだろう」と考えを下すことができるます。
休む事に抵抗感を持たせる言葉のデメリット
毎日漠然と練習をすることだけに集中してしまいがち
休まずに練習に打ち込むことが目的となってしまうと、練習で自分のどういった能力(持久力や瞬発力、できない技術など)を強化するのかといった具体的な目標が疎かになってしまいやすくなります。
自分から進んで練習しているように見えて、実はただ「1日休むと取り返すんに3日かかると言われた」から、その言葉を鵜呑みにして、ただ何も考えず自主性のないまま練習に打ち込んでいるだけということになります。
練習は本来であれば、自分の強みを伸ばすためや弱点の補強、対戦相手に勝つためというような具体的な目標を達成するために行うものなのに、何も考えず「試合のための練習ではなく、練習のための練習」に成り下がっているということも起こります。
怪我や故障、燃え尽き症候群のリスクが高める
毎日激しいトレーニングを続ければ、疲労骨折といった体の一部の使いすぎによるスポーツ障害を招くリスクも高まります。
中高生のように成長期で体が子供から大人へと変わりつつある過程で、休むまもなく練習をしたことで骨が歪んだまま成長し、不自由な生活を余儀なくされた生徒がでた例もあります。
また、毎日続けることが目的となっていれば、怪我をしてもそのことがコーチにバレないように嘘をついて隠し遠そうとしたり、「怪我になるのは仕方がないことだから、どうやって怪我と付き合うか」と、怪我を完全に治す事を放棄したまま練習を続けてしまうこともあります。
もちろん、怪我なく無事に練習を続けることができたとしても、ちょっと熱が出て1日休まざるを得なくなった時に、プツリと緊張の糸が切れたようにやる気が途絶えてしまい、そのまま部活を休んでしまうことがあります。
いわゆる「こうこれ以上頑張れない」と精神面のエネルギーが尽きる、燃え尽き症候群になってしまっているのです。
熱心に頑張ることの大切さを教える一方で、真面目すぎたり自己コントロールができない性格の生徒は、自分の心身が壊れて再起不能になるまで頑張ってしまいかねません。
自分の体が壊れる前にしっかり休息を挟む、怪我を回復させて自分を追い込みすぎないようにコントロールする事の大切さも指導していくように心がけましょう。
不安に駆られた練習はストップしましょう
一日たりとも休まずに頑張ることできる練習は、言い換えればそれだけ練習としての質が低く、筋肉に刺激を与えられていないトレーニングになっているとも考えられます。
質の低いトレーニングばかりしていても効果は見込めませんし、質を高めるのではなくただっ練習量をやみくもに増やすという安直な練習に走ってしまうおそれがあります。
練習の成果が出ないのは練習量が足りないからではなく、練習の質が低い、練習内容が、休息する時間が足りなくオーバートレーニングになっているので、成果が出ないという可能性も考えられるはずです。
もちろん、そうは分かっていても途中で今までやってきた練習を辞めると、一気に体が衰えているような感覚やうまく表現できない不安を感じることもあろうかと思います。
また今まで費やして練習がただの徒労だとわかってしまうのが怖いので、その恐怖から逃れるように練習に打ち込んでしまうというケースもあります。
この心理は、以前スマホのゲームに課金するのがやめられなくなる心理で紹介した埋没費用と呼ばれるもので、取り返すことができない過去の時間や労力を無駄にしたくないという気持ちのせいで、練習がなかなかやめられない、休むことの罪悪感を強めているとも考えられます。
自分の過去の練習を否定するのは精神的な苦痛を伴いますが、その苦痛を避けるために練習本来の目的を忘れて漠然とした不安に駆られて練習を行のは好ましいとは呼べません。
クラス全員皆勤賞から見る危うさ
話は若干変わりますが、日本の学校では1日も休まず無遅刻無欠席で学校に通えた生徒に対して「皆勤賞」という形で表彰をする文化があります。無病息災で健康そのものな体で毎日過ごすことそのものは大変素晴らしいことです。
また毎年3月末になると、どこかの学校で「クラス全員が皆勤賞を取りました!」というニュースを見聞きすることもありますね。
しかし、このニュースの中には、インフルエンザになって学校に行ってはいけないとドクターストップが出ているのに、病を押して登校してまでクラス全員の悲願である「クラス全員皆勤賞」を取ったという、冷静に考えると「なんかおかしいな?」と感じるようなエピソードも美談として扱われていたりします。
ただ休まない事だけでなく、健康を脅かすような状態にもかかわらず出席した事が美談として扱われ評価を受けてしまうと、休むときに罪悪感を覚えて休めなくなり、本当に体調不良で動けなくなるまで体を追い込んでしまいかねません。
この美談の背景には、ただ休むまないことを良いことと見ているだけでなく、インフルエンザに対して「毎年流行しているちょっと強めの熱が出る風邪」のように軽く見ている人も少なからずいます。
インフルエンザはワクチンで予防したり、十分休めば回復する一方で、インフルエンザが引き金となって呼吸困難や肺炎を引き起こし死亡する人も毎年数千人ほど存在しています。
仮に、死なずに済んだとしてもインフルエンザ脳症になれば、後遺症が残るケースもあります。とくにインフルエンザ脳症は未就学児や子供に多いので、インフルエンザなのに無理に登校する事を美談にして扱うべきではありません。
(参考:インフルエンザ関連死亡迅速把握システム (国立感染症研究所))