部活動をしている人なら、何らかの理由で部活を休まざるを得ない時や諸事情でサボる時にに、妙な罪悪感に悩まされ休んでいるのに全然疲れが落ちない…という悩みを抱く事が多々あります。
例えば
- 怪我のせいで部活に参加できない。
- 補修や受験勉強を優先し部活に顔を出せなくなる。
- 貧血などの体調不良のせいでトレーニングを休まざるを得ない。
などの状況は、練習してないので体を休めていることには変わりはありません。
しかし、実際は「他の部員がしっかり練習しているのにもかかわらず自分だけ休むのは、なんだか申し訳ない…」というような、自分だけが休んで楽をしていることに罪悪感や引け目のようなネガティブな気持ちを抱いてしまうものです。
今回は、部活を休んだ時に感じる罪悪感についてお話いたします。
部活を休むと感じる罪悪感の正体
真面目な性格、責任感によるもの
部活動では地道にコツコツ練習を重ね、着実に実力をつけることで評価されるのが一般的です。
もちろん、コツコツ真面目に頑張れることそのものは、部活だけでなく勉強や仕事でも高く評価され一般的には「良いこと」だという意見はそのとおりだと思います。
しかし、真面目に頑張る事は、場合により
「真面目に頑張るのが良い → 真面目に頑張るべきだ → 真面目に頑張れなければダメだ」
と、次第にエスカレートしやすく、練習を休めない雰囲気を部全体で作り出したり、体力が持たず休んでしまう人に対して「軟弱だ」「逃げた」という攻撃的な目で見てしまう原因になります。
自分が「逃げた」と思われないためにも真面目な人ほど休むことに罪悪感を募らせてしまい、体が悲鳴をあげているのにもかかわらず無理に練習を重ねて故障してしまう。
仮に、最後までやりきったとしても心身ともにエネルギーを使い果たしたことで燃え尽き症候群を引き起こし無気力状態になることがあります。
また、このことは完璧主義な性格の人や、負けず嫌いな性格の人でもよく見られます。
部活においては完璧を目指したり、負けず嫌いで必死に食らいつくガッツのある部員は好まれる一方で、
なお、このように、ある集団内で意見が極端なものい偏る事は、心理学では集団極化と呼ばれています。
集団極化については以下の記事で詳しく解説しています。
部員、指導者の期待に応えられないことへの負い目
例えば、部全体で大会に向けて雰囲気を作っていい感じになっているタイミングで、自分一人だけ怪我で練習を見学しなければいけない状態になってしまうと、まるで自分が部に関わる人達の期待を裏切ったかのように感じて罪悪感を抱くことがあります。
基本的に部活動は一人でやるのではなく、同級生や先輩後輩、顧問の先生などの指導者も加わり集団になって行われるものです。
集団になって行う以上は、誰かの期待や応援の声、場合によっては部の伝統や学校の看板などを背負い部活に励む場面も出てきます
必死に部活に励む人ほど、これらの期待に応えることこそ自分の果たすべき役目だと感じている一方で、怪我や諸事情により部活に参加できなくなった時に、その役目を果たせない自分に対して強い「申し訳ない」「示しがつかない」という罪悪感を抱くのです。
他の部員の足を引っ張っているという自責の念
野球やサッカーのようにチームスポーツの場合、チームに穴ができてしまう事はあまり好ましいことではありません。
穴を開けてしまうことで、チームが大会にベストコンディションの状態で参加できなくなってしまい、勝利から遠のいてしまう可能性が高くなってしまいます。
もしも、自分が抜けたせいで敗北を喫してしまえば、それこそ「自分が休んだせいで他の部員の足を引っ張ってしまった」という自責の念に駆られてしまい、申し訳のない気持ちで胸がいっぱいになってしまいます。
「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」などの部活格言
体育会系に限らず文化系の部活動で、積極的に練習に取り組む目的としてよく言われているのが「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」という格言の類です。
上の記事でも触れていますが、この言葉の元ネタと思われるのはフランスのピアニストのアルフレッド・コルトー言葉です。
この言葉は(当然ながら)科学的根拠に乏しく、実際にこの格言通りに練習したからといって、確実に成長したり大会で自己ベストが出る未来が保証されているというわけではありませんし。
逆に守らなかったら必ずダメになるというわけでもありません。
しかし、先輩や指導者のことなら自分でよく考えもせずなんでも聞いてしまう人や、なんとかして練習で体を鍛えて早くチームに貢献できるようになりたいと思っている人ほど、この手のもっともらしい格言やポエムに影響され、自分で自分を追い込んでしまうのです。
罪悪感から逃れるための練習はオーバートレーニングの原因に
練習を休むことに罪悪感を感じてしまう人に多いのが、罪悪感から逃れるために休むべきタイミングで休まず、勝手に自主練やトレーニングをしてしまった結果、オーバートレーニングになり調子を落としてしまうケースです。
- みんなが頑張っているのに、自分だけ休むのは忍びない。
- 練習するのが当たり前の日常を送っていたから、練習のない日はなんだか気持ちが落ち着かない
- 休むのが大事とはわかっているけど、体が鈍るような気がして結局練習をしてしまう。
などは、一見すると休みを返上して真面目に練習を取り組んでいるので非常に素晴らしいことのように見えます。
しかし、一方では休む
- タイミングで休めず自らコンディションを崩している。
- 自分のメンタル面のコントロールができていない。
- 本格的に怪我をして悪化するまで練習し続けてしまう恐れがある。
などの問題もはらんでおり、決して無批判に肯定したり美化していい事とは言いきれません。
なお、多少練習を休まず無理して頑張っても、それなりにうまくいってしまうこともあるのが厄介です。
「練習を休めば必ず効果が出るわけではない」を都合よく解釈し、休まないことを正当化してしまう理由になります。
また年齢や運動歴、体力によっては反日の休みで疲れが取れる人もいれば、疲れが抜けきるのに3日もかかってしまう人がいるように、休むのに必要な時間の長さには個人差があるので、比較的短時間休めばOKという人を見ては、休まないことを正当化してしまうことがあります。
「休むのも練習のうち」を徹底していく
部活の練習は、休むのを我慢してがむしゃらに練習に打ち込むことばかりが正しいわけではありません。
スポーツ科学の分野でも、トレーニングのあとに筋肉を適度に休めることでトレーニング前の状態に回復するだけでなく、トレーニング前よりも筋力を高めることができる(=超回復)ことがわかっているように、「休むのも練習のうち」を徹底していくことが大事です。
また、部活動の大会のように、「確実に勝つとは限らない」「ひょっとしたら負けることもあるかも知れない」という、未来がどうなるかはっきりしないことに対しては誰でも不安を感じるものです。
しかし、その不安を打ち消すために闇雲に練習量を増やし「とにかく不安に負けない確かな自信や強さが欲しい」という焦りに飲み込まれないようにすることも大事です。
そのためには、普段から練習日誌をつけたり、毎週決まった曜日を休養日してしっかり休むようにするなどのルールを決めて実行していくことが効果的です。
関連記事