コミュ障といえば、
- 人と会話をするのが苦手であり、そのせいで人と仲良くなれずに孤立する。
- 仕事で連携が取れずに迷惑をかけてしまう。
- 他人とのちょうどいい距離間が取れずお互いに疲弊する。
など、他人とコミュニケーションがうまく取れない事、そしてそこから派生するトラブルや面倒事を招いてしまう性格や特徴を指す言葉です。
そのため、コミュ障という言葉は基本的にはネガティブなもの、デメリットが多いとして語られます。
しかし、コミュ障をまた違う側面で観察したり、コミュ障な人を取り巻く状況が変われば、メリットとして語られることもあるものです。
今回は、そんな悪いニュアンスで語られがちな『コミュ障のメリット』について、お話いたします。
コミュ障のメリットとなりうるもの
物事を深く考えることができる
コミュ障の人の中には、考えすぎてしまう癖が原因でそっけない返事で会話を終わらせてしまったり、結局何も言えないまま沈黙してしまう人がいます。
例えば、「今日はいい天気ですね」というなにげない会話の返答として
- 「どういった返事をすれば会話が続けられるのだろうか」と延々と考えてしまう。
- なにげない言葉の奥底に秘められているメッセージがないかと、考えを巡らせてしまう。
など、必要以上に考えたものの、ふさわしい答えが導き出せなかったことが原因で、素っ気ない返答になってしまう…というのが、考え過ぎからコミュ障になる人の例です。
しかし、この考えすぎる癖は見方を変えれば、
- 物事を深く突き詰めて考えることができる。
- 想像力を働かせてあらゆる可能性について思いを巡らすことができる。
- 普通の人が軽くスルーしてしまうことについて、自分なりに考えと結論をみつけようとしている。
と、知性的な一面があるとして、メリットを見出すことができます。
学問や研究の分野のように、専門的な考察や洞察が求められる場面においては、コミュ障を招く考えすぎる癖が、自分の強みとして活かせる可能性を秘めていると考えられます。
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注意深くてリスクを回避したがる
コミュ障の人がうまく会話ができない理由として
- 「このことを言ったら相手は傷つくのではないか?」
- 「こんな言い方だと相手に失礼だと思われてしまうのだろうか?」
- 「この話題を言ったら変な人だと誤解されてしまうのではないか?」
と、会話で起きうるリスクに対して敏感である、完璧主義な性格のせいでに、何を言っていのか困り果てて会話が雑になってしまうのです。
リスクに敏感でオドオドしがちといえば、なんとも情けなくてシャキっとしないように感じますが、見方を変えれば注意深くてリスクを回避したがるとも考えられます。
リスクに敏感だからこそ、石橋を叩いて渡るように慎重に勉強や仕事を進める、失敗して辛い思いをしないように準備を入念に行うことができると解釈すれば、リスクに敏感である事は決して臆病やへっぴり腰という揶揄の言葉で片付けられるほど、悪くて恥ずべきものではありません。
とくに就職、結婚、家を買うなど、その後の人生を大きく左右する決断をするときに、なるべく考えられるリスクを小さくして自分の安全を確保するために注意深くなることは、決して恥ずべきことでも卑下することでもなく、誇りに思っても良いことだと思います。
なお、自己啓発書や意識高い系向けの本では「積極的にリスクをとって果敢に挑戦すべきだ」という、言説がやたらと見つかるものですが、これは誰かの助言をもらって背中を押してもらいたい人向けを想定読者として書いていることが主な原因です。
実際に、自己啓発書のような文章を書く人は、敏腕営業マン、投資家、プロスポーツ選手、起業家・経営者などの何かしらのリスクを取りつつ成功してきた自身の成功体験を元に書いているわけですし、そんな経歴を持つ人の話が「リスクを取れば成功できる」という言説に寄るのは至って自然です。
また、「リスクを取る≠成功」という言説だと、サクセスストーリーを求めている読者の期待を裏切ってしまうので、どうしても「リスクを取る=成功」という夢を抱けるようなクライマックスになるよう話を寄せるのがこの手のストーリを売る商売の王道です。
そう考えると、「リスクを取る=成功」は営業用のポジショントークであり、間に受けすぎてリスクを果敢に取りすぎるのも考えものと言えます。
良くも悪くも自分を貫ける
コミュ障な自分に悩んだり自己嫌悪しつつも、結局コミュ障な自分で居続けた結果、周囲に煙たがられたり孤立してしまう…という結果を見れば、コミュ障にメリットを見つける方が難しいでしょう。
しかし、孤立してまでのコミュ障な自分でありつづける頑固さは、言い換えればそれだけ良くも悪くも『自分』を貫けることの証ともいえます。
大人になれば、社会的な立場や仕事の都合上自分を貫き続けることは難しく、社会と折り合いをつけたり、時には自分から折れて相手に合わせる事が必要になることが多い中で、どんな時であれ自分を貫き通せるタフさは、見る人からすれば人間としての魅力として映るかもしれません。
一人で黙々と作業をこなせる
コミュ障のために人と協力して何か作業をこなすことや、チームワークをとることに苦手意識を感じる人は多いものです。
そんな人のなかには「誰かと協力するぐらいなら自分一人で作業したほうが気楽だし効率的」と考えて、一人でも黙々と作業をこなすことが得意になる人もいます。
また、一人でこなせる作業量を増やすために自ら勉強をして技術を身につけていったり、身につけた技術を評価されることもあります。
これは単に勉強や仕事で評価されることに留まらず、コミュ障の人がなかなか手に入れにくい自信や自己肯定感身につけることにもつながります。
コミュ力を人並みに付けるだけで大きな評価を得られる
コミュ障であることを利用して、しっかり挨拶をして話すことを心がけたり、相手の話をしっかり聞くといった会話における基礎中の基礎をこなすだけで、格段にコミュ力がついて成長していると思わせることができます。
よくフィクションで「不良がちょっと優しい素振りを見せただけで、今までの好感度が嘘のように急上昇する現象」のコミュ障Verです。
なお、コミュ力をつけたらコミュ障が解消されるので、コミュ障メリットを生かしつつも、コミュ障の悩みを取り除ける一石二鳥のメリットです。
一つの個性として認められる可能性を秘めている
周囲にコミュ障な人が少ない場合、コミュ障であることが一種の個性や自分らしさ(アイデンティティ)として受け入れられることがあります。
もちろん「コミュ障なのが個性だよね」と言うと、人によっては褒めているように見えて小馬鹿にしたり煽っているという誤解を招きかねないので、コミュ障ではなく「大人しい人」「独特の雰囲気を持っている人」と、なるべく角が立たないように言い換えることが望ましいと言えます。
ただしコミュ障のデメリットの大きさは見過ごせない
コミュ障のメリットについてまとめましたが、メリットだけに着眼すればそれなりにいいなぁ…と思えるものはあるものの、冒頭で述べたようにコミュ障は基本的にネガティブなニュアンスで使われる言葉であり、デメリットの大きさをスルーするのは困難です。
ここで述べたメリットの部分が、コミュ障が持つデメリットのせいで打ち消されたり、状況が変わったせいでメリットが生かせなくなる(例:一人で黙々と作業ができて昇進→管理職になり強みを活かせず悩む)こともあり、いつまでも安全とは言い切れないのも実情です。
コミュ障の持つメリットを生かしつつデメリットを小さくしていく
かと言って、コミュ障のメリットを手放すのも、それはそれで勿体ないものですし、メリットのおかげで学業、仕事、趣味で成果を上げて充実感を得ているのなら、メリットを享受し続けるのがいいでしょう。
それと同時に、デメリットの部分をできるだけ改善して小さくしていけば、コミュ障であってもデメリットに押しつぶされずに済みます。
例えば、「一人で黙々と作業ができる」というメリットはそのままメリットとして大事にする。
その一方で、もしもチームワークが必要な場面が出てきたら、適度に人を頼ってみたり、相手に作業を任せて協力する姿勢を学んでいくことで、一人でも集団でも仕事ができる人という強みを獲得できます。
また、もしも自分の部下・後輩でコミュ障に困っている人が入ってきた場合は、自分がロールモデルとなることもできます。
コミュ障な人にとって、自分と同じコミュ障な部分があるものの、しっかり社会に適応して活躍している存在は、大きな心の支えとなります。
コミュ障に悩む未来の人に何らかの形で助けになる意味もかねて、コミュ障のメリットを生かしつつ、デメリットを小さくする生き方をしていくことは、たいへん意義のあることなのです。
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