一昔前に「セルフブランディング」に関するセミナーに参加したことがあります。
いわゆる
- 好きなことを仕事にするための○○術
- 趣味をお金に変えるための××術
- 自分の強みを活かすための△△スキルアップなんたらかんたら…
というような類の、どうも正直胡散臭さが拭えない類のセミナーであることはお察しがつくと思います。
当時はリーマンショック後で、仕事や収入面で不安を感じていた時期でもあり、「行けば何か知識が得られるかな?収入につながる話が聞けるかな?」という淡い期待を胸に抱いてように感じます。
しかし、セミナーを受けた結果は非常にコメントに困るほど微妙なもの。また、セミナーそのものよりも、同じくセミナーを受けに来ている人に若干ゾッとしてしまったのを覚えています。
今回はそんな黒歴史とも言える、セルフブランディングセミナーに参加した時のことについてお話いたします。
目次
セルフブランディングとは?
まず初めに、セルフブランディングとは
企業や組織に所属しない「個人」が、自らをメディア化し、自らの力でプロモーションすること。 ウィキより
という意味をもつ言葉であり、SNSやブログ、ホームページを使ってタレント業のように自分を売りたい人、クリエイター職のように自分の作品や技術を宣伝したいという人なら、耳にすることもあろうかと思います。
今で言うと、「ユーチューバーが自分のキャラや芸で名前を売っていためにはどういったことをすべきか?」というノウハウそのものが、セルフブランディングのいい例です。
当時はまだ個人の情報発信はブログや自費出版が主流の時代。SNSにしてもミクシィが主流で、Facebookやtwitterが日本でようやく開始されて間もなかった頃という背景もあり、「これからはSNSを使った個人を売りにしたビジネスが流行る」というキャッチコピーでセルフブランディングに関するセミナーや書籍、情報が出回っていました。
筆者自身もSNSに関するビジネスには興味があったので、あるセミナーに関する情報を調べて、何度かセルフブランディングセミナーに参加したという次第であります。
セルフブランディングセミナーは意識高い系の集まり
さて、セルフブランディングセミナーに参加してまず第一に感じたのは(筆者も含めて)意識高い系の人が多く集まっていたということです。
もちろん、意識を高くもつことそのものは大事だと思いますが、意識の高さが空回りしてどこか自分を見失っているような人や、奇抜な行動やファッションで自分の魅力をアピールしているという、そばにいるとゾッとしてしまうような人が何人かいたのを覚えています。
また、意識の高さが暴走してか
- どこか他人や世間を敵視したり、見下している人。
- 自称サバサバ系のように言いにくい事を言える自分に酔っている人
- 「自分は…」「私…」と話題をなんでも自己中心的に語ってしまい周囲が見れない人。
- 言ってることは立派だが、その割には実力が伴っていないクリエィティブ職の人。
- ワナビー、駄サイクルにハマる人見られるような辛い現実と向き合えない人
などの、ユニークで特徴的な人が来ていたのを覚えています。(傍から見れば筆者もその一人になりますが…)
これだけインパクトがある個性の持ち主が選り取りみどりなわけですから、ある意味セルフブランディングという自分を売り出していくセミナーほどお似合いな場所は他には無いように感じます。
ただ、あまりにも過激なキャラであり炎上不可避な人や人間関係のトラブルが絶えなさそうに思える人がいたことも覚えています。
当時は「ある意味すごいな、魅力的だな」と感じてはいましたが、かと言ってその人達のように過激発言やサバサバ系、悪ノリが言える人になりたいかと言うと、そのレベルになってしまうのはさすがに元の社会生活に戻れなくなるような恐怖感を覚えた次第です。
セミナーに参加するだけで変わるのなら苦労はありません
セミナー後は懇親会、異業種間交流会、飲み会という何らかの形で参加者やセミナー主催者と話し合う場面が設けられており、その時間を通してSNSで友達になったり名刺交換などでお互いの情報を交換することができました。
中には、この懇親会の方がメインで営業活動に勤しむ人、自分がどれだけスゴイ仕事をしているかと経歴を自慢する人もおられました。
後日、セミナーに参加した人の行動をSNSのアカウントで追っていくと、
- セミナー後はまるで何か大仕事をしたかのように自分をやたらと持ち上げた投稿をしただけで終わる。
- セミナーで気分がハイになって、ポエムのような文章を呟くだけで終わり。
- 同じ参加者の言葉や行動に感銘を受けるだけ受けてそれで終わり。
と、実際に何もできないまま、セミナーに参加した事で満足したまま終わっていき、盛大に何も起こらない人ばかりだったのを覚えています。(※筆者もその一人です)
かくいう筆者も将来の不安に駆られて「何かしなければいけない!」という焦燥に駆られていたところにいいタイミングでセミナーの情報を入手し、参加後は焦燥感がなくなり何もする気が起こらなくなる、妙な安心感を得てしまうというアホなサイクルを繰り返していました。
筆者含め、盛大に何も始まらなかった人は、そういったアホなサイクルを繰り返していたことが原因ではないかと、過去を振り返って感じています。
セミナー主催者のセルフブランディングに使われた感が否めない
なお、セルフブランディングセミナーに限らず、自己啓発セミナーでも同様のケースは多く、セミナーに参加するだけしてその場限りで終わってしまう人は多く、セミナー主催者もそれを見越してその時代に求められているセミナーを開催し儲けていく。
また、色々看板を変えてリピーターが付けば儲けものというスタンスでセミナーを開催していたのではないかと今では分析しています。
リピーターがつく事を見ると、セルフブランディングセミナーのリピーターになる人は、自分をブランディングするのではなく、セミナー主催者や運営にまんまと利用されており、本当にセルフブランディングをしているの主催者の方だったという皮肉を感じます。
セルフブランディングに参加した人はやっぱり胡散臭かった
ちなみに、セミナーには数回ほど参加しましたが、次第にセミナーそのものの効果や勝ちに疑問を感じ、行くのがめんどくさくなってしまい、当時交流していた人との関係も自然消滅して現在に至ります。
そんなセミナーから10年ほどたった現在、同じセミナーに参加していた人のデータが残っていたので、試しに消息をたどっていくと
- 胡散臭いスピリチュアルやマルチ、資格商法に手を出している人。
- 「儲かる方法などの」情報商材を堂々と売り歩いている人。
- 自分よりも若い人ばかりを狙った情弱ビジネスをしている人
- 同じくセミナー業を初めた人(ただし儲かっているようには見えず、売っているものも胡散臭い)
- セミナー参加者同士で裁判沙汰。
- 宗教勧誘
など、胡散臭い人たちの選り取りみどりの選び放題という暗澹たる結果になって頭を抱えると同時に、自然消滅していたことが結果として良い方向に働いた事を実感した次第です。
当時はそこまで胡散臭さを感じず比較的まともだった人も、いい感じセミナーで会った人に毒されてきたせいか胡散臭さを増してだけでなく、自分の胡散臭さにためらいを感じていないような投稿・活動が目立ちました。
セルフブランディングが功を奏した…のかもしれませんが、胡散臭さに磨きがかかり、今更キャラを変えるわけに行かず、引くに引けなくなっている人も見受けられました。
なお、何かしらの消息が見つからず、SNSやブログをすべて削除していて消息が不明な人もそれなりに確認できました。
こうして見ると、セルフブランディングが真っ当なビジネスではなく、胡散臭い人たちが更に胡散臭さを増して自分の利益をつなげるためだけの流行だったのはないかと感じています。
あとがき
この記事を書くに至ったきっかけは、数年前にセルフブランディングのセミナーを開催していた方々を先日見かけたことがあったからです。
なお、彼らがやっていたことは
- バイナリーオプションや仮想通貨に手を出して、いかにも「手っ取り早く金になりますよ」と言わんばかりのセミナーを開催していた。
- セミナーで集めた人を優しく囲い込み養分にし立て上げた信者ビジネスを展開していた。
という、世間体から見れば、あまりにもコメントに困るようなビジネス(?)をしていて、私はこんな人のために金を費やしていたのかと思うと、自分で自分が情けなくなるばかりでした。
当時はリーマンショックやらなんやらで、将来に対する危機感を募らせている人が多く、その不安を解消させるための受け皿として、自分の強みを売りにするなどのキャッチコピーを掲げたセルフブランディングセミナーが人気を博していたのではないかと分析しています。
セルフブランディングセミナーに参加した一個人の感想として、セミナーのあの空気感は、気を抜けばどこか依存してしまいそうな空気感があり、ダメだとわかっているけどずっとこのままでいたいという自分の甘えたい願望を満たしてくれるような場所のように感じます。
本当は自分の売りとなるビジネススキルを磨くための勉強や下積みをしなければいけないのはわかっているけれど、仮にそれができなくても決して怒らず受け入れてくれる…
そんな蠱惑的な空気があったために、自分を甘やかして堕落させてしまったり、セミナーに精神的に依存し貢いでしまう人も少なくないのだと思います。
あの空間だけはどんな奇抜な人でも、過激な人でも、普段から生きづらさを感じている人でも、最初から否定せずに受け入れてくれる妙な懐の深さがありました…
そんな懐の深さに溺れるように依存して自分を見失い、自分のいたらなさや未熟さを省みないままだとどのような結末が待っているかという怖さを知れたという意味では、安くない勉強料だったと思う今日この頃です。