愚痴や不満、自分の個人的な主張、意見、願望、思想など、いわゆる「本音」と呼べるものを持っていることはなんとなく推察できるものの、あえてそれを口にしたり、言葉として表現しない人というのは、なんだか計算高くて狡猾で、ちょっと近寄りがたい雰囲気を感じてしまうかもしれません。
もちろん、仮にお近づきになったとしても「(あえて)本音を言わないでいるんですよ」と鼻の高さを感じる態度に嫌気を覚え、どうしても親近感が持てないことから関係を続けるのが面倒になることも容易に想像できるかもしれません。
しかし、あえて本音を言わない人の心理について少しでも理解ができるようになると、「腹の底が見えない嫌なヤツ」という否定的な印象ではなく、「物事をよく考えていて、引くべきところや自分の身の振り方をわきまえている人」「表立って目立つことは少ないけど、虎視眈々とした姿勢があり、見習うべき点がある人」と好意的な解釈ができるようになります。
今回はそんな意味も込めて、あえて本音を言わない人の心理についてお話しいたします。
あえて本音を言わない理由・心理
本音の内容が辛辣すぎる正論だから
愚痴や不満など、本音の中でもとくに他人を不愉快な思いにさせるものは、どうしてもその内容案が辛辣なものになったり、言葉選びが容赦ないものになちがちです。
そのため、本音を受け取る相手を深く傷つけるだけでなく、そんな乱暴な言葉を選び出す自分のイメージの悪化が懸念されます。
例えば、太っているせいで健康診断で散々な数値が出ている人に対して「デブなんだから痩せなさいよ」「そんな不摂生な生活では早死にするよ」…と、辛辣すぎる物言いをされても、相手が素直に聞き入れるとは限らないものですし、あまりの言葉の鋭さゆえに、本音を言った自分の人間性が疑われる可能性もあります。
なお、こうした本音はいわゆる「正論」として扱われ、「よくぞ言ってくれた!」と賞賛されることが多いものです。
しかし、正論は確かに正しい論説であったとしても、その正論をいわれる人の感情や心理を無視し、まるで相手を切って捨てるかのような乱暴さを持っている論説でもあります。
言った当人はスカッとするかもしれませんが、言われた相手からすれば急に乱暴な言葉を言われてひどく傷ついてしまった…という、苦い経験だけが残ってしまう。
本音を言った自分の方が悪者扱いされたり、「言葉選びが下手な人」だと思われてしまうリスクを考えればこそ、あえて本音を言わない方が、余計なリスクにさらされることが少なくなるので、あえて本音を言わないようにしているのです。
「本音を言う=弱みを握られる」と感じている
自分の感情や意見などを主張するのは、相手との心理的な距離感を近づけられる一方で、普段は隠している自分の内面を他人に知られて弱味を握られてしまう側面もあります。
例えば、職場において自分の個人的な意見(上司の好き嫌い、職場の方針に対する主張、待遇への満足具合)などを喋る事により親密な関係が築ける可能性がある一方で、個人的な意見を知られたことが原因で嫌がらせが起きたり、派閥争いに巻き込まれたり、変に目をつけられてしまうことも起こりえます。
自分の本音を喋ってしまった以上、その意見を撤回するのは難しい。後から説明するにしても労力がかかる上に、余計に人間関係にかき乱してしまい逆効果になることもあり得る。
また、本音を知られている以上、それに対して後付けで説明しても、前に自分で言った本音を相手から持ち出されると反論しづらくなるのも明白です。
こうした状況に陥る可能性を考えればこそ、迂闊に本音を口にするのは決してメリットばかりの行為ではありません。だからこそ、あえて本音を言わず、余計なトラブルに巻き込まれて自分の立場が下手に悪くならないようにしているのです。
相手とは一定の距離間のある関係にとどめておきたい
本音を言ってお互いの距離感を縮めることは心理学では自己開示といいます。
ただし、上述したように、自己開示をしてお互いの距離感を近づけるメリットがある一方で、自分の本音を他人に知られたことで、その本音を根拠に不当な扱いを受けたり、あらぬ誤解を招いてしまい、人間関係のゴタゴタを招いてしまうリスクもあります。
また、何より心理的な距離感が縮まることが悪い方向に働き、他人に自分のプライバシーを詮索される、あるいはプライベートな時間を奪われることもあります。
休日は一人でのんびりしたいのに、迂闊に本音を喋ってしまったことで親近感を持たれてしまい、休日なのに同じ職場の人と遊びで顔を合わせて窮屈な思いをする…というような、自分が望んでいない状況に陥り疲弊しないためにも、相手と適度な距離感を保つ意味も込めて、普段から本音をあえて言わず、少し近寄りがたい雰囲気を放っているのです。
なお、余談ですが、距離感を縮めることを一度でも許してしまうと、その後堰を切ったようにどんどん距離を近づけてくる人がいますが、これは心理学で言うところの「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」に通ずるものと言っていいでしょう。
「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」は、一度要求を受け入れてしまうと次に同じような要求をされた時に断りにくくなることを指す心理で、主に仕事(とくに営業)で使われる心理学用語です。
一度でも本音を出して距離感を近づけた過去があれば、次に同じような場面が出たときに本音を言わないまま突き通すのが難しくなり、なし崩し的に本音を口にして、更に相手との距離感を近づけてしまう…という、仕組みが分かっているからこそ、あえて本音を言わず最初から距離を置いた関係に徹したい思惑が隠れているのです。
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本音を言ったからといってどうにもならない状況である事を理解している
身も蓋もないですが、自分一人が本音をいったところでどうにもならない状況である事を理解しているからこそ、あえて本音を言わないのです。
例えば、大学受験の失敗が確定した場面で、本音は非常に悔しい思いをしているけど、かと言ってそのことを口にしたからと言って、今の状況がガラッと変わって急遽志望していた大学に合格する…なんてことが起きるわけありません。
本音を言う言わないに限らず、大学受験に失敗したという事実は変わらないしどうにもならないという状況を理解しているからこそ、あえて本音を口にして疲弊するぐらいなら、そのエネルギーを勉強に費やした方が合理的です。
なお、「本音を言えば人生が変わる」「本音を口にすればうまくいく」など、本音を言えば必ず自分の願っていることが現実になる、と耳触りのいい言説がリアルでもネットでもたまに話題になります。
ここだけ切り取ると、「そうなんだ、本音を言えばうまくいくんだ!」と思ってしまいそうになりますが、あくまでも話題になっているのは本音を言ってうまくいったケースだけです。
その裏では、本音を言っても無意味あるいは逆効果だったケース相当数あるものの、注目されずに埋れていることも、冷静に考えれば想定できるものでしょう。
本音を言ってうまくいったケースが氷山の一角とした場合、本音を言っても無意味だったケースはその氷山の根元部分だと表現できます。
「あえて本音を言わないキャラ」と「ここぞというときは本音を出すキャラ」を使い分けている
最後に、普段からあえて本音を言わないキャラを演じておくことは、いざという時に場の状況を左右して自分に好都合になるように物事を進めるために役立つことがあります。
どういうことかというと、普段は(あえて)本音を言わないキャラを貫いておくものの、ここだけは譲れないというものが出てきた時に限って今まで隠していた本音のキャラを見せることで、自分の要求を通しやすくなるのです。
例えば、普段から本音を言わず穏やかな人で通っているものの、その人が怒りや不満などの本音を口にするような場面になれば、周囲からは「あんなに穏やかな人が自ら怒りの言葉を言うほどに、今は穏やかではない状況なんだ」と、事の重大性を嫌でも察する。
そして本音を見せた本人がその状況うまく利用することで、この時ばかりは自分の本音に含まれている要求を簡単に相手に飲ますことができるようになり、他人を自分の意のままに他人をコントロールしやすくなるのです。
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