他人の些細なミスを目ざとく見つけて、まるで致命的なミスを起こしているかのようにあげつらう人は、非常にめんどくさいものでしょう。
まるで、姑が嫁の掃除の雑さについてお小言を言うように、他人のミスに対して厳しい人を見て、憤りを覚え「自分はああはなるまい!」と固く決意する人も多い事だとおもいます。
しかし、いざ自分が姑のように誰かの上に立つ立場になると、自分に甘く、そして他人に厳しくなってしまい、忌み嫌っていた姑っぽい態度を取っていることを自覚し、自分の志のブレ具合を痛感することも、生きていれば大抵の人が経験しているものでしょう。(場合によっては、自分の志のブレ具合を認めたくなくて「いや、自分はしっかりやってます!」と、現実を否認することもあるかもしれませんが…)
どうして、自分のミスには甘く、他人のミスに対して厳しくなるのかについては、心理学の
- 行為者・観察者バイアス
- 内集団と外集団
- 防衛機制の投影
で、説明することができます。
今回は、この3つの心理学の言葉から、他人に厳しくなる心理をお話いたします。
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「行為者・観察者バイアス」から見る他人のミスへの厳しさ
行為者観察者バイアスとは、同じ行動であっても他人の場合は原因が性格や能力にあるのだと思うのに対して、自分の場合は状況や運などの自分以外に原因があると考えてしまうことを指す言葉です。
たとえ自分と他人が同じミスをしたとしても、他人のミスは他人自身に根拠があるとして片付ける、自分のミスは自分以外の何かに根拠を見つけて考えてしまう事です。
例「忘れ物をした」というミスの場合
例として「学校の宿題を忘れてしまった」と言う状況で、行為者・観察者バイアスを見ていきます。
他人が忘れ物したときは
- 「あの人はずぼらな性格だから忘れ物した」
- 「日ごろから物の管理がずさんだから忘れ物した」
と、忘れ物をした原因を、行動、性格や、神的な未熟さなどに原因があると考えてしまいがちです。
一方、自分が宿題を忘れた場合は
- 「先生が宿題なんかを出すから忘れ物が起きるんだ」
- 「最近部活や委員会活動で忙しく、宿題をする時間が確保できなかった」
と宿題を出す側に責任転嫁したり、自分を取り巻く状況に責任があると言い訳をして、自分には非がないという姿勢をとってしまいがちです。
両者を見て分かるように、他人の忘れ物に対しては他人の人格や能力に原因があると決めつけ、自分の忘れ物に対しては自分以外の他人や自分を取り巻く状況に原因があるとして、物事を自分に都合よく捉えてしまうのです。
こうした行動は、他人にはやたら厳しいものの、いざ自分が非難される立場になったら反省も改善もせず、それどころか開き直ってしまうために、顰蹙を買うのも無理はありません。
心理学者ジョーンズによる実験と考察
心理学者ジョーンズは、このバイアスに関して以下の実験を行いました。
- 実験を行うために、学生とその学生に指示を出す被験者を集めた。
- ジョーンズは「今から学生に妊娠中絶を擁護する論文を書き写し作業をさせてください」と被験者たちに言うように指示を出した。
- 被験者からの指示を受けた学生たちは、妊娠中絶を擁護する論文の書き写し作業を行った。
- 書き写しが終わったあと、被験者に対して「この学生たちは妊娠中絶を擁護していると思うか?」と尋ねた。
- 被験者たちは実験の背景や状況を知っているのにもかかわらず、「学生は妊娠を妊娠中絶を擁護していると思う」と答えてしまう人が多かった。
被験者は論文を書かせた原因や背景…つまり、「実験のためにあえて学生は妊娠中絶を擁護する文章を書き移しているだけ」という状況は知っており、学生自身が妊娠中絶を本心から擁護しているわけではないことは理解しているはずです。
しかし、それにもかかわらず、被験者たちの多くは「学生は妊娠中絶を擁護していると思う」と回答しています。
この実験からは、私たちは他人の行動の裏にある原因や背景、状況を知っていたとしても無視してしまい、行動の根拠をその人自身の性格や人格にあると結びつけてしまう心理が働いている事が伺えます。
仮に、強制的にやらされていることがわかっていたとしても、「これは本人が望んでやっていること」と言う思い込みが働いているのです。
まるでブラック企業の経営者が、劣悪な労働環境で働かざるを得ない従業員を「彼らは自ら喜んでブラックな環境を選んでいる」「好きだからこそ劣悪な環境でも喜んで働いており、給料や待遇に不満はないはずだ」と考えてしまう現象にも通ずるものがあります。
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「内集団」と「外集団」からみる他人への厳しさ
「内集団」とは、自分が所属する集団を指す言葉。一方で自分が所属していない集団は「外集団」と呼びます。
人間はだれでも自分が所属している集団(内集団)に対して贔屓目で見てしまい、自分の集団はこそ1番である、優れている、魅力がある、と甘い評価を下してしまいます。
一方で、自分が所属していない集団(外集団)に対しては、差別や偏見、排他的な目で見てしまい、信用できない、劣っている、魅力がないと厳しい評価を下してしまいます。
他人に対して厳しくなる人の中には、たとえ同じ職場やクラスの一員だとしても、まるで自分のことを親の敵かのようにみなす人がいるものでしょう。
客観的に見れば、お互いに同じ組織や集団の一員ではあるものの、厳しい評価をする人からすれば、自分とは違う集団の一員…例えば「自分の派閥に所属しない人」と見なされているからこそ、厳しい評価を下す心理があるのだと考えることができます。
防衛機制の投影からみる他人への厳しさ
防衛機制の投影とは、自分が持つ醜い部分を認めたくないあまりに、それらを相手が持っているものだと次つけてしまう心理を指します。
例えば、相手に対して嫉妬心を抱いているものの、それを自覚したくない場面において「あなたは私に嫉妬しているんでしょ?」と相手が自分に嫉妬心を抱いていると決めつけて、心理的な安定を保とうと試みるのが投影です。
自分の嫉妬心と言う、醜くて、汚くて、できれば見たくないものをそのまま受け入れようとするのではなく、他人が嫉妬心を持っていると結びつけて、不快感から逃れようとしているのです。
防衛機制の投影をもとに、他人のミスに厳しい人を見ていくと、自分自身が何かしらのミスをしていることを自覚しつつも、そのミスを受け入れることに苦痛を抱いている。
そんな時に、他人がミスをしていると決めつけたり、あるいはどうでもいい些細なミスを無理やり見つけ、針小棒大に扱うことで自分の醜い部分(=ミスをしていること、あるいは完璧ではないこと)を相手に擦り付けているのです。
また、他人のミスを断罪している場面においては、周囲からも「まさか断罪している人が大きなミスを犯しているはずはずがない」とみられ、自分は潔白である、正しいことをやっている、ミスなんかしない完璧な人間である、とアピールすることが可能です。
ただし、行為者・観察者バイアスの所でも述べたように、仮に自分のミスがどうしても隠せなくなってしまった場合、ミスの原因を自分以外の何かにあると言い訳してしまい、顰蹙を買って呆れられてしまう結末になることも少なくありません。
他人に対して厳しい態度をとる以上は、自分にとって認めたくないものもしっかり受け入れると同時に、自分のミスについてはしっかり謝罪をして、反省の言葉や態度を示していくことが重要なのです。
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