女性の場合だと、自分の好みではない人やどうしても好きになれない人に対して「生理的に無理」と言って距離を置こうとすることがよくあります。
生理的に無理と言う言葉は、実に自分の気持ちや感情をストレートに表現した言葉で、言う方も言われる方もどちらも辛いものです。
一般的には生理的に無理という言葉は理屈ではなく感情的なものであり、それ以上踏み込んで説明することは難しいですが、心理学者ユングが唱えた理論を用いると「生理的に無理」という言葉の正体を理解することができます。
もちろん、女性だけでなく男性でも「生理的に無理」と感じたり、思ったりすることはあります。
しかし、男性・女性関係なく、
- なぜ生理的に無理なのか?
- どうしても生理的に無理だと感じのるか?
と、生理的に無理な理由に一歩踏み込んで正体を探った人は少ないように感じます。
「生理的に無理」と理屈よりも前に感情や本能が強く拒絶していることに対して、自分からその正体を調べに行くのは勇気のいるものですし、やはり苦痛やしんどさを感じて途中で嫌になりなり投げ出したくなるものであります。
今回はそんな生理的に無理という言葉の心理に付いてお話しいたします。
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目次
「生理的に無理」とユング心理学
心理学者のユングは、心理学において「ペルソナ」と「シャドウ」という概念を提唱したことで有名です。
ペルソナ(仮面)
ペルソナは英語で「仮面」という意味を持つ単語であり、ユングはペルソナのことを普段私たちが人前で見せている自分の姿のことを指す言葉として提唱しました。
わかりやすい言葉でいうのなら、人前で見せる自分のキャラや性格(真面目、おしゃべり好き、お調子者)、仕事上の役割などがユングの言うペルソナに当たります。
私たち人間は社会生活を送る上でなにかしらのペルソナ、つまり仮面を被って生きています。
学校で先生と呼ばれる人は、普段から先生らしいと思われるような言動を心がけることが求められますし、また先生を慕う人たちも自分が求める先生のイメージを先生に期待します。
時々仮面をかぶったり、キャラを演じる事に対して否定的な意見が出ることもありますが、いきなり学校の先生が先生の役割を捨てて自分勝手に生きようとすれば生徒や関係者に迷惑をかけてしまうように、仮面をかぶることは社会生活を円滑に進めるためには必要なことなのです。
シャドウ(影)
一方シャドウは英語で「影」という意味を持つ単語で、ユングは自分の心の底に隠している負の部分を指す言葉として提唱しました。
わかりやすい言葉でいうのなら、人前で見せられない自分の性格や本性、ペルソナが表の顔ならシャドウは裏の顔というように、ペルソナとは真逆の人前には出すことができない自分の性格、キャラ、感情、本音などがシャドウに当たります。
シャドウは普段から意識されることは少なく、また意識しょうとすると不快感やストレスを伴うので、無意識のうちに抑圧して向き合わないようにして生活を送ろうとします。
しかし、シャドウは自分自身の内面に向き合わなくとも、自分が抱いている負の部分を持つ他人の行動を見て刺激されることがあります。
ちなみにですが、ペルソナとシャドウはアトラスから出ているゲーム作品「ペルソナシリーズ」でも、ほぼそのままの意味で登場している言葉でもあります。
ゲーム作品としてのペルソナを知っている人だと、ユングが提唱したペルソナ、シャドウの概念について理解しやすいと思います。
生理的に無理な相手に感じる不快感は自分のシャドウ(影)
ユングが提唱したペルソナ、シャドウをもとに「生理的に無理」と感じる人の心理を紐解いていくと、感情や本能で不快に感じていたものが、実は自分自身のシャドウ(影)を感じるために強い不快感を感じているのだと見ることができます。
これに関していくつかの「生理的に無理」という状況の例を用いて、説明していきます
例1 清潔感が無いから生理的に無理と感じるケース
見た目が不潔、服装が汚い、顔が脂ぎっている、髪が整えられていない、歯が黄色い…などの、清潔感の無さに関して生理的に無理だと感じる人は多くいます。
女性のように身だしなみを気をつけることや、化粧をして自分を美しく見せる場面を社会生活において求められる人だと、「自分は綺麗な見た目になるために頑張っているのに、なんでこの人はこんなに清潔感がないのだろうか」と怒りや嫌悪感を覚えるものです。
しかし、綺麗な見た目をする(つまりペルソナ(仮面)をかぶる)一方で、心の奥底では、
- 身なりを気にしなくてもいい立場の人が羨ましい
- できれば私だって、だらしない格好でいたい
- 人目を気にせず、素顔のままで受け入れられたい
などの、人には言えない裏の気持ちや願望…つまりシャドウ(影)を抱いており、目の前に清潔感のない人が現れることで自分のシャドウをその人に感じてしまい、強い不快感を覚えるのです。
もちろん、ここまで理論だって嫌悪感を感じる事は稀で、「なんとなくこの人は嫌だ」「なんかこの人とは無理」というような漠然としたものになることが多いです。
例2 オドオドした態度が目立つから生理的に無理と感じるケース
人と目を見て話せない、なんだか頼りなさそう、オドオドしていて自信の無さが目立つ、などの…などの行動にも「生理的に無理」と感じる人は多くいます。
これも、上の例1と同様に考えると、表向きは自信家なキャラや優しい人のペルソナ(仮面)を被っているいるのですが、その裏では
- 実は自分は自信が無いから去勢を張って自信家な人のように見せているのに…
- 自信がなかった自分を克服したのに、なんでこの人はそれを克服しようとしないのか腹が立って仕方が無い。
などの、人には言えない暗い気持ち(シャドウ)を抱いてるために、オドオドした人に対して嫌悪感を覚えるのです。
例3 品の無い言動が目立つから生理的に無理と感じるケース
下ネタ・下世話・下衆なネタをよく話す、露出が多い、お金やギャンブルの話題をよく口にする…などの行動にも「生理的に無理」と感じる人は多くいます。
これも、上の例1、2同様に考えると表向きは上品なキャラや下品さを感じさせない教養や基本といったペルソナ(仮面)を被っているいるのですが、その裏では
- 本当は自分も下世話な話興味が合って、本当の自分をさらけ出して話をしたい。
- 社会の目があるから話題に入れないけど、実は下品な話題に対して並々ならぬ興味がある。
- できることなら、自分の体を見せつけることで私も注目を浴びたい。
などの、人には言いにくい気持ち(シャドウ)を抱いてるために、下品な人に対して嫌悪感を覚えるのです。
下品な話題とだけ合って、ふだんから話すことをタブーにした教育を受けてきたり、そういった邪な感情を抱くことそのもの禁止されている環境にいる人ほど、ふとした時に目にする下品な人の言動に対して強い不快感を抱くものです。
もちろん、上品さを捨ててバカになればいいとアドバイスするわけではありません。
しかし「上品であるべき」と「でも下品な話題への興味が抑えられない」という葛藤に苦しみ続けて苦しい思いをすることがよくあり、適度に仮面を外してもいいと思える状況や自分の素を晒しても安全だと思える人間関係を築くことが大事です。
生理的に無理な人には、なにかしらの自分との共通点がある
ペルソナ・シャドウの概念を用いて「生理的に無理」という言葉を解説してきましたが、自分のシャドウを感じる相手には、どこかしら自分との共通点があると言っても過言ではありません。
自分の見たくない内面を刺激されないような無害な人であれば、普通に交流するだけなら少なくとも「生理的に無理」という感情を抱く事はないはずです。
こうして見ると、生理的に無理と多かれ少なかれ感じてしまう人に対しては、一種の同族嫌悪のような、共通点や少し似ているからこそ感じる居心地の悪さのようなものも感じるのだと思います。
ただの「生理的に嫌い」という何気ない言葉でも、その言葉の裏には自分が見たくない自分の裏の姿を見つけて、自分自身が感じるモヤモヤや苦しさを改善するきっかけとして有効に活用していくことも、道のりは辛いと思いますが、また大事なことだと思います。
「生理的に無理」を連発する人は本当の自分が嫌いという見方も
なんでもかんでも生理的に無理を連発する人は、それだけ自分の中で向き合いたくないシャドウが多い人、つまり本当の自分を受け入れられず好きになれない人だと見ることもできます。
好き嫌いが激しかったり、普段から自分を抑圧してペルソナをかぶるようなストレスの多い生活を続けている人ほど、無意識のうちにどす黒い感情・愚痴・不満など人には言えない自分のシャドウを抱えて自己嫌悪に苦しむことが多く見られます。
とくに、最近はリアルの人間関係だけでなく、SNSなどのネット上の人間関係でも、自分の評判や周囲の反応を気にして自分の言いたいことが自由に言えないことで悩む人も多く、シャドウをより濃くしてしまうのもある意味仕方のないことのように感じます。
なお、リアルでもネット上でもペルソナを被り続けたことによって、本当の自分が分からない、自分ってどんな感情だったけと自分を見失い精神的に不安定になりやすいことも問題になっています。
適度に自分のシャドウに向き合ったり、ペルソナを外して我慢せず素の自分を出せる場面を作る持つことは、自分自信を少しでも受け入れてメンタルを整える意味でも大切だと感じます。