仕事や部活などでは「自分に厳しく、他人に優しい」振る舞いをすることで、周囲から尊敬されたり、まさにリーダーシップが取れるにふさわしい人だと周囲から高い評価を受けることでしょう。
…が、しかし、やはり理想は理想にすぎず「自分に厳しく、他人に優しい」を自分のポリシーにしている人でも、何度か顔を合わせるうちに、やっぱり「自分には甘く、他人には厳しい」という、言ってることとやってることが逆になっている人はよく見かけます。
例えば、経費削減・節約が大事だと部下に言いながらも、自分は電気をつけっぱなしで消さない、会社の備品を無駄使いする、電気代対策でエアコンの温度を一定にしているのに勝手に自分で変更。そのことを指摘すると屁理屈を言って誤魔化しだだをこねるてゴネる…と、なんともみっともなく、見ているこっちが呆れてくる有様ですね。
「自分に厳しく他人に優しい」人だと自負する人ほど、どうしても口先ばかりであったり、あくまでも自分を素晴らしい人間だとアピールするための説得力の伴わない面がよく目立つものです。
今回はそんな「他人に厳しく自分に甘い」ことに関する心理や知識についてお話しいたします。
関連記事
他人に厳しく自分に甘くなってしまう心理
いくら「自分に厳しく、人に優しく」を貫こうとしても、人間はつい自分を甘やかししまうだけでなく、他人に対して厳しい行動を取ってしまうことは心理学でも説明されています。
「行為者・観察者バイアス」
心理学では「行為者・観察者バイアス」という言葉があり、同じ行動や結果でも他人の場合は原因を他人の性格や能力にあると考え、自分の場合は状況や運などの自分以外のものに原因があると考えてしまうのです。
例えば、株で大損をするというケースで説明していきます。
他人が株で大損したときは
- 「株で大損するなんて馬鹿なやつだなぁ…」
- 「大損したのはその人にセンスがなかっただけ」
- 「楽して儲けようなんて考えるから大損をするんだ」
と、大損した原因はその人の性格や考え方、能力に原因があると考えてしまうのです。
しかし、自分が株で大損をしたときは
- 「この大損はたまたま運や流れが悪かっただけに過ぎない」
- 「アナリストの意見に影響されただけで自分に落ち度はないに違いない」
- 「私に株で大儲けできるますよって勧めたてきた人たちが悪い!」
と、大損した原因を運や状況、自分以外の誰かにあると考えてしまうのです。
株に限らずテストの場合でも、誰かが悪い点数だったのを見て「ちゃんと勉強をしていないからだ」とシビアな目で見る一方で、自分の点数が悪かった場合は「今回はただ問題が悪かっただけ」と甘い採点をつけてしまうことも、行為者・観察者バイアスゆえの行動と言えます。
自分に甘いのはバイアス(考え方の偏り)が影響している
バイアスとは「偏り」の意味であり、自分に起きたことは自分以外の誰かに責任をかぶせ、他人に起きたことは当人に責任がある偏ったみてしまう。
他人に厳しく自分に甘くなってしまうのは「行為者・観察者バイアス」によるいたって自然な人間の心の動き方なのです。
しかし、このバイアスが強くなりすぎると、周囲に対して自分勝手な人だと思われて孤立したり、仕事で必要以上に周囲にストレスを振りまいて人間関係のトラブルを引き起こす原因となってしまいます。
他人に厳しく自分に甘い人に見られる特徴・行動
他人の失敗に対して厳しく追求する
行為者・観察者バイアスが強いと、他人の失敗はその人自信に失敗した原因があると捉えてしまいがちです。
そのため、些細な失敗やミスが起きても、そのミスが起きた背景を聞いたり、どうしてミスが起きたのかを聞かずに「お前が悪い」「お前に責任がある」と、厳しく追求することがあります。
また、ミスの原因が本人のものではないと説明しても、理屈をつけて相手に責任があると決めつけてくることがあります。
例えば、仕事で遅刻をした場合、遅刻の原因が不運にもトラブルに巻き込まれてしまったことで、本人には全く非がないと説明しても「トラブルに巻き込まれるお前にも原因があるのでは」と、ミスに巻き込まれた被害者にも原因があると決めつけて怒ってしまうのも、バイアスによるものです。
遅刻に限らず「いじめられる方にも原因がある」「痴漢をされる方にも原因がある」と、被害者に責任があると追求するのも同様です。
なお、「いじめられる方にも原因がある」と考えるのは心理学で「公正世界仮説」という理論が影響しています。
公正世界仮説については、以前書いた「公正世界仮説「努力は報われる」「被害者にも原因がある」と考えてしまう心理的な理由」で説明していますので、興味があればご覧下さい。
他人の気持ちや状況を想像するのが苦手
他人に厳しく自分に甘い人は、他人の気持ちや状況を想像するのが苦手で、いつも自分の目線や立場で行動をする傾向があります。
先ほどの遅刻の例にしても、遅刻してきた事を叱る前に、「どうして遅刻をしてきたのだろうか…」「何か事故に巻き込まれたのでは?」と相手が何かに巻き込まれた可能性を考えることができていれば、必要以上に相手を責めずに穏便に済んでいたかもしれません。
行為者・観察者バイアスが働いてしまうのは自然なことではありますが、バイアスが強すぎるといつも自分の目線や立場で行動して相手を追い詰め、自分は棚に上げて…という行動が目立つので、次第に信用を失ったり、自分の周りにイエスマンしか残らないという状況に陥ってまうこともあります。
自己中心的で尊敬されたいという気持ちが強い
他人に厳しくしてしまう人は、自分は他人に厳しくできるほど優れている、能力があるということを周囲に示すという特徴があります。
誰かに厳しくするという行動は、例えば上司から部下へ、親から子供へ、先輩から後輩へという明確な上下関係のある人間関係でよく見られる行動であり、「相手に厳しくできること=自分の方が立場が上である」と周囲にアピールすることになります。
また、周囲に厳しくする背景には、自己中心的で他人の立場や状況を想像できないこと以外にも、周囲から尊敬されたい、素晴らしい人間だと思われたい、認められたい、という承認欲求の強さが影響していることもあります。
都合の悪い指摘は聞こうとしない
自分がミスをしてしまった時に指摘をされても、「ただ運や条件が悪かっただけに過ぎない」と、自分の非を認めず反省をしないという特徴があります。
仕事のミスなら「自分じゃなくて上司の説明の仕方が悪い」と開き直ってしまい、あくまでも自分は悪くない、自分には責任がないという姿勢を頑なに貫こうとします。
また、表面的には反省している素振りを見せても、内心は反省しておらず「どうして自分が謝らなくてはいけないのか」と逆恨みをしてしまうこともあり、穏やかな人間関係を営むことができなくなってしまうことがあります。
上司や先輩でこの傾向が見られると、自分のミスには甘く他人のミスにはうんと厳しいという、自分のことを棚に上げた接し方になるので、人間関係はギスギスと居心地の悪い空気になってしまいます。
しっかり反省しないので同じミスを繰り返す
しっかり反省をしないので、何度も同じミスを繰り返すこともよく見られる特徴です。
何度同じミスをしても根本的に「自分には責任はない」という考え方のために、叱られも進歩がなく、次第に呆れられてしまうことも少なくありません。
仕事の場合同じミスを繰り返していくうちに、居場所がなくなり孤立してしまうこともありますが、その時でも「孤立しているのは自分が悪いのではなく、職場の雰囲気に問題があるだけ」と責任転嫁してしまいます。
そのまま退職することもありますが、転職活動でも自分の性格や考え方の癖を直さず、自分に取って都合の良い条件を求めて職場を転々とすることがあります。
自分に甘くなるのは、過度にストレスを抱え込まないためという見方も
筆者が言うのもおかしな話ですが、この記事では、自分に甘くなるのは悪いことだという論調になっています。
しかし、見方を変えれば適度に自分を甘やかすことは、過度にストレスを溜め込まないための防衛機制だと見ることもできます。
例えば、自分にとことん厳しく、なんども自分のせい、自分に責任があるという考え方では、ストレスを抱え込みやすくメンタルを崩したり、うつ病を引き起こす原因になってしまいます。
また、なんでも自分に原因があるという考え方は、なんでも自分には原因がないという考え方同様に、自分の立場や視点でしか物事を見られない自分本位な考え方とも言えます。
なんでも自分に責任があると言っても、ひょっとしたらたまたま運や条件が悪かったという可能性や、誰かのミスの影響を受けてしまっており、全責任が自分にあるわけではない、という可能性にも目を向けることができれば、過度に落ち込むことを防ぐことができます。
失敗やミスが起きたときは、ただひたすら「自分が悪かった」と頭を下げることばかりが重要だと思われがちですが、ただ頭を下げるだけでは過度に落ち込んで憂鬱な気分が残るだけでなく、ただ辛い思いをしたという嫌な記憶だけが残って、どうしたらそのミスを繰り返さないかということまで考えが至らず、また同じミスを繰り返して嫌な思いを重ねてしまいます。
もちろん、何か失敗をしてしまった時に、素直に謝ることは社会生活を営む上では大切ですが、ただ謝るだけでなく、失敗が起きた原因や背景を冷静に調べ、どうすればミス繰り返さないか対策を立てることが重要です。
自分に甘くしすぎて自分を棚にあげない。
かと言って厳しくしすぎて憂鬱な気分にしない。
厳しさと甘さのバランスを適度に持つようにすることは、自分だけでなく人間関係を円滑にするのには、覚えておきたいコツのひとつです。
関連記事