自分で自分のことを肯定して自信が持てること。つまり、自己肯定感が高いことは一般的に良いことだとされています。
書店に行けば自己肯定感を上げることについて書かれた本が多く並べられており、自己肯定感を上げることが一種の社会現象になっているように感じます。
そんな流れを受けてか、中には自己肯定感が高くなりすぎてしまい、なんとなく周囲の人と上手く関わることができずに問題を抱えていたり、傍から見てどこか現実離れした思考を持っており「頭の中がお花畑なのでは?」と、他人から思われてしまう人が出ているように感じます。
今回は、そんな自己肯定感が高すぎる女性の特徴について、お話いたします。
※なお、タイトルでは「女性」となっていますが、この記事で触れる特徴は男性でも見られるものもありますので、参考にしてください。
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自己肯定感が高すぎる女性に多いこと
自己肯定感が高すぎる人を見ていくにあたって、着目しておきたいことは、妥当な自己肯定感ではなく、現実離れしている不安定な自己評価を持っているという点です。
自己肯定感が低すぎてビクビクしたり、妙に消極的になっている人同様に、自己肯定感が高すぎる人も自分に向けられる言葉に過剰反応したり、自分を特別扱いすることばかりを求めてしまう。
つまり、不安定な自己肯定感で自分も他人も振り回してしまっている点は両者とも同じです、そのことを踏まえたうえで、以下で触れる特徴を詳しく説明していきます。
自分をちやほやしてくれるためだけのグループを形成する
自己肯定感の強い女性は、自分を中心として、自分のことを褒めたり認めて承認欲求を満たすための人間関係を作ることがあります。
自分の言うこと成すことを全て「すごいですね」「尊敬します」「立派です」と肯定してくれるような人(取り巻きと行ったほうがふさわしいが…)を集めたがります。
これは、高すぎる自己肯定感に対してツッコミを入れるような人から距離を置くと同時に、高すぎる自己肯定感を支えてくれる人に、精神的に依存しているとも言えます。(加えて、ツッコミ不在なので恐ろしさも増す。)
上でも触れたように、妥当な自己評価ではなく、高すぎて非常に不安定な自己評価である。その不安定な自己評価を支えてくれる相手…つまり、自分がやること成すこと全肯定してくれる優しいもとい妄信的な人を集めてグループを組む傾向があります。
しかし、そのグループは誰にとっても決して心地良いものとは限らず「肯定的な意見以外は言うべきではない」という、優しくも苦しい同調圧力が強く、たいへん窮屈なグループでもあります。
他人の話に耳を傾けようとしない
上の項目からの続きですが、自分をちやほやしてくれる人を求めると同時に「ちょっと調子に乗りすぎじゃないの?」など、自己肯定感が高すぎる自分に対して手厳しい意見を口にする人を排除したり、そもそも聞く耳すら持とうとしない。
不安定な自己肯定感を他人(依存先)の存在を利用して安定させたいと感じている当の本人からすれば、たとえ善意、親切、心配からであっても自分に意見を向けてくる人は、自分の自己肯定感の高さを根底から揺るがす驚異と感じてしまうため、アドバイスや質問の声ですらも聞き入れようとせず、強く拒む傾向があります。
「傍目には自信満々に見え、多少手厳しい意見を言われても、しっかり受け入れるだけの肝があるように見えるのに、全肯定の意見以外は全く聞こうとしないのはなぜだろう?」という類の疑問をぼんやりと思い浮かべてしまう。自己肯定感の高さと行動が釣り合っていない点が特徴的です。
…なお、余談ですが、こうした行動は自己肯定感の高さというよりは、プライドばかりが高すぎて、他人の些細な言動で傷ついてしまう繊細なプライドを持っている人であると、表現したほうがふさわしいかもしれません。(自己肯定感もプライド(=自尊心)も、日常生活においてはよく一緒に使われる言葉ですし)
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無責任な応援で他人をその気にさせたがる
自己肯定感の高すぎる女性はポジティブ思考が強く、傍から見れば元気を分け与えてくれる、まるで太陽のようなありがたい存在かもしれません。
しかし、一方では確かに応援しているものの、ただ応援ばかりするだけでその人の視点に立ったサポートはしない。応援の内容が漠然としており、(ひょっとしたら)応援している人のことをあまりよく見ていないことが透けてみえてしまう。
どことなく失礼で無責任な応援になってしまう…というか、応援と表現するよりは「他人を優しく煽る」と言った方がふさわしいでしょう。
たとえば、大学受験のために勉強している人に対して、その人の学力にふさわしい志望校に浮かれるように応援するのではなく、身の丈にあっていない難易度が明らかに高い学校に向けて頑張りなさい…と、応援する相手の現状を無視して、ありがたいけど重くも感じる、微妙にズレた応援をしてくることが目立ちます。
他人を応援してその気にさせるにしても、応援する相手に無謀な挑戦をするように仕向けてしまう。この点が、無責任な応援だと感じる所以です。
どんな時でも自分を肯定して、自分には不可能なことはないと考えてしまう癖が、他人を応援する時にも反映されていると感じます。
女性からも男性からも特別扱いされるべきだと感じている
男性から見ればレディーファーストのような高待遇を受けるに値する女性として。女性から見れば、女性から頼られるような女性として、自分は周囲から好かれて気に入られる存在であるという姿勢で、他人と関わりを持つことがあります。
自己肯定感が高すぎるために、まさか自分が普通の待遇しか受けるような平凡な人間であるという現実を認められない。いつもで自分は肯定され、認められ、周囲から愛されて、高待遇を受けるべきだ…という考えを持っている自分を客観的に見れない。
もしも、客観的に見ようものなら、自分の考えを自分で否定するという、高すぎる自己肯定感を揺るがす状況になるからこそ、あくまでも自分は特別扱いされてしかるべきという考えを持ち続けて、周囲と衝突を起こしてしまうのです。
頭の中がお花畑のような人に見えてしまう
そもそも現実を正しく認識できていれば、高すぎることもなく、低すぎることもない妥当な自己肯定感を身につけられるものでしょう。
しかし、自己肯定感の高すぎる女性は、現実を正しく認識できず、自分のことを過剰に評価&肯定してしまう。現実を正しく見れていないので、どことなく「この人は頭の中がお花畑ではないか?」と感じてしまう要素を持っている人でもあります。
スピリチュアルビジネスや自己啓発・自分磨きセミナーなど、いかにも胡散臭い物にハマる人を見ていて感じる違和感と同じものを感じさせる。そのほかにも、心理学用語の「ダニング=クルーガー効果」を思い起こさせる人でもあります。
能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス。
(wikipedia ダニング=クルーガー効果より)
自分に責任や落ち度があることが想像できず、他人に罪をなすりつける
不安定な自己肯定感が崩れることを避けるために、自分が招いた責任や失敗を自覚しようとしない。そして、無意識のうちにそれらを他人に擦り付けて事なきを得ようとすることがあります。
また、罪をなすりつけるときに、自分が女であることを武器にする狡猾さをあわせ持っていることもあります。自分に非があることについて追求されているのにもかかわらず、「かよわい女性に攻撃的になる加害者に困ってます」と、被害者ぶって話をすり替えようとする。
そうすることで「自分は間違っていない」という姿勢を貫けると同時に、高すぎる自己肯定感を修正しなくても済ますことが可能になります。
…もちろん、自分も他人も振り回す方法で、自己肯定感の危機を乗り越えようとするため、関わる方になれば非常にめんどくさく、まともに取り合うのがアホらしく感じるものです。
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