自己啓発と言えば、自分の内面を変えたり、弱い自分を変えるために何かトレーニングを行うことでだる…と純粋に感じている人もおられるかと思います。
しかし、中には怪しさや胡散臭さがどうにも拭えないものがあるものです。
今回は、そんな自己啓発に感じる胡散臭さについてお話いたします。
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自己啓発の胡散臭さの正体
難解な言葉を多用し話の内容がさっぱり見えてこない
自己啓発セミナーやSNSやブログ上で自己啓発的な投稿をしているの中には、まるで意識他界…もとい意識高い系が使いそうな、意味がよくわからない横文字を多様します。
- インプット・アウトプット (これはまだわかりやすい)
- コンテンツ (情報のなかみ、主にブログなどの投稿物、記事・作品の内容を表す言葉として使われているらしい)
- マインドセット (思考様式、心理状態を指す言葉とのこと)
- レバレッジを効かせる (「テコの原理」のように、小さな力で大きなものを動かすという意味。為替(FX)や仮想通貨をしている人なら金融用語として知っている場合もある。)
など、解説がなければ何のこっちゃさっぱりわからないことを堂々と使い、聴く人を混乱させてしまうことがあります。
なお、こうした横文字の他にも「評価経済」「信用経済」「信用貯金」など、自己啓発に詳しい人しか知らないような業界用語を話したがるのも特徴的です。(逆に、この言葉を使う人が出てきたら「あっ…(察し)」となり、胡散臭い人かどうかを見抜く指標となる。)
しかし、自己啓発業界に詳しくない人に対しても、上で述べたような難解語を使用し続けて、いらぬ不安を抱かせていることが、胡散臭さにつながるのです。
論理的に見せかけてただの精神論、根性論になっている
自己啓発と言えば、どこか理性的で理屈や理論で自分を変えていくかと思えば、内実は
- 「気合や覚悟が大事!」
- 「君ならできる!」
- 「あなたは頑張ればできる!」
など、感情に訴えかけるような精神論、根性論ばかり…ということがあります。
こうした努力・友情・勝利がテーマの某少年漫画雑誌のような言葉を口にする集団は、普段から人との感情的なつながりに求めている人からすれば、たいへん魅力的に見え、一目惚れ、あるいは一目依存するかのように没入します。
同じ志を持っている仲間といる時間に強い満足感を覚える。大声で「俺はやれるぞ!」「私はできる!」と宣誓して、妙な高揚感を味わう気持ちよさがクセになり、自己啓発にのめり込んでいきます。
ただし、そもそも精神論、根性論というツッコミどころが多いものに対してのめり込みつつも、周囲がそのことに対してツッコミを入れない…つまりツッコミ不在で妙な空気が流れていることが、胡散臭さにつながるのです。
「変われる」「成長」「成功」など、ぼんやりとした言葉の多さ
- 「人生を変える」 (…変えるって何を?)
- 「自分を大きく成長させる」 (…何をどう成長させたいの?)
- 「このセミナーを通して成功する」 (…どういう状態になったら「成功」って言うの?)
など、たいそう凄そうなことをおっしゃってるように見えますが、よく話を聞いていくと非常に漠然としていて、内容らしい内容が無いよう状態です。
まるでポエムのように、つかみどころがなく、どうとでも解釈できて言い訳ができてしまうところが、胡散臭さに繋がるのです。
精神論・根性論にも通じますが、なんか凄そうなことを言ってるように見えて、具体性が丸でなく話のリアリティが感じられず嘘くさい。
仮にそのことについて深く聞こう物なら『本質』という、これまたどうとでも解釈できる言葉を使ってごまかそうとする不誠実な態度が、胡散臭いという気持ちを強めるのです。
思想が極端になっている、先鋭化しているところ
- 「結果を出せなければゴミ、結果を出せば神」
- 「退路を絶って、睡眠時間も削って死ぬほど努力しろ」
- 「土下座でもなんでもして成功を掴み取れ」
など、やたら乱暴で極端な言説が目立つと同時に、それを持て囃す人の存在が目立ちます。
全くの部外者から見れば、その光景の異様さに「この人たちと関わってはいけない(確信)」と感じてしまうほど、極端な考えとそれを素晴しいものとして盲信する人の行動が、胡散臭いと感じる気持ちにつながるのです。
なお、最近ではこうしたスパルタ式の自己啓発ビジネスの対に当たるものとして
- 「嫌なことをせず好きなことだけやればいい」
- 「不労所得で金銭的、精神的な自由を手に入れよう」
- 「人間関係の『本質』を見極めれば、悩みは簡単に解決してうまくいく」(どうでもいいが、個人的に『本質』というセリフを多用する人は、あまり信用する気にはなれない…)
など、やさしくゆるい方向に極端なイメージを持った自己啓発ビジネスの存在が目立ちます。さしずめ、スパルタ式を「詰め込み教育」とすれば、やさしくゆるいものは「ゆとり教育」と表現するのがふさわしかもしれません。
いずれにせよ、どちらも両極端なものであり中庸さを欠如している。また、ゆとり教育式の自己啓発のブームがすぎれば、また今度は詰め込み教育式の自己啓発が流行する…と、同じところを行ったり来たりして、うまいこと金と時間を搾り取られる人が出てくるのではないかと器具しています。
なお、こうした両極端に物事を捉えることは認知の歪みの「全か無かで見る(オールオアナッシング)」と、考えることも可能です。
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自己啓発に興味がない人に排他的な態度を取る
自己啓発をしていない人を軽蔑する、見下す、小馬鹿にする、そして自己啓発に時間を費やしている自分は成功する見込みが高いだとか、優秀で賢いだとかと、自分を持ち上げるまでがセットです。
またブログやyoutubeを拠点とし自己啓発を行っている人の場合「○○はオワコン、これからは△△の時代」と、炎上を狙ってあえて挑発的な投稿を繰り返して注目を集めようとする底の浅さが「関わってはいけない胡散臭い人」と認識されてるように感じます。
信者ビジネス、情弱ビジネスとの相性の良さ
自己啓発ビジネスの世界は、信者ビジネス、情弱ビジネスとの相性が良さが目立ちます。
信者・情弱ビジネスの過程で自己啓発本(「金持ち父さん(以下略)」「嫌われる勇気」「革命のファ(以下略)」など)を一種の教典のように教え込ませたり、ビジネスを展開している人自らがが自己啓発本を出版し、ファン(ただし、信者か養分といったほうがふさわしい)に買わせるという構図があります。
また普通に書店で買うだけでなく、例えばセミナーで、サイン付きの本と著者とのツーショット写真撮影の権利をつけて売ると言う、まるでアイドルのような販売を仕方をして、更に信者をのめり込ませていきます。
もちろん、ここだけを見れば割と健全なビジネスに見えますが、情報弱者や信者になる素質を持つ人(情弱・カモ)が多くが集まっているため、同じく信者ビジネスをしたい同業者に営業をかけて、コラボと称して自分の傘下に加わるように命じたり、共同で自己啓発のためのオンラインサロンを立ち上げて、信者からの集金体制を強化していきます。
「儲」という漢字が「信」「者」からできているように、信者ビジネスを行う側からすれば、彼らは一読者ではなく、儲けを生む信者という認識です。中身の薄い本であろうと、よくわかんないサロンであろうと、価値が疑わしいものを疑うことなくホイホイ買ってくれるいいカモです。
このように、自己啓発という商品を使って、他人を食物にする事で金を稼いでいる人達の光景が、胡散臭さを通り越して、吐き気を覚える邪悪を感じることも…あるかもしれません。
胡散臭い自己啓発が蔓延る裏にあるもの
自己啓発に関連するビジネス(本、セミナー、オンラインサロンなど)も、拡大を見せている一方で、その内容を見ていくとなんだか情報弱者を騙すような仕組みになっていたり、信者ビジネスのように熱狂的すぎて怖さを感じる、カルト宗教じみた世界を感じさせることがあります。
もちろん、ここまで自己啓発ビジネスが拡大していることは、それだけ
- 「人生を変えたい」
- 「自分を大きく成長させる」
- 「成功者になりたい」
と、強い希望を抱く人が増えていることとも考えられ、社会的に見たら自堕落な生活を送ることよりもいいかもしれません。しかし、その強い希望の根源は、実は将来不安や社会不安が原因と考えることもできます。
不安を打ち消すためにも、どんな場面でも利用できる「人生の正解」だとか「ビジネスの本質」などを探しを自己啓発本やセミナーで探しまくる。不安で不安でしょうがないからこそ、わかりやすい「これだ」と思える正解探しに夢中になる。
そんな不安に駆られて衝動的に動いてしまう心理を巧みに利用して、悩みを抱えている人から金を搾り取るような姿勢を、各種自己啓発ビジネスから感じる次第です。
(ただし、正解と呼べるものがちゃんと提供できているかどうかはなんとも言えず、これもまた顧客が求める商品を提供せず金儲けをしているとして、胡散臭さにつながるのです。)
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