新入社員研修や部活動の指導などで、いつもは厳しい言葉を投げかけて指導するけど、時々褒めたり努力を評価する言葉がけをする教育法は「飴と鞭」の代表例です。
飴と鞭といえば、誰かを教育・指導する方法としては基本的なものであり、どんな人でも効果が出る教え方だ…なんて風潮で語られることもあります。
いいことをすれば褒める、悪いことをすれば叱るというシンプルさゆえに、子供の教育から大人の教育まで応用され、まさに王道的な教育方法とも言えるでしょう。
しかし、飴と鞭は使い方を間違えると精神的に依存させたり、マインドコントロールにつながることもあります。
今回は、そんな飴と鞭に関する心理学についてお話いたします。
飴と鞭の仕組み
飴と鞭は人の意欲(モチベーション)を掻き立て、その気にさせるための基本的な法則とも言えます。
その法則について詳しく説明していきます。
「報酬」と「罰」を組み合わせる
飴と鞭の基本は「報酬」と「罰」を組み合わせることです。
報酬は指導する相手にとって快感を与えるもの、罰は相手にとって不快感を与えるものになります。
例えば体育会系の部活動の場合なら
- 飴(報酬):努力を認める、励まし・感謝の言葉、チーム内で表彰する、レギュラーに抜擢する…など
- 鞭(罰):努力を認めない、厳しい叱責、ペナルティを与える、連帯責任、降格…など
が、報酬と罰の主な内容です。
なお、報酬という言葉だけに、実際に金銭や物品を報酬(この場合は「ご褒美」と言ったほうが最適)として与えることもあります。
しかし、実際の部活動では誰かに対して金品を与えたり奢ったり優遇すれば、他の部員がえこ贔屓だと感じて意欲を失ったり、物品の受け渡しそのものが問題視されることがあるのであまり現実的ではありません。
そのため、褒める、認めるといったコミュ二ケーションであったり、チーム内での立場の変化といった精神的なものが報酬および罰として与えられます。
「条件付け」により行動をコントロールする
報酬と罰により、人の意欲をコントロールすることは行動心理学では「条件付け」と呼ばれています。
実際に指導する時は、相手が自分の意図している事をしたり良い事をすれば報酬を与える。逆に、自分の意図しないことや悪い事をすれば罰を与える、という使い分けをしながら指導していきます。
こうすることで、指導されている人は
- 「何をすれば報酬が受け取れるのか」
- 「何をしたらば罰を受けるのか」
という事を学習し、指導者の意図を汲み取って行動をするようになります。
また、条件付けは人間の他にも、言葉が通じない動物を調教するときにも使われます。
例えば犬にトイレの場所を教えるときに、失敗したら叱る、成功したら褒めたりご褒美を与えて、トイレをどこですれば怒られずに済むか、あるいはご褒美がもらえるのかということを学習していきます。
飴の与え方は初めは必ず、次第にときどき与える
いいことをしたら飴(報酬)を与えますが、その与え方にもコツがあります。
より指導の効果を高めたければ、
- 連続強化:いいことをすれば必ず報酬を与える方法
- 間欠強化:いいことをしても報酬を与えたり、与えなかったりする方法
の2種類を駆使していきます。
連続強化は、いいことをすれば必ず報酬がもらえうので最初のうちは効果的ですが、次第に「報酬がもらえるのが当たり前」だと感じてマンネリ化を招く原因になります。
それを防ぐのが間欠強化であり、ある程度モチベーションが上がってきたら、報酬を与えるときと与えないときとを組み合わせて、マンネリ化を防ぐのです。
より飴と鞭の効率を上げたければ、最初のうちはいいことをしたらその度に必ず褒めて報酬を与える。そして、お互いに信頼関係が構築され出したら、報酬を与える頻度を調整して時々与えるようにして相手のモチベーションをうまく調整するのです。
ちなみに、普通に仕事をすれば手に入る報酬にさほど有り難みを感じない一方で、たまにもらえる臨時収入やギャンブルによる収入の方がありがたく感じるのは、前者が連続強化、後者が間欠強化ということが影響していると考えることもできます。
鞭の代わりに「無視」を利用することでより強固にする
飴と鞭とはいえ、鞭ばかりを受け続けたら体も心も痛み、無気力感を生む原因になります。
動物(マウス)を使った飴と鞭を調べる実験でも、罰となる電気ショックを与え続けるとその場にうずくまってしまったり、ストレス性の胃潰瘍で死んでしまうマウスが出てきて、罰を与えることが必ずしも効果があるわけではないと考えられるようになっています。
そこで鞭(罰)の代わりに登場したのが、無視することを取り入れることです。
いいことをすれば報酬を与える、逆に悪いことをすれば褒めも貶しもせず無視をすることで、お互いに余計なストレスを抱えずに済むだけでなく、「どうすれば褒められるか」という一点にだけ絞って相手に考えさせることができます。
なお、人によっては「飴でも鞭でもとりあえず構ってくれたらそれが報酬」と感じるケースもありますが、この場合も無視をすることで鞭の意味のなさを解消しつつ、より報酬を受け取れるように学習させることができます。
飴と鞭の指導方法が抱える問題点
罰のせいで無気力や学習性無力感を招くことがある
罰と報酬をセットにすると言っても、その罰の感じ方は人それぞれです。
ストレス耐性が低く、少し厳しい言葉を言われただけでひどく落ち込んでしまう人にとっては、罰を受ける頻度や罰の強度が高すぎると、無気力感になってしまい行動できなくなることがあります。
また、何度も罰を受け続けていく中で、次第に「自分は何をしても怒られるのだから、いっそ何もしない方がマシだ」という悟りを開いた心理になることもあります。
これは学習性無力感と呼ばれるもので、指導を受けても怒られた経験が繰り返されたことで「何をやっても無駄」ということを学んだ状態です。
飴と鞭で指導する人の中には、やたらと飴を与えることを渋ったり、いいプレーをしても勝って兜の緒を締めよと言わんばかりに、厳しい言葉を投げかけることを報酬だと考えている人もいます。
しかし、必ずしも「指導する側の報酬=指導を受け取る側の報酬」となるわけではないので、自分でも報酬を与えているつもりでも、相手からすれば「この人は何をやっても怒って報われない」と感じて、無気力を招いてしまうと言えるのです。
マインドコントロールに悪用されることがある
飴と鞭は指導者の思い通りに人をコントロールさせてしまうことから、洗脳やマインドコントロールとして使われることもあります。
例えば、ねずみ講やマルチ商法などの悪徳商法でよくあるのが「ノルマを強いて達成すればランクアップや金銭の報酬を与える、未達ならランクダウンやペナルティを行う」といった仕組みで勧誘を行っていることがあります。
しかし、ここで決められているノルマは決して誰もが頑張れば達成できる適正なもの…とは限りません。
(そもそもが胡散臭い悪徳商法だけに)ノルマの達成は容易ではなく、大抵は失敗して追い詰目られますが、追い詰める中でも時々優しさ(報酬)を見せて、完全に心が折れないように整えていきます。
また、ノルマを達成すれば得られる報酬も現金だけでなく、承認欲求を刺激するようなお金で変えないような多くの人からの賞賛であたり、組織内での権力といった金では手に入らないもの、まさに今その人が欲しいと思っている魅力的なものを用意しておくことで、俄然のめり込みやすくなります。
マルチ商法やねずみ講が、やたらお金や名声にギラギラしたものを報酬としてチラつかせて勧誘をするのは、まさに、金や名声に飢えていたり、それに関して不安がある人の心に入り込むための装飾(もとい虚飾)とも言えます。
指導者の思いのままに動かせる人間が作れてしまう
飴と鞭の指導は、いかにも胡散臭い集団のマインドコントロールとして利用されるだけでなく、ごく真面目に活動している部活動や企業といった集団にとって都合がいい人間を育成することもできます。
例えば、アメフトのようにコンタクトプレーで怪我をするリスクがあるスポーツにおいては、不用意に怪我をさせるようなラフプレーをすることは禁止されています。もちろんそんな行為事態、スポーツマンシップに反する由々しきプレーであり認められるものではありません。
しかし、勝利のためにラフプレーを行うことで報酬が、逆にラフプレーをしなければ罰が与えられる指導で教育すれば「ラフプレー=報酬」と学習した選手を育成することができてしまうのも飴と鞭の抱える問題とも言えます。
なお、マルチ商法にしろスポーツ指導にしろ、どちらも集団で行われることが大半のため、集団心理(群集心理)や傍観者効果も働きます。
集団全体でルール違反の行動をすることで責任が分散され罪悪感が薄れてしまう。またはルール違反となる行為をやってはいけないという当然のことが、集団になって冷静な判断ができなくなり、バレないようにやればいい、うまく誤魔化せばいいという冷静さを欠いた非合理的な思考をしてしまうことで、次第に不正行為に手を染めることに抵抗を感じなくなるのです。
また、指導者からの指示としてやったにせよ、精神的に追い詰められたことから自分の意思でやったにせよ、何かしらの後ろめたさや罪悪感を感じることがあります。
真面目な人ほど、指示を断れなかったことや、追い詰められてルール違反に手を染めたことを気に病み罪悪感を覚えるものです。
しかし、その罪悪感ですら指導者が利用して、更に飴と鞭を与える…例えば、後ろめたいことを後ろめたくないこと、指示を守ってルール違反に手を染めたことを、むしろ賞賛すべきことだと吹き込めば、「ルール違反=報酬」という思考がより強固になります。
飴と鞭は指導する側の倫理観・価値観が反映される
こうして見ると、飴と鞭の教育方法は指導する側の人・集団の思惑、倫理観、価値観を育成された人材に色濃く植え付ける教育方法とも言えます。
指導する側が倫理的にNGな所を責めることを良しとしていたり、グレーゾーンな所でも迷わず行動して利益を得られることを飴と鞭によって学習(≒洗脳)させてしまえば、それこそ反則行為を反則行為とも思わない、疑わない、気づこうとしない人材を生んでしまい、社会問題に発展しかねません。
もしも自分が指導する側に立つのであれば、自分の考えが暴走していないか、本当に自分の教え方に問題がないか…という自分で自分を客観視するメタ視点を持ち続けることが、大切だと感じる次第です。
参考書籍