勉強できない自分が嫌いだと感じる理由・心理について

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一般的に「勉強ができない自分が嫌い」という悩みを持つ人というと、成績があまりにも悪く、学力ランクで見て底辺クラスに属している自分に自己嫌悪している人をイメージするかもしれません。

しかし、勉強ができなくて嫌悪するのは、何も成績が悪い人に限った話ではなく、成績がよくて、人並み以上に勉強ができて、学力で見て中レベル~トップクラスに属している人でも持つ悩みです。

このように、成績の善し悪し関係なく、勉強ができない自分に自己嫌悪をしてしまうことは誰にでも起こりえるものだと言えます。

今回はその嫌悪感が一体どのようなもののか、具体的に何に嫌悪感を抱いているのかについてお話しいたします

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周囲の期待に応えられない自分の不甲斐なさが嫌い

自分の成績がよくなることを期待して応援してくれている、家族、先生、友達、先輩後輩の期待に添えず、不甲斐ない成績しか残せない自分に嫌気が指しているというケースです。

その性質上、この嫌悪感はある程度頭が良くて親から勉強に対する期待を受けるだけの学力を持っている人や、成績を良くするために塾や予備校などに通って真面目に勉強に取り組んでいる人に見られる嫌悪感です。

自分が期待に応えられているかどうかは、テストの点数や偏差値などの客観的な数字で白黒ハッキリするため、言い訳や言い逃れをする余地はありません。もしも、言い訳をしようものなら、それこそ周囲の期待を数字だけでなく行動面でも裏切ることになります。

特に、これが受験となれば、周囲からかけられる期待が大きくなる傾向にあり、ますます「周囲の期待に応える責任が自分にはある」と自分に対して強いプレッシャーをかけてしまう。そして、受験が失敗したときは自分のふがいなさに強いストレスを感じる原因にあります。(ただし、受験が成功すればその分喜びが大きくなるので、一長一短ある)

なお、周囲の期待に応えたいと言う気持ちは、勉強している本人の責任感の強さや他人を喜ばせたいと言う貢献意欲の強さの表れとも考えられます。

しかし、それらは強くなりすぎると、完璧主義に陥ってしまい自分で自分を苦しめる羽目になってしまうので注意が必要です。

普通ならできるはずのことができない自分の未熟さが嫌い

勉強に対するイメージが「普通ならできるもの」と言うものになっている人の場合、勉強ができない状態に陥いれば「自分は普通ではない」と嫌でも認識せざるを得ず、強い嫌悪感を抱いてしまいます。

特に「普通ならできるもの」と言うイメージは、勉強ができる人に囲まれている環境で育った人(進学校・進学クラスの人、両親から英才教育を受けていた人など)に多く見られます。

普段から当たり前のように勉強ができる人と接していれば、自分自身も「勉強はできて当然のもの、普通にできるものである」と言う考えが身につくのもいたって自然なことですし、そうした考え方を持てる事は、恵まれた環境で育っている証とも言えるでしょう。

しかし、こうした恵まれた環境で育っていることこそが、実は勉強に対する凝り固まって柔軟性に欠いたイメージを作り出してしまう。そして、そのイメージに合わない状況に自分が陥るると、強い苦痛を感じる原因になるのです。

実際に、格上の学力の学校に無事に合格したものの、クラス全体の学力が高いために、自分の学力ではクラスにおいて平均以下でしかないと言う現実を目の当たりにして、自己嫌悪に陥ってしまう人は少なくありません。(進学校で落ちこぼれる人にはこのタイプが目立つ)

勉強がものすごくできる人がたくさん集まる環境において、それなりに勉強ができる事は普通未満である、すなわち勉強ができないor普通ではない自分をいやでも自覚せざるを得ず、自己嫌悪に陥るのです。

勉強という努力で伸びる分野なのに努力できない自分の情けなさが嫌い

一般的に「勉強はやればやるだけ伸びるもの」と、成績の上昇と努力の量は比例するものという考えをする人は多いものです。

もちろん、勉強をしてわからない事が分かるようになり、今までできなかったことができるようになれば、それに従って成績も比例して上昇していくのはまさにその通りです。

しかし、努力と成績が比例すると言う考えは、下手をすれば人よりも勉強をするのが苦手で成績が悪い人や、体調の都合などでスローペースでしか勉強進められず成績が悪くなりがちな人が劣等感や自己無力感を抱かせる原因になります。

また、成績が比較的良い人であっても、成績が伸び悩む状況に陥ると「成績が伸び悩むのは自分はまだまだ努力が足りていない」と考え込んでしまい、自分で自分を追い込むような精神状態にさせてしまう原因にもなります。

勉強ができない原因を他人や環境に見出そうとする自分の醜さが嫌い

勉強ができない原因を探っていけば、たいていはその原因は自分自身にあると言う結論が導き出されるものです。

  • 自分の好きな科目ばかり勉強していて苦手な科目をやろうとしない自分の甘さ
  • 勉強そっちのけで部活に夢中になっている自分のだらしなさ
  • 勉強してるように見せかけて、実はスマホをいじっていたり、別のことを考えていて勉強効率を上げられないダメダメな自分の一面

…など、勉強ができない原因の全てではないにしても、いくらかの原因は自分にあるものなので、そのことに目を背けてばかりでは成績はよくて停滞、悪くなると成績が悪化するのは目に見えています。

そんな向き合いたくない現実を前にして、

  • 「友達が遊びに誘う声で勉強に集中できない」
  • 「テストを作る先生の問題選出のセンスが変なだけだ」
  • 「出題された問題が悪問だから、こんなのできなくても仕方がない」
  • 「家の中がうるさくて、そんなところでは勉強なんてまともにできるはずがない」

と、自分以外に勉強ができない原因を見出し、現実から逃避したくなる気持ちに駆られることもあるでしょう。

しかし、いざ他人や環境に責任転嫁をしてみると、現実を直視しないどころか、自分の自分を棚に上げて他人や環境のせいにする自分の人としての醜さ、惨めさ、みっともなさを自覚してしまうことで自己嫌悪の念を抱くのです。

ただし、1つ言える事は、良心の呵責にさいなまれているうちはまだ引き返せると言う点です。

これがもし、責任転嫁をすることに何の違和感や苦痛も感じなくなるようであれば、成績が悪くなっても反省も改善もせず、自己正当化に明け暮れるだけの堕落した自分になってしまう恐れがあります。

自分は特別で有能であるという自己イメージが崩れる事へ恐

普段から自分は勉強ができる人として家族や友達、先生から認められている人に多いのが、「自分は特別で有能である」と言う自己イメージ(アイデンティティー)を持っていることです。

この自己イメージを持っている人は、成績が良いうちは問題ないのですが、もしも成績が悪くなったり、自分よりも成績が良い人が台頭してきた場合に「自分は特別」という自己イメージが崩れてしまうことで、強い恐怖感を覚えてしまいます。

加えて、もしも平凡にランクダウンした自分を認めようものなら、今まで特別だと誇りに思っていた自分を捨てて、平凡という状況に甘んじる自分の軸のブレ具合を意識してしまい、たるんでいる自分に強い嫌悪感を抱くのです。

また、自分の成績にすごい自信を持っている人…いわゆるエリートクラスの学力と頭脳を持っている人ほど、ちょっとした成績の悪化や不調になると「自分は特別」という自己イメージが脆く崩れさる恐怖に常に晒されているとも言えます。

学力競争のトップクラスにいる人は、そのトップクラスを維持するだけでも普段から神経を張り詰めやすい傾向があると同時に、ちょっとでも点数が下がればトップクラスから平凡クラスを経て底辺へと転落してしまう最悪のイメージが瞬時に連想されてしまうために、強い不安と恐怖に悩まされやすいのです。

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