プライドが高い人というのは、仕事でも恋愛でも扱いづらいのと同時に、見下されたりぞんざいに扱われたりなどで不快な思いをすることが多いこともあってか「プライドが低いこと=絶対的に良いこと」という考えを持つ人もおられようかと思います。
しかし、あまりにもプライドがなさすぎる人というのも、関わるとなんだか他人に媚を売っているかのような小賢しい人間に思えたり、プライドのなさ故にヘラヘラとしていて真剣味を感じない、無責任で信用できない人のように思えて評価を下げてしまうこともあり、決して褒められたものではありません。
よく、経営者の自伝、自己啓発書、心理学に関する本では「プライドを捨てることが大事!」という主張を見聞きするものですが、かと言って必要最低限のプライドすらも捨ててしまうことについては、少し冷静に考えてみることも大事だと感じます。
今回はそんなプライドのない人、低い人の心理的な特徴について、お話しいたします。
プライドがない人、低い人の心理的な特徴
自分の意見よりも他人の意見を優先してしまう
プライドのなさすぎる人は、仮に自分の意見や主張を持っていたとしても、それを口に出したり、相手と対話を通して妥協点を探ることを避けようとします。
自分以外の他者や集団の意見に自分を合わせようとする。あるいは、他者や集団が期待しているであろう意見を必死に想像し、それに沿った発言をすることを優先します。
こうした態度は、いわゆる「空気が読める」と表現され好意的に見られることもありますが、度が過ぎると、あまりにも他者や集団に合わせすぎているために、その人自身が何を考えているのかがわかりにくく、不信感や警戒心を持たれる原因にもなります。
また、自分が一応でも支持していた意見が揺らぎ、別の意見が優勢になれば、すかさずその意見に乗り換える…という、フットワークの軽さも他人の意見を優先したがる心理がよく現れています。
このことを好意的に解釈すれば、一つの意見にこだわらない柔軟性を持っていると解釈できますが、一方で自分の意見や主張をコロコロ変えてしまうために、周囲に余計な混乱を招いてしまうという解釈もできます。
権威主義的な性格をしている
プライドが適度にあることは、自分に対する自信を維持し不安や無力感などとうまく付き合う場面で役立ちます。
しかし、適度なプライドすらないと、不安に対処するだけの自信を持ち合わせていないため、何か別の自信となり得るものを拝借することで対処しようとします。
その時に借りられるのが学歴、権力、地位、組織のブランドなど、いわゆる「権威」にあたるものです。
何かしら自分の意見を主張しなければいけない場面において
- 「これは大企業に勤めている○○さんが言ってた話でして…」
- 「○○大学の教授が言ってた話だけど…」
- 「本を出版したことがある○○さんがつぶやいていた話だけど…」
など、意見の中に権威を持つ人や組織をちらつかせたがります。
傍目には自分の意見を言っているように見えても、その内容は権威ある人や組織の話を借りて説明しているだけであり、話している本人がどのような考えを持っているのか、どういう意見を主張したいのかが全く見えてきません。
プライドのなさゆえに、確固たる自分の意見を言う責任感の重さに耐え切れないため、予防線を張るかのように権威の存在をちらつかせた話で乗り切ろうとします。
プライドの高い人が「自分が自分が」という話の展開をする一方で、プライドの低い人は「(権威のある)他人が他人が」という話の展開をすると言ってもいいでしょう。
関連記事
一貫性のなさ、責任感のなさが目立つ
他者や集団の流れに応じて自分の意見をコロコロ変える姿は、自分の意見や主張に対する一貫性のなさ、責任感のなさを表していると言ってもいいでしょう。
プライドが高すぎて一つの物の見方にこだわことで生じる他者との衝突こそ起きませんが、あまりにもコロコロ意見を変えるせいで、信用し続けることに不安を抱く人が出てきて、周囲から評判を落とす羽目になります。
また、責任感のなさが災いして、仕事においてもケアレスミスが目立って中途半端な仕事になってしまう。人間関係においても約束事を守らない、すぐに依存して自分の責任を他人に覆いかぶせてしまうことから、交友関係を維持しづらくなるのです。
何事も「自分が全部悪かった」と結論づける
プライドが適度であれば、仕事でミスがあっても他人のせいにせず素直に謝罪して反省することができます。
プライドの低い人も、同様に謝罪をすることはできますが、よく見ていくと「全部私が悪うございました」とあらゆる罪を背負い込むあまり、他人との会話を拒んでしまう行き過ぎた謝罪になっています。
表面的には謝罪できているので問題は無いようにみえますが、
- 謝罪というポーズをすることにばかりに集中している。
- 謝罪はするものの、再発防止のための改善やミスの分析は放置されたまま。
- 背負わなくてもいい罪悪感を抱えてしまうため、過度に落ち込みやすい。
- 他人の非まで引き受けてしまうため、引き受けられた人の反省の機会を奪ってしまっている。
などの問題を招く原因になります。
すぐ謝罪できることは一般的に良いこととされますが、「本当に自分一人だけに責任があるものなのか」…という視点を持つことは、覚えておきたいものです。
関連記事
恥をかくことに対する抵抗感が薄い
- 自分の恥ずかしい過去やプライベート、黒歴史などを晒したがる。
- いじられキャラのような、他人がやりたがらない役を率先してやりたがる。
- ネット上で物乞い行為をする(ネット乞食)など、人からものをねだることに抵抗が無い。
- 「いいね」欲しさのあまりに、過激な行動に出てしまう。ピエロのように笑いものにされるような行動を取ってしまう。
など、社会的に見て恥をかくような場面に、あえて自分から乗り込もうとすることが特徴的です。
中には、恥をかくを通り過ぎて社会生活を送る上で守るモラル、常識、マナーを逸脱した行為に出てしまうこともあります。
自分で自分を大事にしておらず、自虐的な行動が目立つ
恥への抵抗感の薄さに関連していますが、自分で自分を大切にしない行動や、過度な自虐など見ているだけでも胸が痛くなるような行動が目立ちます。
人間関係でいわゆる「汚れ役」を引き受け、その汚れ役にふさわしい自分を演じて、自分の自尊心や自己愛が傷つけられること、そしてそんな姿を見て傷つく人の存在に鈍感です。
自分で自分を大切にしていないからこそ、自分に向けられる軽蔑の眼差しや態度にしっかり拒絶して適度なプライドを守ることすらせず、自分を傷つけてしまう環境の存在を肯定してしまうのです。
プライドの低さが招く「自分を大事にしない姿で他人を傷つけてしまう」という不都合な事実
プライドが低すぎる人の中には、「プライドの高さは他人を傷つけるもの悪しきものだから、プライドが低ければ他人を傷つけることはない」という、極端な考え方をしている人がいます。
確かに、円滑な人間関係を築くためにも、過度なプライドのせいで意地を張りあって消耗したり、言い争いが起きないためにも、プライドを肥大化させない…ということは大切です。
しかし、かと言ってプライドを極限まで無くした結果、自虐に走ったり、自分をぞんざいに扱う人や集団の存在を容認することは、決して正しいとは言い切れない現実があります。
例えば、家族、恋人、友人のように自分が大事にしたいと思っている人が、過度な自虐により自分で自分を蔑ろにする姿勢を続けたり、場を盛り上げるために自分を犠牲にして汚れ役を買う…などの姿を見たときに、心中穏やかでない気分になることがこれにあたります。
- 誰かの役にたちたいあまりに自分の感情を犠牲にする人。
- いつも他人のことを優先して自分のことを後回しにする人。
- スケープゴートのような損な役回りを進んで引き受け、自分の所属する集団の平穏を維持しようとする人。
このような自分で自分を大切にできない行動に出てしまう人が、自分が大切にしたいと思っている人だとわかると、傷ついてしまう人がいるものです。
「プライドが低ければ誰も傷つかない」という、自己犠牲を厭わない考え方、自分で自分を虐待するかのような考え方そのものが、他人を傷つけてしまう現実があることに気づく。そして、適度なプライドを持てるようになることが大事なのではないかと感じます。