仕事、勉強、人間関などあらゆることから逃げてしまう「逃げ癖」が身につく原因は、当の本人の経験や考え方の癖だけでなく、その人を取り巻く人間関係にも原因があると考えられます。
今回は、そんな逃げ癖を身につく原因に関する考察をお話しいたします。
逃げ癖が身につく原因として考えられるもの
不安な出来事を大げさに評価する物の見方
逃げ癖が身についている人の中には、自分が「逃げたい」と感じている物事を過度に怖いもの、不安が大きいものだと見てしまう物の見方の偏り(=バイアス)が影響していることがあります。
たとえば、新生活が始まって新しい職場にて、人間関係を築こうとした結果、失敗に終わるイメージを想像するときに
- 「初対面の人だと絶対に失敗する」
- 「挙動不審な人だと思われて、職場の人全員から無視されてしまう」
- 「職場の人から無能、無価値の烙印を押されて、冷たい視線を浴びるに違いない」
と、物事を過度に悪く捉えてしまう傾向があります。
これから起きうる不安について、過度に怖いもの、恐ろしいものだと過大評価しているので、自然と「今すぐこの状況から逃げたい」という感情が、強く湧き出してしまうのです。
もちろん、全員に嫌われたり、絶対に失敗すると断定できるかどうかについては議論の余地があるでしょう。しかし、不安に悩まされていると冷静に物事に見ることができなくなり、本当な不安な出来事を過大評価していることに気づけなくなります。
また、冷静になれないからこそ、つい後先考えずに衝動的に逃げてしまうのも無理はありません。
高すぎるプライドを傷つけないために逃げてしまう
「まだ自分は本気を出してないだけ」など、本当はやればできる人間であると言いながらも、仕事や学業、人間関係に対して非常に弱腰で、逃げてしまう癖がついている人には、高すぎるプライドが影響していると考えられます。
プライドが高すぎるために、たとえ仕事や勉強でまぁまぁ妥当な成績を収めたとしても、それでは満足できずプライドの傷つ気を感じてしまう。
高すぎるプライドを満足させるためには、完璧かそれ以上の成績を叩き出さないといけないが、そもそも100点満点やそれ以上の成績を出すことは非常に難しく、高確率で自分のプライドが傷つく嫌な未来がイメージ出来てしまうからこそ、その未来が現実にならないために物事から逃げる癖が身につくのです。
逃げさえすれば、なにかしらの成果を出して他人から評価・批評を受けることすらない。自分のプライドが満足することはないにしても、他人から完璧未満であると評価を受けてプライドが傷つくことを未然に防げる…という、合理的な判断ができるからこそ、逃げるのです。
逃げたことそのものを自己正当化して、逃げる事への抵抗が薄れる
嫌なことから逃げたと言っても、逃げたことに対する良心の呵責に苦しまされたり、「逃げない方が良かったのでは」という後悔の念を抱くことは至って自然なことでしょう。
しかし、逃げてしまったという過去は変えられない以上、いつまでも逃げることに罪悪感や後悔の念を抱き続けるのは、精神衛生上好ましいとは言えません。
いつまでも逃げた経験のせいで鬱屈した気持ちに襲われないためには、逃げた過去に対する物の見方を変える…つまり、逃げたのは間違っていなかったと考えて、自己正当化をすることで、逃げることそのものに感じる罪や後悔の意識を減らすのです。
なお、自己正当化をするときに多いのが…
- 逃げてダメだった事例を避ける。
- 逃げることは価値がある、有意義であるという知見や事例を調べる。
という行動です。不都合な情報は避けると同時に、自分にとって好都合な情報を意図的に選ぶことで、自己正当化はより強固なものになると同時に、逃げることそのものに対する抵抗が希薄になります。
逃げることにためらいがなくなるので気楽かもしれませんが、社会生活を送る上でトラブルの温床になることは容易に想像できます。
無責任に「逃げてもいい」という人の存在
逃げ癖で悩んでいる人を取り巻く人々にも、結果として逃げ癖を身に付けることに加担している可能性があります。
たとえば「辛いことからは逃げてもいいよ」「やりたくないことからは逃げてもいいよ」と、逃げようかどうか迷っている人の背中を押すような言葉を口にする人は、逃げたい人を助ける正の側面もあれば、結果として逃げたい人をさらなる苦境へ追い込む負の側面もあります。
不安で頭がいっぱいで切羽詰っている時に、他人からの「逃げてもいいよ」という言葉は、たいへんありがたく、そして心強い言葉のように感じるかもしれません。
しかし、その言葉を信じて逃げた結果、もしも生活の質が下がり、逃げない方がマシだと感じる状況になってしまっても、「逃げてもいいよ」とアドバイスをした人が責任を取れるわけではない点については、知ってくべきだと感じます。
特に、ネット上では仕事、勉強、人間関係などあらゆる物事から逃げて来た人が、SNSやウェブメディアを利用して逃げることの有用性を発信していることが目立ちやすいものです。
人生一発逆転できたとか、波乱万丈の人生を送ってきたなど、多くの人の目を引くだけのストーリーを持っていると見られ、注目を浴びやすいものでしょう。
しかし、その人の言葉を鵜呑みにして、自分も仕事、勉強、人間関係から逃げても同じように無事に済むとはかぎりません。
逃げても大丈夫だった人は、もともと大量の貯金があったとか、家が太いとか、逃げてもほかの進路が見つかるだけの学力やスキルがあったなど、逃げてもどうにかなる確率が高かったからこそ無事に済んだかもしれません。
お金も学力もスキルもない人が苦手な状況から逃げて同じように無事に済む…と思い込むのは、たいへん危ういことだと感じます。
(そもそも、逃げてダメだった人がネット上で積極的に情報発信したり、大きな関心や注目を浴びるのかについては疑問だが…)
関連記事
逃げ癖は長い期間をかけて徐々に身についていく
補足になりますが、不安や恐怖、苦手意識を感じる状況に直面して「できればこの状況から逃げ出して楽になりたい」と感じることそのものは、至って自然です。
しかし、問題なのは苦手な状況から逃げることが習慣として身についたり、自分の性格の一部(内気、ビビリなど)となってしまうと、日常生活を送る上で大きなトラブルになります。
逃げ癖は、ある日突然身につくものではなく、長い期間を経て逃げるという行為を重ねたことで身につけられてしまうものです。
加えて上でも述べているように、逃げてどうにかなった他者の経験を知ったり、逃げることを自己正当化するなどして、逃げることに関する認知を自分に都合よく変えてしまう。
その認知の歪みや偏りに気づかないことには、逃げ癖を直すのが難しいのはもちろんのこと、下手をすれば自分が他人に対して逃げ癖を身に付ける手助けをする危険性については、理解しておくことが大切だと感じます。
関連記事